44 おはようさんにゃ
タクトは、窓の外から聞こえてくる小鳥の鳴き声で目を覚ました。
時刻はおそらく、六時半ごろ。
もうしばらく惰眠を貪りたいが、カーテンの隙間から差し込む光が、もうすっかり朝だと訴えてくる。
それに八時には店を開けねばならない。
八時きっかりに客が来るなど考えにくいが、それでもタクトのプロ意識が堕落を許さなかった。
ゆえに体を起こそうとしたのだが――なにやら、まとわりついてくる物体があった。
布団をはがして見ると、やはり。
そこには小さな少女がいて、タクトにしがみついてスヤスヤと寝息を立てていた。
年の頃は十歳前後。
驚くほど白い肌に、腰まである漆黒の髪。
息を飲むほど整った容姿だが、なによりも特筆すべきは、その頭部に生えた猫耳。そしてパジャマの裾から伸びる尻尾であろう。
彼女の名はマオ。
その正体は人間ではなく、ホムンクルス。
つい三日ほど前にこのアジールにやって来た、新しい家族である。
「うにゃぁ……」
「マオ。朝だよ。ちゃんと起きないと、店長みたいな駄目な大人になるぞ」
タクトはしがみついてくるマオを引きはがし、それから肩を揺すって起こそうと試みる。
しかしマオは「うにゃうにゃ」と呟くばかりで、一向に起きる気配を見せない。
「おーい」
「……にゃぁ……あと三十分だけ、にゃ……」
マオはそう言って、手探りでタクトが使っていた枕をたぐり寄せ、今度はそれを抱きしめ、再び夢の世界に旅立っていった。
「しかたのない奴。まあ、店長よりはマシだけど」
店長のクララメラは、起きている時間より寝ている時間のほうが長いという、ぐーたらの極地にいる存在だ。
それに比べたら、少しの寝坊など論ずるに値しない。
第一、マオが早起きしたところで、やってもらうことは特になかった。
クララメラのようになっては困るが、常識の範囲内で睡眠を楽しむがよかろう。
「さてと」
マオの愛らしい寝顔を見ながら、タクトはパジャマから普段着に着替え、一階に降りていく。
顔を洗って歯を磨き、裏のハーブ畑に水をやり、それから自分とマオの朝食を作る。
「今日はスクランブルエッグにするか」
本当は白米に味噌汁、焼き魚に納豆という組み合わせが理想なのだが、こちらの世界だとなかなか口に合う米が手に入らない。
味噌の製法は確立さていないし、納豆となれば更に絶望的だ。あのようにネバネバした食べ物、日本人しか口にいれようとしないだろう。
別にこちらの世界の食糧事情が悪いという話ではなく、種類の問題だ。
ときたま襲われる、発作。
タクトの体がラーメンや牛丼を求め、胃腸がむせび泣く。
ああ、やはりタクトは、是が非でも次元回廊を開き、こちらとあちらを行き来できるようにしなければならない。
などと詮無きことを考えている間に、二人分のスクランブルエッグは完成した。ウインナーと一緒に盛りつけ、ダイニングのテーブルに並べる。
丁度そのとき、ドタドタと、誰かが階段を降りてくる音が聞こえた。
「タクト、おはようさんにゃ!」
現われたのは口調からも分かるとおりマオだ。
ただし、先程までのパジャマ姿ではなく、黒いロングワンピースに白いエプロン――いわゆるメイド服を着ている。
タクトがマオのために買ってきた服だが、別にタクトがメイド服フェチだから選んだのではない。
セラナのせいでたまたま目についたから、なのだが。
実際に着せてみると、予想以上に似合っていた。
それを見たクララメラは珍しくやる気を出し、お尻のところに尻尾を出すための穴を作ってくれた。
マオ本人もメイド服を気に入ってくれたようで「服にふさわしく、沢山お手伝いするにゃ!」と気合いを入れている。
しかし残念ながら、今のマオは家事手伝いとしても頼りなかった。
そもそも身長が低いから高いところに手が届かないし、アジールにある調理器具全般が魔力を前提として作られているから、料理を任せることも出来ない。
また洗濯は、タライと洗濯板による力仕事だから明らかに向いていない。
となれば消去法で掃除くらいしか向いていないが、これもちゃんと教えてやらないと無理だろう。
よって今のマオは、マスコットとして機能しているだけだ。
タクトとクララメラのみならず、常連の客たちも元気なマオを見て和んでいる。
――いや。
タクトがマオを購入した真の目的は、魔王の記憶を引き出すことにあった。
それさえ順調なら他の物事は些事である。
しかしマオはマオであり、自分が魔王だという自覚がないし、実際違うのだ。
そのせいか、なかなかタクトが知りたい情報が出てこなかった。
「おはようマオ。ちゃんと起きてきて偉いじゃないか」
「マオは有言実行なのにゃ!」
そう言ってマオは猫耳と尻尾をピコピコ動かす。
マオは元々表情豊かで、そこに裏表はない。が、それ以上に耳と尻尾の動きが感情を表わしている。
機嫌がいいと今のように動き出すし、悲しいときは垂れ下がり、怒ったときは毛が逆立つ。
だからマオの耳がピコピコしていると、こちらまで嬉しくなってしまう。
「スクランブルエッグ作ったけど、食べるよね?」
「当然にゃ! タクトが作ったものは何でも美味しいにゃ!」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど。今度、君をちゃんとしたレストランに連れて行かないとね」
料理の腕を褒められて悪い気はしない。
だが、タクトが作るものはどれも簡単な品ばかりだ。それを至高の料理の如く語るのは、あまり良いことではないだろう。
せっかく自我を持っているのだから、もっと視野を広げてやりたい。
「うにゃぁ。やっぱり美味しいにゃー」
マオはスプーンでスクランブルエッグをすくいながら、幸せそうな顔で呟く。
耳と尻尾は動きっぱなしだ。
「粉チーズをかけてみる? もっと美味しくなるよ」
「にゃにゃ!? これ以上すごくなったら……マオのほっぺは溶けてしまうにゃー」
それは大変。
だがタクトは遠慮せず、マオの皿の上で粉チーズの缶を振った。
するとマオの鼻はチーズに反応し、クンクンと匂いを嗅ぐ。
そして――
「にゃにゃんと! これは凄いにゃ! 凄いですにゃ!」
「喜んでくれて俺も嬉しいよ」
もはやマオは手と口を止められないといった様子で、一心不乱にスクランブルエッグを食す。
更にウインナーをバリバリと噛む。
これも絶叫。
何を食べても歓喜。
もっとも、マオは三日前に動き出したばかりなのだから、見るもの食べるもの全てが新鮮なのだ。当たり前といえば当たり前の話。
「はふー、ごちそうさまでしたにゃー。今日も一日、頑張れそうにゃ」
「それはどうも。ところでマオ。君を――いや、魔王を本に閉じ込めたその魔術師がどこに住んでいたのか。思い出せた?」
お互い朝食を食べ終わったところで、タクトはその話題を切り出した。
するとマオは――
「あ、そうにゃ、思い出したにゃ! タクトに教えようと思っていたのに、朝ご飯が美味しすぎて忘れていたにゃん!」
と、二重の意味で嬉しいことを言ってくれた。




