61 神話
一口に空島と言っても、その面積は広い。
人口十万人のララスギアがすっぽりと収まってしまうほどだ。
タクトとセラナが着陸したタンポポの花畑はその極一部に過ぎず、他に湖だったり岩山なりと、様々な風景がある。
もっとも、これほど多彩な色合いが生まれたのは一年前から。
それ以前は渾沌領域に飲み込まれ、落雷が吹き荒れたり、熔岩の雨が降っていたはずだ。
タクトが読んだ本にもそう書かれていた。
エルフたちが占拠してから――彼らに言わせれば帰ってきてから――わずか一年でこれほど美しく様変わりしてしまうとは、驚異的だ。
古代エルフの技術も侮れない。
そして今のところ、空島に来ているエルフは十人であるという。
そもそもソルーガとソニャーナが生まれたミュレンガ村は、タクトたちのトゥサラガ王国ではなく、隣のそのまた隣のデルニア王国にある森の奥深くにある村らしい。
その上空を空島が通過したときに飛び乗って、そこから一年かけて漂い、トゥサラガ王国の近くまで来たというわけだ。
では、彼らが空島から手に入れようとしている聖典とは何なのか?
なぜ、一年かけても手に入れることができないのか?
そんな話を歩きながらしていたのだが、ソルーガとソニャーナはこう語る。
「詳しい話は、隊長から聞いたほうがいいじゃろ。特に聖典にかんして、ワシらから言えることはあまりないのじゃ」
「正直、オラと兄者も聖典の詳しいことは知らないのだ。いや、もちろん全く知らないわけじゃないぞ。ようは創世記の話だ。オラたちも小さい頃は、寝る前に聞かされたもの。その原典ということらしい」
「うむ。神様がこの世界をどのようにしてお作りになったか。そういう話じゃな」
「神様って、五大女神様のこと?」
セラナは、そんな疑問を挟んだ。
なにせ、この世界で神様といえば、クララメラをはじめとした女神たちのことを指す。
タクトも、てっきりそうだと思ってエルフたちの話を聞いていた。
ところが――
「違う違う。さらにその上の、大神様のことじゃ。人間はそんなことも知らぬのか?」
ソルーガは呆れた顔でそう言った。
「大神様……? それってエルフに伝わる土着の神様か何か?」
タクトが聞くと、今度はソニャーナが肩をすくめ、やれやれという顔を作る。
「人間というものは無知蒙昧なのだなぁ。いいかタクトとやら。大神様はこの世界を創った神様だ。五大女神も偉大だが、しかしその五大女神は大神様によって創られた。お主ら人間も、オラたちエルフも、その他の動物も植物も、みんな大神様が創ってくれたのだぞ」
「左様。こんなことはエルフなら子供でも知っている。人間には伝わっていないのか? 嘆かわしい話じゃ」
ソニャーナは、まるで大神が実在する存在であるかのように言う。
世界の創造主。創世記。
その手の神話は珍しいものではない。
地球のキリスト教では、神が六日かけて天地創造を行い、七日目に休んだとされていた。
更に古いゾロアスター教でも、最高神アフラ・マズダーによる世界の創造が語られている。
また日本神話では、イザナミとイザナギが日本列島を創った言われている。
タクトはそれほど詳しくはないものの、ほぼ全ての神話で世界の始まりが語られているはずだ。
なのに、今にして思えば。
この世界の人間社会には、天地開闢や宇宙創造にかんする神話が存在しなかった。
そもそも、神話と呼べるような物語がないのだ。
ある意味、当然。
なぜなら語るまでもなく、本物の女神がその辺をウロウロしている。
神が見えないからこそ預言者なり宗教組織なりが必要で、そこに権威や権力が集中する。
しかし本物の女神が古書店の店長をしているような世界では、神話などというファンタジックなものが成立する余地はない。
全ては歴史上の出来事。事実として扱われていく。
女神がそこにいる世界では、カルト宗教も生まれないし、解釈の違いで分派したりもしない。
だから設定を作って格調高くする必要もなかったのだ。
それゆえに、事実として確認できないことは語られない。
だが、よく考えてみれば。
女神という存在そのものが、ファンタジックなのだ。
存在している以上は、その理由があるはず。
ところが、この世界の人間は、なまじ女神と直に会えるため、想像力を働かせることができなかった。
神話は生まれず、そこにあるものだけを享受する。
では、エルフ族は?
エルフ族はある意味、この世界の主流から外れている。
人里離れた森の奥で暮らしているため、女神に会う機会も少ないのだろう。
だから神話が生まれた?
なるほど、有り得る話だ。
そして逆に、人里離れているからこそ、原初の真実が残っていた――とも考えられないだろうか。
なにせここは魔術や女神が実在するファンタジーな世界。
創造主がいたとしても、不思議ではないのだ。




