50 尻尾は触らせないにゃ
マオとクララメラがお風呂に入っている間。
タクトは自室のベッドに寝転びながら、洞窟から持ち帰ったメモ帳を眺めていた。
次元回廊にかんする研究――とはいっても、やはりメモはメモだ。
肝心要のことは書いておらず、しかも『あの本の57ページ参照』とか、『32ページを参考に儀式を実行』とか、メモした本人にしか分からないようになっている。
「あの本って……せめてタイトルを書いてくれないと探しようがないじゃないか」
無論、メモを書いたグラド・エルヴァスティは、誰かに読ませようと思ってこのメモ帳を作ったわけではない。
責めるのは筋違いというもの。
それでもタクトは毒づいてしまう。
だが、分かったこともある。
次元回廊が開かれる数日前から、徴候が現われる。
それを察知するには大がかりな装置を作る必要があり、グラド・エルヴァスティはその装置を使って魔王の降臨を知った。
もっともメモを読む限り、彼とて本当に次元回廊が開くのかどうかは半信半疑だったようだ。
しかも、出てきたのが自称『異世界の魔王』である。
タクトが知る限り、この世界には魔王どころか魔族という概念すらなかった。
魔物ならいる。
動物や本、宝石などが何らかの理由によって魔力を持ち、自立行動するようになった存在を総じて魔物と呼ぶ。
しかし魔物の知性はそう高いものではなかった。
それこそ動物レベル。
一方、かつて地球に出現した魔族は、人間と同等以上の知性を有していた。
こちらの世界では今のところ、人間に匹敵する知的生命体はいない。ということになっている。
だからグラド・エルヴァスティは、魔王という存在を理解するのに手間取ったようだ。
それでも最終的には納得し〝魔族とは人間を越える存在と自称する生命体〟と記載していた。
「何か、俺のことまで書いてある……」
魔王はどうやら、タクトに倒されたときのことを愚痴っていたらしい。
グラド・エルヴァスティと魔王の仲は意外とよかったのかな、と想像すると面白い。
――スメラギ・タクトという少年もこの世界に来ている可能性が高い。是非探し出さなくては――そんなことが書かれていた。タクトもぜひ会いたかった。
生きる時代が違うので、もう不可能になってしまったが。
それにしても。
メモにある次元回廊開門の徴候を探知する装置。
材料がとてつもなく高価なものばかりだ。
紅羊の皮を使った羊皮紙。
アイス・ドラゴンの血。
ミスリルで作った短剣。
極めつけは、フォーメレス国でのみ採れるブラックオニキス。
すべて揃えたら、数億イエンになりそうだ。
アジールは現在、五百万で仕入れた本を四千万で売るという、あこぎな商売をやったおかげで、金銭的に余裕がある。
しかし、億単位となれば話の次元が変わってくる。
クララメラが他の女神のように、住民たちに神殿を作らせ、信者をはべらせたら金など湯水の如く沸いてくるのだが。
そういう性格ではないし、そもそもクララメラが人の上にふんぞり返るような女神だったら、タクトを拾って育てたりはしなかっただろう。
「それにしても……あのグリモワールをあと十冊くらい売らなきゃいけないのか。うん、無理だ」
あれほどのグリモワールがそうそう手に入るわけがないし、都合よく買い手が見つかる確率となれば、これはもう不可能と断言できる。
では、全ての材料を地力で手に入れるか。
いやいや。これもまた難しい。
なにせ貴重だからこそ高価なのだ。
タクトは戦闘力ならこの世界で最強だという自信がある。
しかし、いくら腕っ節が強くても、材料採集が大変なことに変わりはない。
どうしたものか――そうタクトが悩んでいると。
突然マオが「うにゃーん!」と叫んで部屋に飛び込んできた。
「どうしたんだマオ!? ずぶ濡れで、しかも裸じゃないか!」
マオは布一枚まとわぬ、すっぽんぽん。
しかも風呂から体を拭かずに飛び出してきたようで、全身ずぶ濡れ。床をびしょびしょにし、それどころか泡すらついたままだった。
「クララメラが……クララメラが意地悪してくるにゃぁぁ!」
そしてマオはタクトに抱きつき、うにゃーんうにゃーんと泣き始めた。
その直後、バスタオル一枚のクララメラがひょっこり顔を見せる。
「ああ、やっぱりここに逃げていたのね。駄目じゃないのマオ。まだ体を洗っている途中よ。さ、キレイキレイしましょうねぇ」
「いやにゃ! もう尻尾は触らせないにゃ!」
怪しい笑みで近づいてくるクララメラに対し、マオは烈火のような瞳で睨み、耳と尻尾の毛を逆立ててタクトにしがみついた。
「……そんなに尻尾は駄目なのか?」
「にゃ! 耳は我慢できるけど尻尾は駄目にゃ。くすぐったすぎて死んじゃうにゃ!」
「あらぁ? くすぐったいだけなのかしら? 尻尾触るたびにマオちゃんったらビクンビクンて震えて、すっごく甘くて可愛い声出してたじゃない」
「なに言ってるのか全然分かんないにゃ! とにかくマオはあとでタクトと一緒に入り直すから、クララメラは一人で入ってろにゃ!」
「いや。それは駄目だろ」
タクトはマオを引きはがしてクララメラに渡す。
「はにゃ? どうしてにゃ! どうしてこんな酷いことをするにゃ!」
「いや、だって。君は一応、女の子だし。俺と風呂に入るのは駄目だろう」
「ふふ、そうよねぇ。だから、もう一回お風呂に入って、全身を隈無く綺麗にしましょうね」
「嫌にゃぁぁぁタクト助けてにゃあああああっ!」
クララメラはマオをひょいと担ぎ上げ、実に嬉しそうに部屋を出て行った。
その姿が見えなくなってからも、マオの悲鳴が聞こえてくる。
哀れだ。
しかし、これからマオはずっとここに住むのだ。
この程度で悲鳴を上げていては先が続かない。
頑張って慣れてもらわないと。




