54 傷心のタクトくん
タクトは小一時間にわたり、初心者魔術師が高度五千ケメルに到達することの難しさを説いた。
もし途中で力尽きたら地上へと真っ逆さまであり、原形をとどめない無残な姿をさらすことになる。
セラナが潰れたトマトに狂信的なあこがれを持っているのならこれ以上無理に止めたりしないが、タクトとしては全くオススメしない。
そのようなことを語って聞かせると、セラナもようやく納得したらしく、渋々ながら諦めてくれた。
「けど、タクトくんは行くんでしょ?」
「俺は五千ケメルまで上昇するくらい楽勝ですから」
「いいなぁ、私も行きたいなぁ」
「我慢してください。次の機会があれば一緒に行きましょう。そのときになれば、セラナさんもきっと一流魔術師になっていますから」
「うーん……仕方がないわ。今日のところはマオちゃんと仲良くなれたから、よしとしましょう」
「にゃー。私もセラナと友達になれて嬉しいにゃん」
それから二時間ほど二人は幼い子供のように庭を駆け回って遊び、疲れ果て、木により掛かって昼寝を始めた。
やがて目を覚ましたセラナは、図々しくも昼ご飯を食べてから学園に帰っていく。
タクトは野良猫に餌をやっている気分になってきた。
猫はマオのほうだというのに。
「とても愉快な人だったにゃー」
と、セラナを見送りながら、マオは呟く。
タクトは、愉快さにかけてはお前も同格だぞ、と思いつつ猫耳を撫でるだけにした。
それからタクトは、魔術師協会の事務所に行って、空島の噂が本当かどうか確かめることにした。
事務所の受付のフィオナ嬢は、二十七歳の人妻だ。
メガネがとてもよく似合う美人。
魔術師としては並以下で、アジール来店することすら出来ないが、人当たりがいい上、事務処理能力に長けている。
しかも小柄で大人しそうな顔なのに胸が大きい、というのがタクト的にポイントが高い。
昨年、フィオナが婚約したと聞いたとき、タクトは悔しさのあまりホウキで宇宙空間まで飛び出して、小惑星を三つ粉砕したほどである。
その小惑星の破片は重力に引かれて落下。大気圏で燃え尽き、それはそれは美しい流星群が地上から観測されたらしい。
おまけに流星群が降った時間が、ちょうどフィオナの結婚初夜。
新婚夫婦はさぞロマンチックな思いで初めての夜を過ごしたのだろう。
ちくしょう、おめでとうございます。
なお余談であるが、タクトが宇宙から見たこの星は丸かった。が、青くはなかった。
五つの生存領域だけが緑色で、残りの渾沌領域は黒いモヤに覆われ、目視することすら叶わない。
そして宇宙空間は、真空で、無重力。宇宙線が吹き荒れる、まっとうな場所だった。
渾沌領域のように、法則がねじ曲がっていたりしない。
やはり渾沌領域は、何者かの意思によってああなっているのでは――と考えずにはいられなかった。
「あらタクトちゃん。久しぶりね。こないだの校内トーナメントじゃ大活躍だったらしいじゃない。今日はどうしたの?」
何かの書類を整理していたフィオナは、タクトを見つけて振り向き、にっこりと笑ってくれた。
その拍子に、ララスギアの街でも屈指の質量を誇る胸がたゆんたゆんと揺れ動く。
こんな清純そうな顔をしたフィオナの胸が毎晩旦那に揉みしごかれているのかと思うと、タクトは血涙を流したくなってきた。
しかもフィオナの胸は、心なしか以前よりも大きくなっている。
幸せで胸一杯か、くそったれ。
「お久しぶりです……実は『空島』が近いうちにトゥサラガ王国に来るという噂を聞いたものですから。その真偽を確かめようと思いまして」
「流石はタクトちゃん。耳が早いのね。ええ、そう。多分、明後日くらいにはトウゥサラガ王国の生存領域に入ってくるわ」
意外にもフィオナはあっさりと認めた。
まあ、空島は肉眼で見えるくらい大きいので、入ってくれば嫌でも分かる。
特に秘密にするようなことでもないのだろう。
「では調査の許可を。無論、発見した物や情報は、全て協会に報告します」
