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74 久しぶりのシンシアさん

 イカそうめんを皆で食べたあと、ソルーガとソニャーナはアジールで一泊し、それからロッツと合流する。

 朝早い時間だったが、行商旅団は既に撤収準備を始めており、夕方にはギガントドラゴンが歩き始めた。

 タクト、セラナ、マオ、エミリーは、地平線の向こうに去って行くギガントドラゴンを眺めて手を振った。

 やかましかったソルーガとソニャーナであるが、こうしていなくなると寂しいものだ。


 だが、いつまでも寂しがってはいられない。

 タクトにはやるべきことが沢山ある。


 まずは創世記について知っていることはないかとクララメラに尋ねたい。

 が、トゥサラガ王国の女神様はいつも、寝ているか寝ぼけているかのどちらかなので、これは後回しだ。


 次に魔術師協会への報告書の作成だ。

 真っ先に書いた文面は「自分が到着した時点で、空島には誰もいなかった」である。

 その上で、塔の制御装置や、ミスリルがあった洞窟などの詳細を書き連ねる。

 空島の上に生存領域並の環境があった理由は、古代文明の技術であろうと推察できるが、詳細は不明――。

 と、そんな感じだ。 

 エルフの存在を秘密にしたこと以外、一つも嘘をついていない。ミスリルのインゴットを持ち帰ったことも正直に書いた。

 実に素晴らしい報告書だ。

 これを協会に提出すると、ミスリルのインゴットの所有権が無事に認められた。


 あとは魔導古書店組合の競売が始まる前に、ミスリルを現金化すればよい。

 しかし、これが意外と難儀だった。

 なにせ一本一千万イエン。十本で一億イエン。

 買いたいという魔術道具屋はいくつもあったが「あと十日以内に一億イエンを用意してくれ」という条件は、どの店もクリア出来ない。

 鍛冶屋や武器屋も回ってみたが、そんな現金をすぐに用意できる店はなかった。

 一つくらいあっても良さそうなのだが、十日で一億はやはり難しい。


 どうしたものかとタクトが店番をしながら悩んでいると、ドアベルの音と共に、アジールの扉が開かれた。

 そして現われたのは美しい銀髪。


「なんだ。セラナさんでしたか」


 一億イエンとは無縁な人である。


「なんだとはなによ! それよりもタクトくん、ちょっと手伝って。シンシアが大変なの!」


「シンシアさん?」


 シンシアとは校内トーナメントでセラナと戦った少女のことだ。

 彼女がどうしたのだろう――と思っていると、扉の外から声がした。


「うげぇ、う゛、う゛う゛う゛ぇえええっ、ぼぅぅうげぅっ!」


 声というか、嘔吐の音だった。

 何事かと慌てて店から出ると、そこには太陽光を反射する金色の草原が広がっていた。

 否、それは地面に座った少女。

 手入れされた髪は黄金に輝き、ゆるくウェーブを描いて地に広がる。

 高貴な顔立ちは貴族を思わせ、まるで絵本から飛び出したお姫様だ。

 そんな少女がアジールの店先で、吐瀉物を盛大にぶちまけていた。


「げほっげほっ……ぐぶおぇぇえっ!」


 なぜ、こんなことに?


