33 決勝戦開始
さて。
つい勢いでセラナに十万も突っ込んでしまったが。
実のところ、彼女が絶対に勝つという確証はなかった。
さりとて他の客のように、必ずシンシアが勝つと思っているわけでもない。
ようは五分五分……いや、四割……三割くらいはセラナの勝ち目があるはずだ。
根拠はいくつもある。
まず装備はともかく、本人の魔力量はセラナの方が優っている。
それからセラナには、アジールで買った本の知識がある。
そして何よりも、タクトですら遠く及ばない剣技がある。
シンシアの召喚獣を〝剣だけ〟で捌けと言われたら、タクトは絶対に断る。
しかしセラナならあるいは。
むしろ下手に魔術師らしく戦おうとせず、杖を剣に見立て、剣士として戦った方が遥かに強いだろう。
問題なのは、セラナ本人にそうするつもりがあるのかどうか。
なにせこの戦い、誰かの命や金銭がかかっているわけではなく、たんに学園で一番強い生徒になれるという名誉だけの大会だ。
負けてもいいから魔術師らしく戦いたいとセラナが思うなら、口を挟む権利など誰にもない。
たとえ十万イエン賭けていたとしても、だ。
――それにしても。
シンシアの杖が放つマナに見覚えがある。
いや、あるどころか、あれは確実にタクトがチャーリー・バルフォアに売ったグリモワールと同等のものだ。
それを証明するかのように、杖の先端には本一冊が収まりそうな飾りがついている。
新しいマジックアイテムを作ると言っていたが、まさかそれが学園のトーナメントに出てくるとは思わなかった。
そして、もう一つ気になるのは、あのグリモワールを学生が制御可能なのか、ということだ。
確かにタクトはグリモワールに封印を施し、滅多なことでは暴走しないようにした。
そして、あの名匠チャーリー・バルフォアが、マジックアイテムの動力源として調整し直したのだ。
しかもシンシアがこうして持っているということは、彼女のために作ったと考えるべき。
となれば、タクトの心配は杞憂――のはず。なのだが。
なぜだろうか。
胸騒ぎがする。
今からでも遅くはない。
自分の足元にある『コレ』をリングに向かって投げようか。
いやいや。シンシアのように初めから持ち込んでいたのならともかく、途中で客席から差し入れするのは反則感が大きい。
そもそもルール上、許されているのか……?
やはりタクトは大人しくしていよう。
今日は応援に徹するのだ。
「セラナさん! 頑張ってくださいっ!」
タクトが声を張り上げると、リングにいるセラナが親指を立てて応えてくれた。
ただし視線は正面のシンシアに向けたまま。
その横顔は凛々しく、タクトは少しドキリとしてしまう。
そして――
「試合開始!」
審判が叫ぶと同時に出現する黒い腕。
ああ、間違いない。
前の試合では油断していたが、こうしてジックリ見ると、巨腕そのものだ。
シンシアの真横。何もない空間から生えるその腕は、五本の指でセラナより大きな拳を作り、尋常ならざる速度で突き出される。
まるで砲撃。
直撃すれば場外まで飛ばされてしまう。
テンカウント以内に復帰すれば問題ないが、普通なら気絶して終わりだ。
それに対して、セラナが取った行動は。
真っ向勝負である。
黒い腕が出現するのと同時に――正確には試合開始と同時に、テーゲル山で巨人を倒した『ライトニング・ブレード』を出し、迎撃の姿勢をとっていた。
見習いの杖から伸びる、蒼い光の刃。
それが獣じみた反射神経で黒い巨腕を捉え、野球ボールのように打ち返した。
沸き立つ観客。
「うおおおおおおおおおおおおっ!」
それはセラナを称える響きだ。
自分のことじゃないのに、タクトは何だか嬉しくなってしまう。
黒い腕は空中に飛び上がり、そのままコロシアムの外まで飛んでいきそうな放物線を描く。
だが、腕は空中で止まり、シンシアの元へと帰ってきた。
「ふふふ……流石はセラナさん。有象無象の生徒と違い、この一撃を凌ぐのですね。ええ、それでこそ、わたくしのライバル」
「な、何を笑ってるのよ! あんたの攻撃は、もう見切ってるんだから! 私と闘う前に奥の手を出したのが運の尽きね!」
まさに、それだ。
タクトも初見は驚いたが、こうして二回目になると、目が慣れてしまう。
学生レベルの戦いでこれほどの威力と速度、奇襲性を持った技が出てくるとは驚きだが、そうだと分かっていれば、対処のしようなどいくらでもあるのだ。
ところがシンシアは口に手を当て不気味に微笑む。
「あらあら。奥の手とはいったい何のことですの? わたくしの奥の手とは……これのことですわ!」
シンシアは鉄杖の底でリングを叩いた。
甲高い音が響き渡る。
それによって黒い腕は痙攣するように震え、そして伸びていく。
腕の付け根から、肩が生えてきた。
何もない空間なのに、まるでドアの隙間から潜り抜けてくるように。
頭が、胴体が、そしてもう一本の腕と、巨大な体がリングの上に現われる。
ふと気が付けば、巨大な上半身がそこに浮いていた。
腰から下がないのに、それでも三メートルはあるだろう。
シルエットが炎のように揺らぎ、実態が掴めない。
どうやら召喚獣ではなく、グリモワールの魔力で作り出した人工精霊のようだ。
それにしても、何と力強い。
これほどの人工精霊を生み出すには、膨大な魔力と複雑な演算が必要だ。
しかし学生であるシンシアがそれらを用意できるはずがない。
シンシアは杖に刻まれた魔術回路を起動させただけだ。
それだけで、あの巨人が顕現した。
流石はチャーリー・バルフォア。
見事と言うより他にない。
だが、いくら何でも、学生にあの巨人を制御可能なのだろうか?
あの杖の補助はそこまで強力なのか?
巨人を生み出すことは出来ても、まともに操れるとは到底思えない。
下手をすれば、暴走する。
しかし、タクトが考えているようなことは、チャーリーならとっくに分かっているはず。
ちゃんと安全機構が搭載されているのだろう。
ただ、暴走しないようになっているのと、巨人を自在に操れることはイコールではない。
セラナの勝機はそこにある。
「セラナさん、攻めて!」
タクトの叫びが聞こえたのかどうかは分からない。が、セラナはライトニング・ブレードを構え、巨人へ向かって走った。
「うふふ。素晴らしい勇気ですわセラナさん。しかし、体格差は圧倒的ですわ!」
突如、巨人の腕に黒い剣が生える。
それは走るセラナの頭上に振り下ろされた。
同時にセラナもライトニング・ブレードを振り上げる。
闇と光の交差。
シンシアの言うように体格差は圧倒的。
セラナが潰されて終わる――という観客の予想を裏切って、蒼い光の剣は、巨人の剣を弾き返した。
「な、何事ですの!?」
「悪いけど、腕だけだったときのほうが速くて厄介だったわ。あなた、これを制御し切れてないみたいね!」
セラナは笑みを浮かべ、よろめいた巨人に追撃をしかける。
目が覚めるような横一文字斬り。
それにより黒い巨人が両断され、セラナの勝利が確定する――と思われた、そのとき。
シンシアの右手にある鉄の杖が、ひび割れた。
グリモワールが露出する。
ああ、何ということだろう。
タクトの施した封印措置が、消えていた。




