日誌2日目―放課後 ~相談~―
ようやく階段を上りきって部室に入った頃には、脳が茹であがるぐらい沸騰していた。女子生徒をイスに座らせ、呼吸を整えながら自分も座った。
「すぅ、はぁ…。すぅ、はぁ…」
ようやく落ち着いた頃には、女子生徒は居心地を悪そうにしていた。視線がぶつかると、すごい勢いで顔をそむける。
(…少し、強引すぎたか)
包囲網から抜け出して追っ手を振り払うためとはいえ、無理やり連れてきてしまったのだから、戸惑うのは無理もない。
「ここにいれば、しばらくは大丈夫なはずだ。…だから、安心してくれていい」
安心させるように言いながらも、表情は固いままなので逆効果だった。落ち着き無く、視線をさまよわせる。
その様子を見た天寺は、苦手な青汁を飲んだような表情になった。
友人の雨堂とふざけ合う以外は、真面目を貫き通しているので、営業スマイルとかは苦手なのだ。
「まあ、そんなに緊張しないでくれ。…なんというか、その、居心地が悪い」
あきらめずに緊張を和らげようと声をかけ、表情を緩めようと努めた。が、慣れていないせいかぎこちない。
それでも効果があったのか、一瞬だけ女子生徒と目が合った――かもしれない。
「とにかく、無理やり連れ込んで悪かった。……頼むから、そんなに緊張しないでくれ」
慣れない営業スマイルは逆効果だと判断し、机すれすれまで頭を下げた。
こんなことで頭を下げると、プライドがどうとかいう話になるかもしれない。が、それはそれだ。
これで落ち着いてもらえなかったら、心は折れないだろうが、確実にへこむだろう。
「……えっと、その、頭上げて?」
戸惑ったような声が、頭の上から聞こえてきた。
言われたとおりに頭を上げると、まだ若干居心地が悪そうにしていた。
「その、ごめんね。私が杏奈ちゃんに話したせいで、あんなことになっちゃって」
本当に申し訳なさそうに謝ってくるので、肩をすくめて軽く言う。
「いや、俺の言い方も悪かっただろうし。気にしてない」
あんな大騒ぎになるなんて、誰にも想像できないだろう。それに、ほとんどが生徒たちの暴走だ。目の前にいる女子生徒に責任があるわけではない。
特に怒る理由も無く、罪悪感を感じていた相手を責めるのは間違いだろう。
「でも、まだ追いかけられてるよ? 私が杏奈ちゃんに話したりしなかったら……」
しかし、よほど責任を感じているらしく、表情は暗いまま俯き加減だ。
――パンッ
とっさに手を打ち鳴らし、その音に女子生徒が驚いて顔を上げる。
「その話は、ここまでにしよう。起こったことは仕方がない。なら、それを最小限に留める努力をするべきだ」
「でも…」
「でも、じゃない。ここで後悔してしたって、鬼ごっこが終わらない」
また反省に戻ろうとするのを言葉で遮り、しっかりと視線を合わせた。
視線を合わせるということは、相手の意識を引き寄せるということだ。今、女子生徒の意識は天寺に引き寄せられた。
「なんにせよ、まずは話を聞かせてくれ。そのために、ここに来たんだろ?」
現状打開の一歩へと導くため、手を差し伸べる代わりに言葉をかける。見つめ合った状態のまま数秒が経過し、意を決したように女子生徒は頷いた。
「実は――」
始まった話に、天寺はただ黙って耳を傾ける。
「私、あがり症なんです。普段は大丈夫なんですけど、授業中に当てられた時とか頭が真っ白になっちゃうんです。ひどい時は気絶しちゃったり。それで、何とかしようと思ったんですけど……」
そこで彼女は口をつぐんだ。それでも、言葉の続きは想像できる。
(失敗したんだな)
色々と試してみて、ことごとく失敗した。それで行き着いた先が、この活動内容不明の相談部ということらしい。
「だから、荒療治することにしたんです」
「…荒療治?」
いったい何をしようとしているのか気になり、思わず聞き返してしまった。真剣な表情で女子生徒は頷く。
「はい、思い切った活動をしてみれば、あがり症もなくなると思って。……本にも書いてたから」
どうやら自分で考えるだけでなく、本に書いてある方法も試しているようだ。自分なりに試行錯誤し、何とかしようとしている。
(なら、……何で相談なんかしにきたんだ?)