「あのね。今日こそはアジールに辿り着くんだって、シンシア、頑張って結界を越えてきたんだけど……頑張りすぎて! 疲れすぎてこうなっちゃったのよ!」


「はぁ……いや、もう、ほんと勘弁して下さい」


 どうしてタクトの周りにいる女性は、ことごとく変な人ばかりなのだろう。

 シンシアだけは別だと思っていたのに。

 いや、セラナと友達という時点で、そういうことなのだ。

 類は友を呼ぶ。


「にゃにゃぁ? お店の前を汚しちゃ駄目にゃん!」


 変な奴の筆頭が現われ、タクトの脇から頭を出した。


「まったく。どうしてタクトの知り合いは変な人ばかりにゃ? 類友なのにゃ?」


「俺は変じゃないぞ、断じて」


 失礼な話だ。

 タクトに変なところは微塵もない。

 女神を凌駕する魔力と、前世の記憶があるだけなのだ。


「それでシンシアさん……もう大丈夫ですか……? まだ吐き足りないなら、吐いてもいいですけど……」


「いえ……もう、大丈夫、うぷ……大丈夫ですわ……」


 微妙なところだが、本人が大丈夫と言って立ち上がったので信じよう。

 まだ顔色は蒼白だが、そのうち元気になるだろう。


「タオルにゃ、使うといいにゃ」


「ありがとうございます……」


 シンシアはマオが持ってきたタオルを受け取り、口の周りを拭く。

 その間に、タクトは指先から水を高圧で放出し、シンシアのゲロを洗い流した。


「シンシア、大丈夫?」


「傷は浅いにゃ!」


 セラナとマオが、ふらつくシンシアをカウンターの椅子に座らせ背中をさすっている。

 だが、その介護も虚しく、シンシアは白目だ。

 見た目は死体そのもの。

 セラナが初来店したときはハーブティーで復活したが、はたしてシンシアにも効くだろうか?


「……俺はお茶を煎れてくるので、シンシアさんをお願いします」


「任せてタクトくん!」


「お任せにゃん!」


 任せたところで二人にどうにか出来るわけがない。

 早くハーブティーを煎れて、無理矢理にでも流し込もう。


        △


 タクトは滅茶苦茶に濃くしたローズマリーのお茶を、コップになみなみといれた。

 この際、味や風情はどうでもいい。

 とにかくシンシアを復活させるのが最優先だ。


「さあ、シンシアさん。これを飲んで下さい」


 タクトは彼女の前に立ち、コップを差し出す。

 が、反応がない。

 シンシアはただ「あー」とか「うー」とか呻き声を漏らすだけ。

 白目でそんなことをされると、かなり怖い。


「シンシア、お茶を飲む元気もないみたい」


「割と重症にゃ……時間とともにヤバくなっていくにゃぁ……」


「仕方ありません。強引に飲ませましょう」


 タクトはシンシアの鼻をつまむ。

 呼吸のために彼女が口を大きく開けたところで、コップを近づけ、中身を一気に注ぎ込んだ。


「げふぉっ!」


 当たり前だが、シンシアは激しく咳き込む。

 それでも容赦せず、一滴残らずぶちこんだ。

 そして吐き出さないよう、手でシンシアの口を覆う。

 案の定、胃から逆流してきたが、全てせき止める。


「む、むがが! ごぼぁ! おえっぷっ!」


 ハーブティーは食道を何度も往復したが、何とか胃に落ち着いてくれた。

 樹の特異点(ネムス・テラ)で育てたローズマリーのお茶だ。

 染みこんだマナがシンシアの全身に行き渡り、あっという間に体力と魔力を回復させるはず。


「ふぁぅ……ぅ……酷いですわ……こんな……」


 シンシアは鼻水と涙を大量に流しているものの、ちゃんと意識が回復した。

 屍にならずに済んで、本当によかったよかった。


「あ、シンシア話せるくらいに復活した。やったー」


 と言って、セラナはハンカチでシンシアの顔を拭き始める。


「やったー、ではありませんわ。陸地で溺れるところでした! タクトさん、助けてくださったのは感謝しますが……次からは、もう少し優しくしてください!」


 シンシアは眉を吊り上げムスッとした顔になる。


「申し訳ありません。しかし、ああでもしないと復活まで時間がかかりそうだったので」


「時間をかけると、何か問題でも……?」


「たんに、いつまでも居座られると邪魔だなぁと思っただけです」


「な!?」


「冗談です。若い女性が悲惨な姿を晒し続けるのもどうかと思ったので、多少荒療治でも復活させた方がいいかと思いまして」


「あれが多少ですの……しかし助けて頂いたのは確かなので……ありがとうございますわ」


 シンシアは椅子から立ち上がり、両手を揃えて一礼した。

 残念系であっても、育ちがいいだけに礼儀はちゃんとしている。

 セラナも無礼というわけではないが、こういう大人の振るまいは無理だろう。


「それから、今のことだけではなく。校内トーナメントでは、わたくしの尻ぬぐいをタクトさんにさせてしまって……タクトさんがいなければ本当にどうなっていたことやら……」


