02 買取り依頼
既に桜の花は全て散り、そろそろ半袖に衣替えしようかという五月の半ば。
「買い取って欲しい魔導書がある」
魔導古書店アジールにそんな手紙が届いたのは、タクトが十四歳になってから半年が過ぎた頃だった。
差出人は超大物。
人間として尊敬できるかはともかく、確実に金は持っている。
ゆえに、久しぶりに大きな仕事になりそうだ――と、舌なめずりをしてしまう。
そこでタクトは、魔術師らしさを演出するため半袖シャツの上に黒いローブを着て、更に木製の杖を手に取る。
なにせタクトは、転生したおかげで、まだ子供。
しかも、どういうわけか、十四歳という年齢から考えても小柄な方だ。
別に栄養失調というわけでもないのに。
子供が舐められるのは、タクトがかつて暮らしていた地球でも、こちらの世界でも同じ。
だが、それが魔術師となれば、多少なりとも敬意を払ってもらえる――可能性がある。
ゆえに、魔導古書店アジールの店員として出かけるときは、必ず黒いローブと杖を装備して出かけることにしている。
そして今日向かう先は、あまりよい噂を聞かない連中のたまり場。端的に言えばギャングのアジト。
法外な高利貸し。禁止された麻薬の密売。地上げ。風俗店経営。みかじめ料の徴収――などなど、かなり大ぴらに活動し、役人との繋がりも強いと言われている。
その名はアルファーノ・ファミリー。
まともな神経の人間なら、可能な限り避けて通る組織。
そんなアルファーノ・ファミリーの本拠地に呼び出されたというのに、タクトはまるで気負わず、鼻歌すら奏でていた。
「一応、出かけることを伝えるため、店長にメモを……いや、いいか。どうせ二階でぐーすか寝たまま起きてこないだろうから」
タクトは古ぼけた木製の扉に鍵をかけ、臨時休業の札をかけ、そして――森の結界強度を最大まで上げる。
タクトが勤め、そして住んでいる魔導古書店アジールは、森の中に建っていた。
それほど深い場所ではない。森の入り口から歩いて十分程度といったところ。
しかし、魔術の心得のない人間が来店することはあり得ない。
なぜなら『迷子』と『圧力』の二重結界がかけられているから。
たとえ一般人が何かの拍子にアジールの存在を知り、面白半分で来店しようとしても、迷子の結界により辿り着くことは一生不可能。
また魔術師であっても、圧力の結界により押し返され、それを突破する程度の魔力を持っていなければ途中で力尽きてしまう。
必然的に魔導古書店アジールに来店する客は、選別された魔術師となる。
もっとも、それは開店時間の話。
閉店時間や休業日は、結界強度を限界まで上げている。
それこそ、タクトや店長以外は出入り出来ないほど。
超一流と呼ばれる魔術師ですら、この結界を突破するのはまず不可能。
そんな超高密度結界の中を、タクトは平然と歩く。
土を踏みしめるのが心地好い。
太い根が大地を浸食するように伸び、岩も木も苔むし、一面が緑色。
木の葉の隙間から差し込む光が線を描いている。
この森にもともと住んでいる動物たちには結界が効かないよう調整してあるので、小鳥の鳴き声も聞こえてくる。
よって、ときにはイノシシやクマと遭遇することもあった。
しかし、この森に立ち入る魔術師ならば、野生動物を殺さずに無力化する手段を持っていて当然。
かくして森は、ほぼ手つかずの自然のまま何千年も残っている。
そんな鬱蒼とした木々の中を飛び交う、光る粒子があった。
黄金。蒼色。深緑。
色あいは様々だが、実態はどれも同じ。
その名を『光虫』という。
一見、蛍とも似ているが、蛍は昼間から光を放ったりしない。
そもそも、光虫は物理的な実体がなかった。
虫と名付けられているが、生物ですらない。
その正体は魔力の塊。
この世界の五カ所に存在する、マナの噴出場所。通称『樹の特異点』の付近に漂っているマナの粒を、人々は光虫と呼んでいる。
本物の虫以上に無害で無力だが、幻想的であるため愛されている。
たんに綺麗なだけでなく、光虫が漂う場所は、人類が生存可能な場所だという証明にもなるのだ。
タクトはそんな光虫を眺めながら、やがて森を抜けてララスギアの街に出た。
ララスギアは魔導古書店アジールがある森――すなわち樹の特異点を中心にドーナツ状に作られた街。
人口十万人の大都市であり、トゥサラガ王国の王都であり、魔術師協会が設立した魔術学園がある学園都市である。
トゥサラガ王国は、ララスギアの街から四方に150ラトケメル。地球の単位に直せば直径300キロメートルほどに広がる国だ。
その外側には光虫がいない。
つまり、人が住めない『渾沌領域』となっている。
トゥサラガ王国以外の人類居住区域となれば、遙か数千キロメートルの彼方だ。
その中心部にも当然、樹の特異点が存在する。
この世界の人類は、五つ確認されている樹の特異点を中心とした、狭い場所にしか住むことが出来ない。
それどころか、混沌領域を越えて、国から国へ移動することからして困難を極める。
強力な魔術師。あるいは混沌領域に耐えうる乗り物でなければ、一歩踏み出しただけで絶命は必至。
混沌領域を越える能力、ないし手段を有していたなら、貿易業で一生食っていくことが出来るだろう。
実はタクト自身も、混沌領域を越える能力を持っている。
事実、古書を仕入れるため、隣の国まで飛んでいったことがあった。
しかしタクトは、旅をするより一カ所に腰を据える方が性に合っているらしい。
この街そのものを気に入っているし、何よりも拾って育ててくれた店長への恩もある。
貿易業に転職するのは、魔導古書店アジールが潰れてからのことだろう。
そしてタクトはアジールを潰すつもりなど毛頭なかった。




