日誌2日目―放課後 ~逃走~―
――放課後、授業が終わって教室から出た天寺は、少し小走りで部室へ向かっていた。もしかしたら、昨日の女子生徒が来るかもしれないからだ。
昼休みに部室に行ったが、昨日の女子生徒は来なかった。
(名前ぐらいは聞いておくべきだったか……)
反省しながらも、大図書館の入り口前で膝に手をついて深呼吸する。
授業が終わってからここまで来るのに五分弱かかったが、授業が休講になっていない限りまだ来てないはずだ。
そう自分に言い聞かせながらも鍵を握りこんで建物に入り、本には目もくれずに部室を目指す。
幸いと言っていいのか、まだ女子生徒は来ていなかった。そのことにホッとしながらも、複雑な気分になる。
部室の鍵を開けて入り、換気のために窓を開ける。
「………」
鞄を机の上に置いてイスに座り、時間が自然に過ぎ去っていくのを待った。次第に眠気が意識を浸食し始め、体が傾きかけたところで目を覚ます。
女子生徒がいつ来るかわからないので、居眠りをするわけにはいかない。
ただ待っているだけだと、また眠りかけてしまうかもしれない。何かすることはないかと考えながら部室を見回し、隅に置いてあるホワイトボードが目にとまった。
最後に見たのはいつだったか、と記憶を辿りながらイスから立ち上がる。
ホワイトボードには、居眠りしているときに来た相談者の名前と連絡先などが書けるようにしてある。
近づいて見てみると、意外なことに三つほど用件が書いてあった。横に書かれた日付を確認してみると、先月の終わりのようだ。
「……ずいぶんと物好きがいるんだな」
正直な感想を言いながらも、書かれている用件に目を通す。連絡を入れた方がいいだろうと考え、さっそくスマートホンを使って電話をかけた。
一件目は、食堂の新入生歓迎キャンペーンの手伝い。すでに終了しているので、苦情を聞いて終わった。
二件目は、猫探し。まだ見つかっていないので、早く探してほしいと頼まれた。
三件目は、勉強方法についての相談。教師や先輩に相談し、自力で解決済みだった。
一通り電話をかけ終えたので、解決済みの用件を消していく。残った一件を赤のマーカーで囲んで作業は終了。
振り返ってみると、いつの間に入ってきたのか三毛猫が机の上にいた。
「また来たんだな。そんなに、ここが気に入ってるのか?」
猫は何の反応も見せずに、いつもの位置へと移動して丸くなる。
「待ち人未だに来ず、か」
そう思いながら、イスに座ってウェブニュースを見てみると、最新のニュースで女子生徒の背中が映っている画像があった。
タイトルは、「謎の宗教活動? ビラ配りで勧誘」と書かれている。興味半分で記事に目を通してみた。
記事によると、「より楽しく生きてみませんか? 手伝ってくれる人を募集しています」と書かれたビラを、昨日から女子生徒が配り始めたらしい。
目的は不明で、近いうちにインタビューをする予定だと書かれている。
(……続報に期待してみるか)
他に目ぼしいニュースが無いか見ていると、ドアをノックする音が聞こえた気がして顔を上げた。
――コンコン
どうやら気のせいではなかったらしい。
(ようやく待ち人来たる、か)
ウェブニュースを閉じ、スマートホンをしまって言う。
「どうぞ」
ドアが開き、入ってきたのは緩くウェーブをかけて栗色の髪を持つ女子生徒だった。
待ち人来ず、と訂正しながらイスに座りなおす。
「失礼します」
礼儀正しく礼をし、背筋を伸ばしたまま歩いて来てイスに座った。
「今日は、友人の代わりに相談しに来た」
それを聞いて再び訂正。来たると来ずの間に認識を置きなおした。
見た目に似合わず、固い口調を聞いて背筋が自然と伸びる。
「そうですか。…じゃあ、さっそく聞かせてもらえますか?」
「わかった。…でも、その前に私の友人に謝罪してもらえないか?」
「…えっ?」