だからこそ疑問に思ってしまう。どんな方法も効果が無かったから相談に来たのかと思っていたら、まだ試してない方法を試しているらしい。
もちろん、あがり症については本人の心理的問題で、相談されてもどうにかできるわけない。
「……それで、その活動っていうのはどういうものですか?」
疑問に思うことはあるが、今は相談にのっている立場。疑問を頭の中から追い出し、相手の話を聞くことに専念する。
「学園を楽しくする活動です」
「……は?」
いきなり、とんでもない方向に飛躍した。
突拍子もない言葉に、思わず間の抜けた声を発してしまう。
「あっ…、違いました。より楽しくするための活動です」
訂正を聞いても、その内容が一ミリも理解できない。脳がフリーズしかけるが、なんとか持ちこたえた。
「……えっと、それは学園に不満があるということですか?」
まず、相談に来た理由と今の「もっと学園を楽しくする」発言から、その意図を探るような質問をする。
「いえ、…不満はありません。ただ、もっと楽しくなればいいと思ったんです」
答えを聞き、振り出しに戻ってしまう。
女子生徒の様子から、嘘を言っているようには見えない。そんな彼女が天寺には、掴みどころの無い相手のように見えた。
「……じゃあ、その「もっと学園を楽しくする」活動の具体的な内容は?」
えたいの知れない相手に、少しだけ警戒しながらの別方向からのアプローチを行うと、女子生徒は固まった。それから、落ち込むように俯く。
「…えっと、それが、全く思いつかなくて」
「………なるほど」
芽生えた警戒心が、呆気なく雲散霧消した。
女子生徒の分りやすすぎるリアクションに、天寺は無意識に苦笑を浮かべる。
「ということは、それを相談しにきた。ということか…」
思わず素に戻って推測を述べると、それを裏付けるように女子生徒は頷いた。
(さてと…、それがわかったのはいい。でも、これはこれで困ったな……)
相談の内容は、「どうすれば、もっと学園を楽しくすることができるか」だ。そもそもの目的である「あがり症を治す」とは、全く別次元すぎる。
「あがり症を治す」というだけでも、それなりに難しいだろう。だが、それを遥かに上回っている。一瞬、天寺は断ることを考えたぐらいだ。
あまりにも突拍子すぎる相談に、困惑して視線を彷徨わせる。すると、時計のある壁とは逆の壁にある貼り紙が視界に入る。
(相談部の信条から、乗りかけた相談には最後まで責任を持たなければならない――らしい。……ここまで聞き出しといて、断るのも気が引けるしな)
〈お人好し〉という文字が頭に浮かんだが、隅に追いやって無視する。あきらめに似た心情で、小さく息を吐いた。
「わかった。……じゃあ、これから一緒に考えてみるか」
言った瞬間、顔を上げてパァッと表情が明るくなった。
「うん!」
(うっ……)
期待に輝く目を見た瞬間、少しだけ後悔する。
なんだか、ずぶずぶと泥沼に沈んでいくような気がしないでもなかったが、天寺は思考を開始した。
「まず、「もっと学園を楽しくする」というのが大前提だ。正直、これだと具体性に欠ける」
「…うん」
曖昧すぎる前提を修正し、方針を明確化させる必要があった。あくまで活動を立ち上げるのは自分ではないので、思考を口に出して伝える。
「この前提を中心に考えると、学園を利用する人間が対象になる。……つまり、生徒や教師だな」
「……そうだね」
女子生徒は真剣な顔で相槌を打ち、自分も思考しているようだ。
「この学園に通う生徒数は、一クラスだけでも百人。全学部と教師をあわせてもで十万人はいる」
「うっ……」
十人十色の校風と学部の多さで人気が高い。そんな学園での無謀さを改めて認識したのか、女子生徒の表情が強張った。
