日誌2日目―放課後 ~千客万来~―
振り切った追っ手が来たのかと、緊張で空気が凍りつく。
「天寺君、いる?」
声を聞いた瞬間、天寺は緊張から解放された。ホッと息を吐き、それから気がついたように返事をしながら立ち上がる。
「はい、います」
早足でドアへ近づいて施錠を解除してドアを開けると、ポニーテールの女子生徒――生徒会長が立っていた。
「大変なことになってるみたいね。大丈夫?」
「……どこで知ったんですか?」
質問に質問を返すと、生徒会長はスマートホンを取り出して見せた。画面にはウェブニュースのページが表示されており、
『WANTED! この男を捕まえてください』
と始まる見出しの記事で、実名は伏せられているものの散々なことが書かれている。
「………」
「こういうことよ。生徒会の仕事を終わらせて外に出てみたら、とんでもない騒ぎになってたから驚いたわ」
絶句する天寺を前にスマートホンをしまい、生徒会長はため息をつきながら言う。
「もちろん、この記事に書かれた事を鵜呑みにしてないわ。…天寺君が、こんなことをするわけないもの……」
後半が小声になったことが気になったが、なんとなくスルーして頭を下げた。敵が多くなってしまったなか、信じてくれる人間が一人でも多いことは心強い。
「信じてくれて、ありがとうございます」
「……ええ、どういたしまして。この事は、生徒会が早急に対処します」
何だか不満そうな口調で言い、生徒会長は視線を移動させた。彼女の視線が捕らえたのは、イスに座っている女子生徒だった。
「ところで、そこにいる女の子は誰かしら? もしかして、あの記事に書かれた被害を受けた子?」
少し剣呑な声。なんらかの厳しい感情が矛先として向けられる。
「あっ…、その…」
「相談者ですよ。今、話を聞いていたところで」
戸惑う女子生徒に、少し軽い調子で助け舟を出した。すると、生徒会長は何かをあきらめた様子でため息をつき、髪を掻き揚げて背中を向けた。
「そう、お邪魔しちゃったみたいね。……お取り込み中みたいだし、今日のところは帰らせてもらうわ」
「はい、また明日の昼休みにでも来てください。今度こそ、お茶を用意して待ってます」
天寺が苦笑して返事すると、何も言わずに去っていく。
その背中が階段を降りていくのを見送っていると、誰かが階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。
追っ手が来たのかと思い、慌てて部屋に飛びこんでドアを閉める。
「ちょっと待ったぁ…!」
ストップをかけられたが、ドアを閉めて施錠してしまった。ドアが、がちゃがちゃと音を立てて揺れる。
「ちょいっ、俺だよ俺! 開けてくれ!!」
切羽詰った男子生徒の声に女子生徒が怯えて縮こまり、天寺の背中越しにドアを見つめる。
「……誰だ? 俺には、俺俺詐欺をされるような覚えはないぞ?」
聞き覚えのある声に、呆れたように突き放すことを言いながらも施錠を外そうとした。
「私のことを忘れたの? 私のことを捨てて、その女を選ぶつもりなのねっ!?」
まるで浮気をした男を責めるような口調に変わった。拒絶反応で寒気が走り、施錠を外そうとしていた手を戻してしまう。
しばらくドアを見つめた後、反転してイスへと向かった。背後からドアを叩く音と必死な声が聞こえてくるが、無視して女子生徒の隣に座る。
「追われてるんだって! お願いします。早く中に入れてくださいっ…」
しばらく無視し続けると、聞こえてくる声が情けないものに変わった。
「あの…、入れてあげたら?」
さすがに可哀そうになってきたのか、女子生徒が聞いてきた。その質問に答えないで目を閉じると、困惑したようにドアと天寺を交互に見始める。
やがて耐え切れなくなったのか、立ち上がってドアへ近づいて行った。そして、施錠を外してドアを開けた瞬間、
「助かった!」
「きゃっ!?」
男子生徒が飛び込んできたて、女子生徒は驚いて尻餅をつく。そのことを気にも留めずに走りぬけ、男子生徒は肩で息をじながらイスに座った。
「雨堂、大丈夫か? いったい何があった」
さっきまで無視してたことを詫びる様子もなく、天寺はスマートホンを取り出しながら声をかけた。
「いやー…、ちょっと親友のために立ち回ったら大人数に追い掛け回されて……」
「なるほど、状況はよくわかった。さっさと出て行け」
机に突っ伏して説明する雨堂をバッサリと切り捨てた。
「ひどっ…! 俺、お前のために体を張ったんだぜ!? 俺たち親友だろ!?」
途端、ガバッと起き上がって大げさなリアクションで懇願してくる。
ちなみに、女子生徒は立ち上がったもののドアの前に呆然と立ちつくし、ポツンと一人だけ話題から置き去りにされていた。
「本当、追われてるんだって! ここから放り出されたら、行き場が無いんだよ!」
女子生徒を置き去りにしたまま、二人の言い合いは白熱していく。
「それは、お互い様だ。それに、お前が追われてる原因の発端は俺だ」
おそらく、雨堂が追われているのは天寺を捕まえるためだ。