「うーん……」
フィオナは腕を組み、なにやら唸り始めた。
その仕草で胸が腕に押されて変形する。
タクトはそれをガン見しながら「何か問題でも?」と尋ねた。
「実はね。この一年くらい、空島が何者かに占拠されて、協会ですら近づけないのよ」
「空島を占拠ですって? まさか。何者なんですか?」
「だから、何者か、よ」
フィオナは深刻そうな顔をして言うが、実際に深刻な話だ。
空島は魔術師協会の管轄であり、許可なく進入することは許されない。
まして占拠となれば、これはもう明確にケンカを売っていると見なされてしまう。
その『何者か』があまり調子に乗っていると、頭に血を上らせた協会上層部が、空島に被害が出てもいいから皆殺しにしろと決定を下すかもしれない。
それは魔術師全体にとって不幸なことだ。
空島は宝の山なのだから。
「しかしフィオナさん。どうして占拠されてから一年も放置しているんですか? それも、相手が誰なのかも確認せず。協会の対応とは思えないほど……その言っては何ですが杜撰です」
「返す言葉もないけどタクトちゃん。あなたは自分の技量を基準に考え過ぎよ。空島ってのは普段、渾沌領域を飛んでるのよ。しかも高度五千ケメル。そんなところまで上昇して一戦交えることが出来る魔術師なんて、協会にもそうそういないわ。おまけに拠点での戦闘は、防御側が十倍有利だって言うじゃない」
「ああ、なるほど……」
魔術師協会は精鋭を多数抱えている。
ゆえに渾沌領域で活動可能な者は珍しくない。
しかし渾沌領域で高度五千ケメルまで上昇するとなれば難度が一気に上がり、その先で拠点制圧を行うとなれば、本当に一握りの魔術師にしか出来ないだろう。
タクトなら全てを鼻歌交じりにやってしまうので、フィオナに指摘されるまで失念していた。
「空島は確かに貴重なところだけど。取り返すとなれば、優秀な人を集めて、部隊を編成して……ってなると、なかなか難しくて。優秀な人はそのぶん忙しいし。でも今回、生存領域に入ってきたから、多分、協会でも何か動くはずよ」
「それはつまり、空島が戦渦に巻き込まれるということですか?」
「……そうなるわね」
フィオナは苦虫を噛み潰したような顔になる。
力が弱くても、彼女とて魔術師の端くれだ。
貴重な古代遺跡が破壊されるのが耐えがたいのだろう。
無論、タクトだって同じ思いだ。
「フィオナさん。どうでしょう。魔術師協会の動きに先んじて、俺が空島を『何者か』から取り戻します。そうしたら、空島の被害は最小限に抑えられますよ」
「けど、それは……タクトちゃんが危険よ? さっきも言ったけど、渾沌領域で高度五千ケメルまで上昇できる人はそうそういない。けど、敵はそれをやった。何人いるのか知らないけれど、その全員が精鋭と見て間違いないわ」
「それなら大丈夫です。だってフィオナさんはこうも言いました。自分の技量を基準に考え過ぎ、と。それはつまり、俺は基準にしてはいけないほど規格外ということです」
「まあ、タクトちゃん、言うじゃない。格好いい。お姉さん、ちょっとキュンってきちゃった。でも、そうね。タクトちゃんなら大丈夫かも。分かった。空島の調査許可を申請しておくわ。明日にでも空島に上がってOKよ」
「OKって、これから申請するのに? 許可がおりるとは限らないじゃないですか」
「ああ、それなら大丈夫。だって私の旦那、トゥサラガ王国支部の支部長だもの」
と、フィオナはのろけ顔で言った。
タクトの脳裏に、五十代の白髪男が浮かび上がる。
そう。フィオナは年上好きなのだ。
あのオッサンが毎夜毎夜フィオナのおっぱいを自由に揉みまくっているかと思うと――この世を滅ぼしてやりたくなってくる。
「……分かりました。では明日、空島に上がります」
「お願いね。頼りにしてるんだから」
それから家に帰ったタクトは、号泣しながら枕を殴り続けた
クララメラとマオが気味悪そうに見つめてきたが、知ったことではない。