「これだけの人数を対象にするとなると…、まず一人だと無理だな」
「はうっ…」
断言すると、女子生徒はダメージを受けたような声を出した。そのことは気にせず、天寺は話を進めていく。
「とりあえずの目標として、協力者を集めることだな。宛はあるか?」
「……一人だけ、お願いしている人がいるの」
「そうか…、それでも足りないな」
「うぅ~~」
現実をつきつけられ、女子生徒は子犬のように唸り始めた。少し涙目になっているが、フォローを入れずに続ける。
「まあ、なんらかの方法で集めた方がいい。例えば、ビラ配りとか」
言ってから、天寺は頭の中に浮かんだのはウェブニュースで見た記事だ。続報が少しだけ気になっているが、頭の片隅に押しやっておく。
「えっと、ビラ配りはやってるんだけど…」
(……もうやってたのか)
女子生徒は、制服のポケットから折り畳まれた紙を取り出した。開き、恐る恐るといった様子で机の上に置いた。
「これが、そのビラなんだけど……」
「………」
視界に入ったのは、女子生徒が自分で描いたらしきコミカルな絵。そして、その上に書かれた文章。
『より楽しく生きてみませんか? 手伝ってくれる人を募集しています』
見覚えがあるどころか、間違いなく確信してしまう。そして、その確信が間違いであると知りながらも口に出してしまった。
「……宗教活動の勧誘か?」
「違いますっ!」
顔を真っ赤にし、女子生徒が即答。子犬が唸るように上目遣いで睨まれ、天寺は居心地の悪さに耐え切れなくて目をそらした。
(……意外なところで、真相が明らかになったな)
ウェブニュースのことが頭に浮かんでいたこともあり、どう声をかけていいのか分からなくなる。
「うぅ~」
「あー、その、なんというか…頑張ってたんだな」
「うぅぅ~~」
なんとか言葉をひねり出したが、それでも女子生徒は睨むのをやめてくれない。それどころか、涙目になって居心地の悪さが増した。
「……すまん、悪かった。だから、そんな目で見ないでください」
頭を机にこすりつけるぐらいまで頭を下げ、敬語を使って謝罪した。女子生徒と対して頭を下げてばかりな気もしたが、気にしないことにしておく。
「うぅ、…別にいいもん。自分でも、少し変だと思ってたもん」
頭を下げているので表情までわからないが、声だけでも明らかに拗ねていることがわかる。
(……少しどころじゃないけどな。…って本人に言ったら、余計に機嫌を損ねるだろうな)
と疑問に思ったが、頭を下げたまま思うだけに留めてツッコミを入れなかった。
「…学園をより楽しくしよう。なんて書いたら、生徒会の人に嫌な思いさせちゃうかもしれない。と思って一所懸命考えたのに」
「……ごめんなさい」
これ以上の状況悪化を避けるには、余計なことを言わないように気を遣わなければならない。変なことで緊張感が高まるのを感じ、天寺は冷や汗をかき始めた。
「これ配るときだって、すごく緊張したんだから」
「……本当に申し訳ない」
ふて腐れたように続く女子生徒の言葉に、ひたすら頭を下げ続ける。
どうにか状況を改善しようと考えるが、残念なことに普段から人付き合いを最小限にしているため、全く思いつかなかった。
(なんとか、元の話題に誘導しないとな……)
このままだと相談が終わらない。そうなると、この場所に連れてきた意味が無くなってしまう。
だが、無情なことに言葉が出てこない。拗ねる女子生徒を前に、頭を下げたままの状況が続いていたところ――
――コンコン
不意にドアがノックされる音が響き、頭を上げることになった。女子生徒も拗ねるのをやめてドアの方を見て固まる。