人間に追いかけ続けられ、巣へ戻る小動物を捕まえる原理と同じだ。この部室に彼が来た時点で、その原理は完成したも同然。
元から騒ぎが収まるまで篭城するつもりだったが、時間に余裕が無くなってしまった。
「じゃあ、庇ってくれても仏罰は下らないって!」
状況を理解せず必死に主張する友人に、半眼になって溜め息をついた。
「……そもそも、事態を収拾しようとしたところで変に割り込んで来たから、余計に事態がややこしくなったんだ」
例えるなら、燃え盛っている炎に自分から飛び込む自殺行為みたいなものだ。
「完全に自業自得だろ」
だからこそ、反省を促す目的も含めて突き放す。
「そう言わずに頼むって! ここから放り出されたら……」
あきらめずに食いつき、必死の形相が一変して真剣な顔つきに変わる。今までみたことのない友人の表情から発せられる雰囲気に呑まれ、天寺は思わず耳を傾けた。
「…女の子を口説くための顔を台無しにされる」
「………」
そして、一秒後に後悔した。あまりにも馬鹿馬鹿しくて、懇願を斬り捨てる気力も無くなってしまう。
「それどころか、女の子に口説いてもらえなくなるかもしれない」
「……今まで、口説かれたことがあるのか?」
普段なら相手にしない冗談にツッコミを入れてしまうぐらいに、気力が削がれてしまっている。
「いや、無い」
「……そうか」
思い出してみれば、雨堂蓮は深刻な事態でも無い限りは冗談を混ぜるお調子者だった。何かを悟ったように、天寺の顔から表情が消える。
「いや、そこはツッコミを入れるところだって」
「…どうでも良くなった。お前に反省を促そうとした俺が間違ってたよ」
気力が抜けきって遠い目をする天寺の様子に、お調子者の雨堂もさすがに困惑した。
「……えーっと」
調子に乗りすぎたことを自覚し、バツの悪い顔で頬を掻きながら視線を彷徨わせる。そして、救いの女神を見つけた。
「そういえば、そこにいる子が例の被害者なのか? お前が襲ったっていう。うん、確かに襲いたくなるな」
「…えっ? い、いえっ、違います! 襲われてなんかいません!!」
女子生徒は顔を真っ赤にして否定し、自分の肩を抱くようにして部室の外へ後ずさった。まるで威嚇する子犬のようだ。
「……なんか、すごくカワイイ。でも、襲うのは非紳士的だよな? ここは、やっぱり口説くところから――」
顎に手を当て、真面目腐った顔で馬鹿なことを思案する雨堂の横面に、ハリセンが叩きこまれた。イスから転げ落ち、ゴロゴロと転がって壁にぶつかる。
鋭い音が部室に響き、外へと抜けて行く。
「ほぉ? 私の晴崎に手を出そうなど、ふざけたことを言うとは」
いつの間に現れたのか、女子生徒の友人が机の上に乗っていた。
一秒まで遠い目をしていた天寺は、驚いてイスを倒す勢いで立ち上がった。部室の外にいる女子生徒は、目を丸くして唖然としている。
「どうやら死にたいようだな…。晴崎に無礼を働いた男共々、成敗してくれる!」
そう宣言し、机を蹴って雨堂へと躍りかかる。ハリセンを頭上へと振りかぶり、倒れている彼の顔に目がけて振り下した。
「ま、待っ…きゃっ!」
「なっ……きゃっ!」
「ぐえっ…、ぐおっ……」
気迫と共に振り下されたハリセンは、雨堂には当たらなかった。しかし、彼はハリセンで叩かれるよりもヒドイ目にあった。
状況を説明すると、女子生徒がハリセンを振りかぶっている彼女の友人と雨堂の間へと駆けこんだ。当然、空中では身動きの取れない。友人が彼女にぶつかり、二人は一緒に倒れ込んで雨堂を下敷きにした。
ハリセンは空中で咄嗟に手放したのだろう。彼女たちの近くへ落ちる。
「晴崎、大丈夫か!?」
すぐに一番上で覆いかぶさるようになっていた女子生徒の友人がどくと、女子生徒を心配して肩を掴む。
「う、うん。大丈夫だよ、安奈ちゃん」
雨堂をクッションになったおかげで、二人は無事のようだ。そのことに安心しながら、天寺は近づいていった。
「………大丈夫か?」
とりあえず心配して残る一人に声をかけると、手をひらひらと振った。どうやら大丈夫なようだ。
武器が手近にあると襲われるかもしれないので、落ちていたハリセンを拾って下に誰もいないこと確認してから窓の外へと放り投げた。
その時に気になる物が視界に入ったので、気になって身を乗り出してみる。
「ん? ……なるほどな」
梯子が窓の近くにある木の太い枝にかかっていた。おそらく、女子生徒の友人はこの梯子を使って侵入してきたのだろう。
(でも、何で梯子なんか使ったんだ?)
疑問に思うことがあり、瞬時に思考へと移行する。そして、すぐに答えが導き出された。
それを確認しようと振り返ると、女子生徒が友人に体をまさぐられていた。くすぐったそうに悶えるが、嫌がっているように見えない。
「……なんというのか、この二人の関係を友情と言っていいのか?」
おそらくケガが無いか確認しているだけなのだろうが、天寺は百合的な場面を見て微妙な気分になり、思わず呟かずにはいれなかった。
倒してしまったイスを戻して座り、その光景をしばらく見守ることにする。