いきなり言われたことに聞き返してしまった。
謝罪、その言葉に思い当たることは――ないこともないが、繋がりがはっきりしていないので、確証を持つことはできない――
「昨日、私の友人がここに相談に来た。…なのに、取り合ってもらえなかったらしい。間違いないか?」
と思っていたら、女子生徒の言葉で繋がった。
つまり、昨日の対応がまずかったせいで、本人の代わりに友人がクレームを言いに来た。ということらしい。
「ああ、間違いないよ」
元から謝罪するつもりだったので、ごまかさずに肯定する――と、女子生徒はスマートホンを取り出して操作した。
「もしもし、東雲だ。頼む」
女子生徒が言い終えると同時にドアが開いた。ぞろぞろと人が入ってきて机を半円状に取り囲む。
全員が女子生徒で、刃にも似た鋭い視線を天寺に向けている。何かきっかけがあれば、今にも襲い掛かってきそうな雰囲気だ。
「……これは、何のつもりだ? ここは相談の場で、こんな風に雰囲気が棘々しくされると迷惑だ」
できるだけ刺激しないように苦情を言う。
「これは念のための用心だ。男相手に、私一人では心もとなかったからな」
有無を言わせず、無言で謝罪するように求めてくる。
取り囲んでいる女子生徒の一人が、肩から提げていた細長い袋から何かを取り出した。
「言っとくけど、逃げられると思わないで」
「私たち、女の敵に容赦する気はないから」
正規の出入り口と左右は塞がれて逃げ場はない。後ろに窓があるが、下手したら木に飛び移る時に落ちてケガするかもしれない。
もっとも、最初から逃げるつもりなんて微塵もなかったのだから、そのことはどうでもいい。それより、今考えなければいけないことは、目の前の状況を穏便に解決する方法だ。
「それで、謝罪してもらえるのか?」
あくまで謝罪を要求し、鋭い視線は天寺を捕らえて離さない。
「わかった、謝罪はする。…だけど、その前にこっちの言い分も聞いてくれ」
例の女子生徒が来たときは下校時刻間際で、下校しなければ反省文を書かされる。そんな面倒は誰だって嫌だろう。
頬をいじられたり、脇の下をくすぐられたりしたのだ。見ず知らずの相手にそんなことをされたら、誰だって警戒するに決まっている。
対応の仕方が悪くなってしまったのは確かだが、それにはそれなりの理由がある。決して悪気があったわけじゃない。
そう言おうとしたら、空を切るような音が聞こえた。反射的にイスから転がるようにして飛び退く。
――パアァンッ
軽く小気味のいい音が響き、女子生徒が握っている竹刀がイスに当たっていた。
もし避けていなかったら、叩き割られることはないかもしれないが、脳震盪ぐらいは起こしていたかもしれない。
いよいよ焦りを隠せなくなり、額に冷や汗をかき始める。
「反省したと思ったら、…今度は因縁をつけて揺するつもりなのね!」
「……はっ?」
続いて後ろから再び風切り音。反射的にしゃがみ、頭すれすれを何かが勢いよく通り抜けた。
振り返ってみると、女子生徒がテニスのラケットを構えていた。
「この女の敵!」
「うおっ!」
再びラケットが一閃。とっさに身を引いてかわすも、鼻先をちりっとかすめた。額から、大粒の汗がしたたり落ちる。
背後に殺気を感じ、窓際へ飛び退くと竹刀が振り降ろされた。
「避けるな!」
ついでに無茶な要求を聞き流しつつ、話をしていた女子生徒の方を見る――と、唖然としていた。
「ま、まてっ。晴崎は暴力を望んでいない!」
どうやら予想外の行動だったらしく、焦って止めに入ってくれる――も、包囲網を形成していた女子たちは武器を手にして、天寺に襲いかかった。
「このっ!」
「女の敵!!」
前方は机、左右は女子生徒。この包囲網を抜けたとしても、ドアの前に女子生徒が立っている。逃げ場はない――こともなかった。
三十六計、逃げるに如かず。
(一か八か…!)
