23 運送屋さん
魔導古書店アジールの店番は、店長であるクララメラに任せてある。
つまり実質的には、閉店しているのと同じだ。
なにせ彼女は開店時でも、カウンターに突っ伏して眠ってしまう。
そうなると客が来ようと雷が落ちようと、本人が満足するまで絶対に起きない。
そして案の定。
困り顔で店の前に座っている女性が一人いた。
真っ黒なマントに、真っ黒な三角帽子。
赤いおかっぱ頭。見た目、二十歳前後の活発そうな美人。
草むらの上で膝を抱え、ホウキを転がして遊んでいる。
無論、楽しくてやっているのではなく、暇で暇で耐えられないから仕方なくそうしているのだろう。
「エミリーさん。お疲れ様です」
タクトが声をかけると、彼女はパッと表情を明るくし、勢いよく立ち上がった。
お尻についた草をパンパンと払いながら、軽やかな動作で駆け寄ってくる。
「やぁやぁ、タクトくん。待っていたよ。クララメラ様は相変わらず、声をかけても揺すっても起きてくれないし。だからといって荷物を黙っておいていくわけにもいかないし」
外見どおりの明るい声。
スレンダーな体型に、キビキビした手足の動き。
少年のような印象を与える女性であるが――しかし。
森の二重結界を越えてくる実力と、街にいる他の魔術師たちの証言から考えるに、おそらく彼女の年齢は三十歳を超えている。
しかし本人は「永遠の十七歳」と言い張っていた。
「済みません。店長が『今日は絶対に寝ないわ』と自信たっぷりに宣言していたので、店を開けたまま出かけたら……このザマです。しかし不在票を置いていってくれてもいいんですよ? エミリーさんだって忙しいでしょうに」
彼女、エミリー・エイミスは、空飛ぶ運送屋だった。
このララスギアの街を中心に、大手の運送業者の下請けとして活動している。
「なぁに。今日の仕事はもう終わったよ。ここが最後。だから時間はたっぷりあったんだ。それにタクトくんの顔を見たかったからね。君のためなら私は何時間でも待つよ」
「おおげさな。俺にそんな価値はありませんよ」
「おや、謙遜かな? タクトくんがいなかったら、私は相変わらず極貧生活を送っていただろう。君が教えてくれた冷凍魔術のおかげで、大好きな官能小説を沢山買えるようになった」
「そうですか……それは良かったですね……」
女性が官能小説コレクターであることを自慢げに語るのは、いかがなものか。
ちなみに冷凍魔術と官能小説がどのような関係かといえば、実のところ至極単純。
ことの発端は、一年ほど前のある日。
タクトは元日本人として発作に襲われ、刺身が食べたくて食べたくて死にそうになっていた。
しかし、このララスギアは海から五十キロ以上離れており、新鮮な生魚など、なかなかお目にかかれない。
海まで飛んでいけば食べることは可能だが、刺身を食べたくなるたびに街から出るというのも億劫だろう。
ならば他の魔術師に物流を確保させるというのはどうか?
しかし普通の魔術師の飛行速度など、せいぜい時速二十キロ程度であり、馬車に毛が生えたようなもの。
冬はともかく、夏に鮮度を保ったまま運搬するのは至難のわざだ。
そこでタクトは、店に配達に来ていたエミリーに目を付けた。
上手いこと言いくるめ、三日間で冷凍魔術の基礎を叩き込み、それを使って漁村から生魚の直輸入をやらせることに成功する。
生魚はタクトの行きつけの食堂に卸し、刺身定食として出す。
タクトは刺身を食べることが出来て大勝利。
エミリーは生魚運搬という副業ができて大勝利。
食堂も刺身定食で客を呼べて大勝利。
全員大勝利のミラクルというわけだ。
「今日も帰ったら読むんだ。どうだい、タクトくんも一冊。そろそろエッチな本に興味が出てくる年頃じゃないかい?」
「興味が出たとしても、異性からそういうのを借りたくはないですね」
「そうか? 私は一向に構わないが……ああ、そうだ。肝心の配達物を渡さないとな。タクトくんにセクハラしに来ただけになってしまう」
「セクハラだという自覚あるんですね」
エミリーはマントの裏から、大きな封筒を取り出した。
差出人は、トゥサラガ魔導古書店組合。
目録在中とスタンプが押してある。
「確かに受け取りました。お疲れ様です」
「うむ。これで今日の仕事は全て終了。もう少しタクトくんと会話したいが……なにせ官能小説の積読本が私を待っている! さらばだ!」
人間との会話よりも官能小説を優先させたエミリーは、マントを翻して飛んでいく。
はたして、どんなジャンルの官能小説を読んでいるのだろう。
少し気になるが、尋ねると深い闇に引きずり込まれそうなので、やめておくのが吉である。