「あれは、まあ。グリモワールを売った俺に責任がないとも言いきれないので、そう気にしないでください。そういえば、チャーリーさんはお元気ですか?」


「ええ、それはもう。今朝も朝食を二回食べて、食欲旺盛ですわ。お庭の散歩も毎日していますし」


「……体が元気そうで何よりです」


 シンシアの祖父、チャーリー・バルフォアは、かつてマジックアイテム職人として名をはせた超一流の魔術師だ。

 タクトは彼に憧れすら抱いていたのだが、先月の一件で、彼が認知症になっていたことが発覚。チャーリーの魔術師ライセンスは没収されてしまった。


「それでシンシアさん。今日はどういったご用件で?」


「魔導古書店に来たのですから、もちろん魔導書を買わせて頂きます。そのくらいしか、タクトさんへ恩返しする方法がありませんもの」


 別に恩を売りたかったわけではないので返してくれなくてもいいのだが、店の売上に貢献してくれるなら大歓迎だ。


「一方、セラナさんはいつになったら新しい本を買ってくれるんでしょうね」


「ぐぬっ……だってお金ないし……それに前の本もまだマスターしてないし……」


 知っている。

 知った上でからかってみたのだ。

 セラナはすぐに半べそになるので面白い。


「にゃにゃ。シンシアはお金持ちなのにゃ?」


「わたくしが、というか。バルフォア家は、まあ、そこそこですわ」


 シンシアの答えは謙虚極まっていた。

 タクトはバルフォア邸を見たことがあるが、プールつきの巨大な庭の奥に、城のような屋敷が建っていた。

 あれで「そこそこ」なら、ほとんどの者は極貧になってしまう。


「にゃーん。それならタクト。あのミスリルをシンシアに買い取ってもらったらいいにゃん!」


 と言って、マオは尻尾と耳を揺らしながらシンシアにむぎゅっと抱きついた。


「ミスリル、ですか?」


 シンシアは首をかしげつつ、にゃんにゃんするマオの頭を撫で回す。


「いえ、実は。空島から持ってきたミスリル一億イエン分の買い手が見つからなくて。どこか心当たりありませんか?」


 校内トーナメントでシンシアが使用した杖には、大量のオリハルコンが使われていた。

 つまりバルフォア家は、貴重な材料を扱っている業者に顔が効くということだ。

 きっと大規模な業者のはず。

 そこなら一億イエンもすぐに用意できるに違いない。


「まあ。そういうことでしたら、お父様に頼んでみましょう。多分、買ってくださいますわ」


「ありがとうございます……って、バルフォア家で買うんですか!?」


「はい。ミスリルの価格は年々上昇傾向にありますから。投資先としては有効ですわ」


「ああ、なるほど、投資ですか……」


 流石、金持ちは言うことが違う。

 タクトの頭には、貴金属で資産運用するという発想がなかった。

 全て魔術の道具にしか見えない。

 しかし、そうなると、タクトはミスリルを売らずにしばらく保有しておけば、もっと儲かるということか。

 いやいや。長老秘蔵のグリモワールを落札するために、空島まではるばる宝探しに出かけたのだ。

 いくら儲かるといっても、競売の日に間に合わなければ意味がない。


「ではシンシアさん。お願いしてもいいですか? 十日以内に現金で。価格は今の相場に合わせましょう。詳しく計算していませんが、おそらく一億イエン前後だと思います」


「分かりましたわ。あとでお父様にお話しておきます。それはそれとして……本も何冊か買わせて頂きますね」


 そう言ってシンシアはニッコリと微笑んだ。

 彼女のおかげでミスリルは何とかなりそうだし、本まで買ってくれる。

 天使のような人だ。

 残念ながら胸は小さめだが――とにかくいい人である。

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