47 かつての激突
流石、渾沌領域に近いだけあって、カマルの森は剣呑だった。
歩いていると、突如として植物のツルが伸びて攻撃してくる。
普通の十倍以上もありそうな鷹が急降下して体当たり。
馬ほどもあるカマキリがうろつき、更にそれを捕食する大グモもいた。
やはり常人では立ち入れない。
魔術師でも気を抜けば死んでしまう。
「にゃにゃにゃ! 凄いところにゃ! これでもまだ生存領域の中にゃ? 渾沌領域はもっと凄いのにゃ?」
「ああ。本当の渾沌領域はこんなものじゃないよ。氷河が広がっていたと思ったら、瞬きした途端に火口になっていたりとかね」
「頭が変になりそうにゃー」
マオは難しそうな顔をして唸る。
実際のところ、渾沌領域は頭が変になる。
タクトとしても、あまり行きたい場所ではなかった。
渾沌領域にはおそらく〝なにか〟がいる。
それは当然、人類ではない。
かつて地球に現われた魔族とも違う。
得体の知れない、何者か、だ。
確証も証拠もなにもないが、タクトは渾沌領域を通るたびに、毛穴が開くような感覚を味わっている。
その〝なにか〟は、強いとか弱いとか、そういう尺度ではなく、とにかく得体がしれないのだ。
異質すぎて相容れない。
人間はゴキブリよりも遥かに強いが、しかしゴキブリを見ると恐怖を覚える。
強いて言えば、そんな感覚に近いだろうか。
「あれ? 急に木が消えて広くなったな。雑草すら生えていない……」
どこまでも鬱蒼と生い茂っていた木々が、ふいに消えた。
野球が出来そうなほどの面積が、空き地になっている。
外側には変わらず森が広がっているのだが、その場所だけは草一本、虫一匹いないのだ。
タクトは、そこに足を踏み入れた瞬間に魔力の残滓を感じた。
――かつて、ここで巨大なマギカとマギカが衝突した。
理屈ではなく、感覚でそう分かってしまう。
もちろん巨大といってもタクトや女神に比べたら矮小であるが、それは比べる対象がおかしいのだ。
いつの時代か――おそらくは数百年前にここで戦った二人は、街一つを容易く滅ぼせるだけのマギカを有していたはず。
その戦いによって周囲一帯に呪いがばらまかれ、生物が近寄れなくなってしまったのだ。
事実、タクトの手を握るマオは、小刻みに震えていた。
「ふにゃぁ……何だか寒気がするにゃ……」
「ここは、迂回した方がよさそうだ。俺はともかく、マオは辛いだろう」
「そうしてくれると助かるにゃ」
タクトとマオは引き返し、その広場の外周を歩いた。
しかしマオがはたと立ち止まり「にゃん!」と自分の手の平を叩く。
「どうしたんだ、マオ。俺の手を離しちゃ駄目じゃないか」
「思い出したのにゃ! 私が……じゃなくて魔王がこっちの世界に出現したのは、まさにここなのにゃ!」
そう言ってマオは生物のいない広場を指差した。
「ここが……?」
タクトも一緒になって広場を見つめる。
なるほど、この禍々しい気配は魔王に相応しいかもしれない。
だが、魔王にしては影響が軽微過ぎるだろう。
あれはかつて、地球を滅ぼしかけた怪物だ。
森の一角を汚染するだけで済むはずがない――と、そこまで考えて。
ああ、と呟き、タクトは自分の左手を見る。
魔王の力はほとんど全て、タクトに移ってしまったのだ。
よって、この場に出現した魔王は、いわば残りカス。
世界を滅ぼす力などあるはずもなく、この世界の魔術師でも何とか対抗できたかもしれない。
「マオ。ここで何が起きたんだ? 魔王はどうやってここに?」
「にゃー……どうやってと言われても、気が付いたらここにいたのにゃ」
タクトと同じだ。
タクトも気が付いたらアジールの庭に転がっていたのだ。
「そして何が起きたかというと……いきなり魔術師に襲われたのにゃ!」
マオいわく。
その魔術師は白髪の老人だったらしい。
あたかも魔王がここに出現すると知っていたように待ち構えていた。
そして魔王は、あらかじめ仕掛けられた結界と護符とゴーレムとホムンクルスの波状攻撃を喰らい――あっけなくグリモワールに封印されてしまった。
そのグリモワールが巡り巡ってアジールにやってきて、封印されていた魔王がマオになったのだから、世の中、何が起きるか分からない。
「その魔術師は……どうして魔王がここに来ると分かっていたんだろう?」
「それが、もともと次元回廊の研究をしていたらしいにゃ。それで、ここに次元回廊が開いて、何かが飛び出してくると事前に察知して、捕まえてやろうと頑張っていたらしいにゃ。グリモワールに封印されて、使い魔として使役されたときに色々教えてもらったにゃん」
「使役されてたのか……」
どうりで、グリモワールから出てきた魔王が怒り狂っていたわけだ。
魔族の王たる者が、人間の使い魔にされるなど、屈辱の極みだったはずだ。
そしてタクトは、そんなことをやってのけた魔術師の技術に畏怖と敬意を覚える。
「色々思い出してきたにゃ! その魔術師のアジトはこっちにゃ!」
マオはそう言ってタクトの腕を引っ張った。
どうやらカマルの森に来たのは無駄ではなかったらしい。




