日誌1日目―放課後 ~相談者~―
――五時間後、ノックの音を目覚まし代わりに意識が戻った。ただ体は眠ったままなので、起き上がるのにもう少し時間がかかる。
(あきらめて、帰ってくれ……)
望みも空しく、ドアは開いて人が入って来た。
リボンの色は赤色で、天寺と同じ二年生の女子生徒だ。
「あのー…、すみません」
遠慮がちに声をかけてくる女子生徒に、狸寝入りすることを決めた。もし本当に用事があるなら、明日にでも来るはずだからだ。
「あの、ここって相談部ですよね?」
寝ていると知りながらも、近づいてきて話しかける。
「…起きない。……どうしよう、困ったな」
横に立ったまま途方に暮れた様子になる。
そして、何を思ったのか机に突っ伏した頬をつっついた。指を押し当ててぐりぐりと動かし、頬を弄ぶ。
(……な、なんなんだ!?)
突然のことに困惑しながら、狸寝入りのまま女子生徒の気配をうかがう。
「一年生かな…? こんなところで寝てたら風邪ひくよ」
起こそうとして体を揺すってくる女子生徒の言葉に、天寺の額には青筋が立っていた。
線が細く、身長も低い。実際の年齢より低く見えられることは、今までに何度もあった。しかし、本人にとってはコンプレックスそのものでしかない。
悪気は無いのだろう。それは理解しているが、感情は別だ。
(……絶対に起きてやるか)
意地でも狸寝入りを続け、女子生徒が帰るのを待つことにした。
「起きない。…なら、少し失礼して」
ようやく揺するのをやめたので、あきらめたかと思った次の瞬間、脇に何かが触れた。その何かはもぞもぞと動き、皮膚に電流が流れるような感覚、鳥肌が立つ。
あろうことか、女子生徒は天寺の脇をくすぐり始めたのだ。
予想外すぎる行動に、困惑とくすぐったさで思考が真っ白になる。
(~~~っ!?)
「にゃぁ」
くすぐり攻撃という地獄から救ったのは、猫の鳴き声だった。
脇で蠢いていた手がピタリと止まる。
(た、助かった……)
肩で息をする天寺をよそに、女子生徒はイスの上にいる猫を見る。そんな彼女を見返し、猫は再び鳴き声をあげる。
「ご、ごめん。ただ起こしてあげようと思っただけなの」
責められていると思ったのか、猫に謝罪した。
猫と見つめ合ったまま数分が経ち、
――ピロロンッ、ピロロンッ
「きゃっ!?」
突然部屋に響いた音に悲鳴を上げ、女子生徒が派手に倒れた。
むくっ、と机に突っ伏していた天寺が起き上がり、ブレザーのポケットからスマートホンを取り出した。画面を操作してアラームをとめる。
髪を掻き回しながら、後ろを振り返って女子生徒の安否を確認した。そして、そのまま固まってしまう。
彼女のスカートが、見えるか見えないかという具合に捲れ上がっていたのだ。
「………」
「…いてて、びっくりしたー」
倒れた時に腰を打ったのか、さすりながら身体を起き上がる。
そんな女子生徒の無防備さに、注意しようかどうしようか迷いつつも、イスから立ち上がった。
(……見なかったことにしよう)
指摘して騒がれるのも面倒だったので、そう結論付けて手を差し伸べる。
「……大丈夫か?」
「あっ、…ありがとう」
女子生徒は頬を赤く染め、躊躇いがちに手を握ってきたので、引っ張って立ち上がらせてやった。
それから、窓の方へ歩いて行って開けると、猫が窓から外の木へ飛び移る。猫は挨拶するように鳴き、どこかへ行ってしまった。
「……じゃあ、俺は帰るから。取られて困る
物は無いし、戸締りの心配はしなくていい」
そう言い残して部屋から出て行こうとすると、袖が引っ張られた。
「あの、相談部の人だよね? その、部長さんとか先輩の人は?」
「…もう下校時刻だ。相談があるなら、明日の昼休みに来てくれ」
冷たく突き放すように言いながら手をはずし、ドアを開けて部屋の外へ出るように促してやる――と、女子生徒の表情が曇った。
「…う、うん。じゃあ、また明日ね」
ちくりと胸が疼いたが、規則は規則と割り切って呼び止めなかった。
女子生徒が階段を下りて行くのを見送り、部屋の鍵をかける。その時、部の名前が書かれたプレートに目が留まった。
「相談部…か」
彼女には何か相談したいことがあったのだろう。
相談というのは、簡単にできるものではない。友人や家族など、親しい人にも相談できないことだってある。
そんな悩みを抱え、実体の知れない部活に来たのだから、かなり勇気を振りしぼっていたことは想像に難くない。
さっきの女子生徒の表情を思い出し、再び胸に疼きを感じた。
罪悪感に苛まれながら、重い足取りで図書館を出ると、空には星が見え始めていた。夕暮れの暗い橙色が心に染みる。
(……とりあえず、明日の昼休みから部室に行くか)
暗く沈んだ感情に対する一応の対応策を出し、大きなため息をついて歩き始めた――ところで、
「あっ…、鞄を忘れた……」
気がつくも、すでに校舎は鍵がかかっていて後の祭り。踏んだり蹴ったりで、散々だと途方に暮れながら下校するはめになるのだった。