34 暴走進行中
露出したグリモワール。そのページが空中でパラパラと捲れる。
意味不明の記号が書き連ねられた紙があらわになった。
マジックアイテムの動力源という想定されていない用途に使われ、なおかつシンシアの未熟な制御が重なった結果。
魔物を封印するための魔術回路が今、完全に無力化され――
グリモワールを中心に突風が巻き起こった。
「な、なんですの!?」
杖の所有者たるシンシアは、何が起きたのか分かっていないらしく、腕で顔を覆って風を防ぐ。
しかし、そんなことをしている場合ではないのだ。
あの本に封印されていた魔物は『そこにいる』というだけで、呪いを撒き散らす。
それこそ、このコロシアムにいる人間を皆殺しにするくらいの力がある。
なのに観客たちは自分に死が迫っていると気が付かず、リング上の新たな展開に目を輝かせていた。
「――仕方がない」
タクトは応急処置的に、観客席とリングの間に防御結界を張った。
これで客たちは守ることが出来る。
問題はリングにいるセラナとシンシアだ。
しかしグリモワールからは黒いモヤが溢れ出していた。
見るからに危険である。
それが黒い巨人と融合し、下半身を形成していく。
上半身だけだった巨人に足が生え、のっぺりしていた顔に真紅の瞳が浮かび上がった。
やがて巨人はグリモワール自体を取り込んで――強烈なマギカを放った。
そう、マナではなく、マギカ。
自律した意志を持っている証だ。
「おい、なんか変じゃねーか……?」
「あの巨人をみていると、すげー不安になってくるんだが……」
客席からそんな声が上がってくる。
魔術の心得がない者が見ても、危険を感じてしまうほどの禍々しさ。
だが、タクトが結界を張っているからこの程度で済んでいるのだ。
まともに直視すれば、嘔吐し、血を吐き、ほどなくして死ぬ。
そして、結界の内側にいるセラナとシンシアは、巨人の呪いを直に浴びている。
どちらも並の学生を越えた力を持っているとはいえ、このままでは危ない。
そのことを学園の教師たちも察したらしく、五人ほどの集団が客席の最前列まで走ってきた。
「いかんぞ。詳細は分からんが、あれはマギカを放っている――シンシアに扱えるものじゃない!」
「くそっ、誰だこんなところに結界を張った奴は! 助けに行けないじゃないか!」
「早く結界を分解しろ!」
「だ、駄目です……信じられないほど強力な結界です。こんなの見たこともありません!」
と、教師たちは頼りない発言をする。
あの魔物は、学園の教師レベルで戦える相手ではないのだ。
そこで黙って見ていてもらおう。
あの二人を助けることが出来るのは、この会場内でタクトのみ。
ゆえに、フェンスと結界を乗り越えリングに飛び込もうとした、そのとき――。
巨人がシンシアを向き、赤い瞳を光らせた。
「なんですの! なんですの!? どうして勝手に――」
シンシアは尻餅をつき、震えながら壊れた杖を巨人に突き出す。
だが既に巨人はシンシアのコントロール下を遠く離れている。
彼女には、もうどうすることも出来ない。
そして、至近距離で目を合わせたことにより、呪いはシンシアを直撃する。
「ひっ!」
シンシアは全身を痙攣させ、目は焦点が定まらず、滝のように涙が流れる。鼻水が止まらず、口からは泡を吹く。
完全な恐慌状態。
そこから逃げ出す、という簡単な判断が出来ないほど意識が混乱している。
「まずい!」
タクトがリングに行く前に、シンシアが死んでしまう。
少々危険だが、客席から巨人を狙撃するしかない。
余波でシンシアを巻き込むかもしれないが、死ぬよりはマシとあきらめ、我慢してもらおう。
そう考え、タクトは腕を突き出し魔法陣を広げた――
しかし、タクトが魔術を使用する前に、セラナが動く。
「うりゃああああ!」
呪い渦巻くリングの上で、セラナは気合いの掛け声とともにライトニング・ブレードを握りしめ、巨人へと駆けていく。
無茶。無謀。自殺行為。
そもそも地力が違う上、呪いを喰らっているせいでセラナの顔は蒼白。脂汗だらけ。
確実に返り討ちにされる。
セラナの声に反応した巨人は振り返り、迎撃のために拳を握りしめた。
――彼女はなぜ、わざわざ声を出して自分の存在を?
それはもちろん、シンシアを守るためだろう。
ならば、セラナを守るのはタクトの役目。
「アミュレット起動」
タクトは胸に下げたペンダントのルビーを握りしめ、そこに刻まれた魔術回路に魔力を流す。
それはセラナがくれたルビー。
今、彼女も同じ形のルビーを首に下げている。
セラナのルビーには、自動防御の魔術回路が刻まれている。
当然、巨人の攻撃にも反応して防御を行なうだろう。
しかし、セラナ自身の魔力が少ないために、防御結界は容易く貫かれる。
ならば、外部から補強してやればよい話。
タクトが自分のルビーに刻んだのは、そういう魔術回路だ。
「リンク開始」
タクトのルビーからセラナのルビーへ、赤い腺が伸びていく。
それはマギカの伝達。
セラナの魔力を使って張られた防御結界に、タクトの魔力を流し込み劇的に強化する。
「はッ!」
セラナは飛び上がりライトニング・ブレードを振り下ろす。
だが、それよりも巨人の拳が速い。
蒼い光の刃が届く前に、黒い拳が少女を叩き潰す――その刹那。
タクトの魔力で強化された結界が、巨人の拳を跳ね返した。
「!?」
巨人以上にセラナ自身が驚きの顔を浮かべるが、剣士の本能が彼女の体を突き動かした。 まさに稲妻の如く打ち下ろされる唐竹割り。
それは巨人の肩を切り裂いて、そのまま胸まで食い込んだ。
が、そこで止まってしまう。
セラナの魔力が足りない――というより、見習いの杖が限界を迎え、真ん中から折れてしまったのだ。
「あっ!」
触媒が壊れたことでライトニング・ブレードも消えてしまい、セラナは攻撃の途中でリングの上に着地してしまう。
巨人の傷はみるみる塞がっていく。
セラナは無傷の巨人の前に丸腰で立つはめになった。
絶体絶命。
しかしタクトは、こうなることを読んでいた。
すでに次の手を打っている。
「セラナさん、新しい剣だ!」
タクトはセラナがライトニング・ブレードを振り下ろす前から、それを手に持ち、投げる動作に入っていた。
足元にずっと置いたままにしていた、手製のマジックウェポン。
かつて、とあるダンジョンで拾った名も無き名剣に、サンダードラゴンの骨から作ったダイヤモンドを埋め込んだ魔法剣。
タクトがセラナのために作ったものだ。
「タクトくん!」
槍投げの要領で、剣をリングへと。
客席を守る結界を易々と通り抜けて、セラナの眼前に落ちる。
それは丁度、手にとって振りやすい位置――。




