01 最強勇者、転生する
――おかしいぞ。俺は魔王と戦っていたはずなのに。
皇城拓斗は混乱しながらも立ち上がろうとした。が、体が思うように動かない。
ただ地面に横たわって、空を仰ぐことしか出来なかった。
どうやらここは森の中で、時刻は夜らしい。
見上げる先には、やけに大きな満月と、降りそそぐような星屑の海。
日本ではなかなかお目にかかれない光景に、拓斗は目を奪われる。
ああ、まるで手を伸ばせば届きそうな――。
いや。これは本当に、近い。
星に見えた光の粒のいくつかは、木よりも低い位置を飛んでいる。
木の葉の手前を通り過ぎて、その淡い光りで広葉樹を照らし出す。
――蛍、か?
しかし、その光の中。
雪が、しんしんと降り積もっていく。
冬に蛍の群れが飛んでいるというのはあり得ないだろう。
ならば、今はいつ? ここはどこなのだ?
記憶が繋がらない。
体が動かない。声も出ない。
拓斗はわけもわからず呆然とし、寒さに震えていた。
すると、ふいに。目の前に少女の顔が現れた。
「あら? あらあら? どうしてこんなところに〝赤ん坊〟がいるのかしら……?」
それは十八歳かそこらの少女。
透き通るような水色の髪に、黄金の瞳。
絶句するほど美しい少女が、しゃがみ込んで拓斗の顔を不思議そうに覗き込んでいた。
いったい誰なのだろう。いや、それよりも。
――赤ん坊?
拓斗を見ながら『赤ん坊』と彼女は言った。
確かに今の拓斗は動けず、声も出せない無力な存在だ。
しかし、だからといって赤ん坊と呼ばれる筋合いはない。
抗議のために叫ぼうと、喉と腹に渾身の力を込める。
すると飛び出したのは、鳴き声だった。
おぎゃぁおぎゃぁと、赤ん坊の泣き声が自分の口から飛び出した。
「まあまあ大変。どうしましょう。お客さんの赤ちゃんかしら……? でも閉店時間はとっくの前だし……」
少女はそう言いながら、拓斗の体を抱き上げる。
こちらは十六歳の男なのに。それなりの体格だというのに、軽々と。
彼女がとてつもない力持ち――というわけではなく。
むしろ、拓斗の体が酷く小さくなっている。
現に、この華奢な少女の腕にすっぽりと収まっているではないか。
意味が分からない。
この泣き声は本当に自分の口から出ているのか?
違う。自分は赤ん坊などではなく。そもそも、こんなところで寝ている場合ではなく。
日本を、世界を守るため、奴にトドメを刺さなければ――。
そう訴えるため、拓斗は身をよじる。
しかし、やっと動かせたのは腕一本。
それを少女の顔に向けて伸ばす。
驚くほど小さな小さな手だった。
これは間違いなく赤ん坊のものだ。それも昨日今日生まれたばかりの赤ん坊。
――違う。あり得ない!
拓斗はパニックに陥り、手に力を込める。
それは筋力ではなく、魔力。
手の甲に青い光が走り、そこに『勇者』の紋章が浮かび上がった。
それを見て、自分は力の全てを失ったわけではないらしいと分かり――ゆえに、この小さな手が自分のものだと納得してしまう。
理由も経緯も皆目見当つかないが、これは自分自身なのだ。
そうやって拓斗が現実を目の当たりにし放心していると、少女もまた紋章を見つめて目を細める。
先程までこちらを心配する慈愛の瞳だったのに。
疑惑に染まり、敵意に近いものすら浮かべていた。
無理もない。
この紋章が放つ魔力は、勇者の象徴。
魔王すら凌駕する、人類最強の証。
「あなた……本当に人間……?」
少女は声を低くし、拓斗を睨みつける。
もちろん人間だ、と答えようとして。
結局、漏れるのは――おぎゃあっ!
情けない声。
泣き出した拓斗を見て少女は困り顔を浮かべ、必死にあやそうとゆっくりと体を揺らす。
「ああ……ごめんなさい、ごめんなさい。私が怖い声を出したからビックリしちゃったのね。だけど、本当にあなたは誰なのかしら……」
拓斗は「お前こそ誰なんだ」と思いながら、しかし今の自分はこの少女に頼らなければ、凍えて死ぬしかないと理解していた。
声が出せず、四肢が短く、立ち上がる体力すらない。
赤子とはこうまで無力なものか。なぜ自分がこんな姿に?
何も分からない。混乱するばかりだ。
そして拓斗は、少女に抱きかかえられ、森の中にある館に連れられていく。
その扉の奥は暖かいランプの光に照らされていて。本棚にびっしりと本が並んでいて。
ああ、それはまるで古書店のようで――。