意を決して、女子たちに背中を向けた。そして、窓枠に足をかけて乗り越える。
「なっ…!?」
さすがに予想外の行動だったのか、女子生徒たちは驚いて足を止めた。
後ろのことを気にせず、天寺は窓の近くにあった木の枝を掴んだ――が、重力に従って枝がしなって手が滑りかける。
「っ! 危ねぇ…」
彼が飛び出したのは、四階の窓。そのまま落ちていたら、最悪だと骨折していたかもしれない。
飛び出した窓の方を見てみると、女子生徒の一人が顔を出していた。きょろきょろと見回し、目が合うと驚いて目を見開く。
そして、引っ込んだかと思うと何やら声が聞こえて扉の開閉音。どうやら、部室から出て行ったらしい。
(…さて、どうする?)
枝にぶらさがったまま下を見てみると、二階の高さまで下がっていた。飛び降りれなくもない高さだ。
女子生徒たちは、すぐに下に回ってくるだろう。そうなれば、再び襲われることは想像に難くない。
部室に戻ろうにも、この状況では無理だ。
飛び降りて逃げ回ったとしても、誤解が解けるとは思えない。
かといって、枝にぶらさがり続けるのは建設的ではない。
「あの、…何をしてるの?」
「ん?」
思考の最中に聞こえた声に反応し、首だけ動かして振り向く――と、女子生徒が困惑した様子で立っていた。
木の枝にぶら下がって考えごとをしている人間がいれば、困惑するのも無理はない。
天寺の思考は、「どうするか」から「どう説明するか」にシフトする。
数秒ほど思考しながら見つめ合っていると、女子生徒の顔に見覚えがあるような気がしてきた――が、今はそれを思いだしているような状況ではない。
「晴崎さん、女の敵から離れて!」
「みんな、晴崎さんを守るのよ!」
下に回ってきた女子生徒たちの声を聞き、頭の中に緊急信号が流れた。とっさに思考を行動へシフト。
枝から手を放して地面に着地すると同時に、脱兎のごとく走り出した。女子生徒たちから一気に距離を取った。
「待ちなさい!」
「なっ……!?」
横から聞こえた声に驚いて振り向くと、女子生徒が並走していた。
「逃げられると思った? 私は陸上部なの!」
少し自慢げな顔で言うのを無視して、急ブレーキをかけて右にターン。脇の茂みに飛び込んで突っ切る。
「あっ! こら、待ちなさ――」
相手が陸上部なら、走り続けたところで天寺の方がスタミナ切れになってしまう。なら、こうやって茂みを障害物にして、追っ手を振り切るしかない。
しかし、それは一時しのぎでしかなかった。
先回りされ、挟み撃ちされ、と追手があきらめる様子が無いのだ。あきらめるどころか、追っ手の数は増えていった。
(っていうか、何でこうなった…?)
そう思いながら、頭の中で状況整理を開始する――も、追っ手が現れて中断。
いつの間にか、追いかけているのは女子生徒だけではなくなっていた。空手部だか柔道部だか、体格のいい男子生徒も追いかけてきている。
「……ああ、もう、何でこうなった…!?」
そう口にせずはいられないほど、事態は深刻化していた。
多勢に無勢。この状況では、いつ捕まってもおかしくない。だからと言って、おとなしく捕まったところで誤解を解くことはできない。
女子生徒に感化された男子生徒の天寺に対する認識は、彼らの言動から「女泣かせの極悪非道」になっているからだ。捕まった後、どうなるか想像することは容易だ。
だから、今のところ逃げる以外に方法が無い。
何度目かの茂みに突入と同時に、誰かに手首を掴まれて引っ張られた。いきなりだったので、受け身を取ることもできず倒れる。
「おわっ!」
「きゃっ!」
驚きの声を上げると同時に、女子らしい悲鳴が聞こえた――と同時に、視界に女子生徒の顔が飛び込んでくる。反射的に身体をひねった。