24 次元回廊
「店長。ただいま戻りました」
「すぴー……すぴー……」
店内には幸せそうな寝息が漂っていた。
発生源は、この国を渾沌から守ってくれる偉大な女神クララメラ。
その彼女がカウンターに突っ伏し、惰眠を貪っていた。
「まったく……本を盗まれたらどうするつもりなんですか。コソ泥ごときじゃ二重結界を越えることは出来ませんが……とにかく、ほら。店長。起きてください。寝るなら自分の部屋でお願いします」
「うーん……むにゃむにゃ……あら、タクト……お帰りなさい……」
そう答えるクララメラだが、目覚めたとは言い切れない。
体を起こさず、薄ボンヤリした目だけをタクトに向け、ハッキリしない口調で呟く。
おそらく脳の半分も覚醒していないだろう。
この状態のクララメラに何を言っても無駄だ。
酔っ払いを相手にするようなもの。
幸い、暴れたりはしないので、放っておけばいい。
「仕方ない。今日はもう遅いし、店を閉めて、組合から来た目録に目を通すか」
クララメラの隣に腰を下ろしたタクトは、ハサミで封筒を空ける。
中に入っていたのは、百ページほどの冊子だった。
トゥサラガ魔導古書店組合に加入している古書店の、在庫目録。その六月号だ。
これがあれば、自分の店にない本でも、他の店から取り寄せて、客の要望に応えることが出来る。
タクトは早速、新入荷の欄を開き、食い入るように見つめた。
組合に加入している店は、アジールを除けば、十二店。
だが、どの店もタクトが望む魔導書を入荷していなかった。
分かっていたこととはいえ、つい、ため息が漏れてしまう。
「ん……タクトぉ……いい加減あきらめたら? 『次元回廊』の本なんてあるわけないじゃない。あったとしても、それは第一種グリモワールだろうから、古書店なんかに出回らないわ」
いつの間にか目覚めていたクララメラは、うーんと背伸びをしつつ、目録を睨むタクトをたしなめる。
「次元回廊は魔術師の世界に伝わるおとぎ話。女神である私ですら、お目にかかったことはないわ。そもそも異世界って何よって感じ。そんな怪しげなものを探してないで、もっと楽しく生きなさい。タクトの才能なら、何だって出来るんだから」
それはきっと、正論。
ただし、この世界にとっての正論、だ。
いかに長い時間を生きていても、クララメラはこの世界で生まれ、この世界で死んでいくことに変わりない。
ゆえに彼女にとっての『世界』とは『この世界』だけであり、『異世界』などというものは、与太話の類い。
しかし古来から、魔術師の間で『異世界』という幻想が語り継がれてきたのも、また事実。
その異世界に行くための手段。
世界と世界を繋ぐための究極魔術。
それが次元回廊である。
成功した記録は、皆無。
基礎的な理論ですら、皆無。
ただ「あったらいいなぁ」という願望だけが拡大し続けていた。
ようは魔術師の都市伝説だ。
本気で研究し始めたら、仲間から変人扱いされ、魔術師としての評価は地に落ちる。
しかし。
タクトはその異世界から来たのだ。
自分がなぜ転生してしまったのかは、いまだに不明。
だが、異世界が存在する以上、次元回廊だって否定しきれないだろう。
そして次元回廊を自在に開くことができたなら、タクトはこちらの世界と地球を、好きなように往復できる――かもしれない。
「店長は、俺の話をまだ信じていないんですね」
「うーん……だって異世界よ、異世界。そりゃまあ、タクトが生後半年で言葉を喋って、あまつさえ『おれのなまえは、すめらぎたくと』と名乗ったときは腰を抜かしたし。一歳の時点で私を超える魔力を持っていたのは、それこそ異世界から転生してきたくらいの理由がないと説明が付かないけど。それにしてもねぇ……」
クララメラの口調は歯切れが悪い。
信じてあげたいけど、やはり無理という複雑な思いがありありと伝わってくる。
無理もないことだ。
タクトだって、自分が地球にいたときに「私は異世界から転生してきました」と言われたら、「何を言っているんだこいつは」という反応をする。
それでも異世界は実在する。
かつてタクトが地球で過ごした記憶は嘘じゃない。
その証拠に――
「この紋章がある限り。俺は自分の前世を信じます」
タクトは右の手の甲に魔力を集中させる。
浮かび上がる、青く輝く二枚の翼。
かつて魔王と戦った力の象徴。
最強の異能者『勇者』の印。
女神が表情を引きつらせるほどの不純物。
そこに宿るマギカの量は、この樹の特異点から吹き出すマナの総量を凌駕している。
そのような現象、この世界ではありえないと断言できる。
大地に生まれた人間が、大地を凌駕する力を持つなど、道理に反している。
だが、タクトの力を育てたのは、こことは違う別の大地。別の世界。
もう一度、地球の大地を踏みしめたい。だから次元回廊をあきらめない。
もし探求の果てに次元回廊がないと証明されてしまったら――タクトが一から作り出せばいいだけの事。




