日誌1日目―昼休み ~昼寝~―
降り注ぐ春の暖かい日差し、聞こえてくる静かな波の音。
ここは東京湾に浮かぶ人工島。
「……ふわぁ」
穏やかな時間が流れる中、一人の少年が大きなアクビをした。
少年の名前は、天寺慧一。一見すると中学生に見えるが、これでも立派な高校二年生だ。そんな彼が歩いている場所は、この人工島にあるマンモス校〈彩虹学園〉。
彩虹学園は、十人十色を校風とする高校。授業のシステムは大学に似ており、自分の進路に合わせて自由に時間割を作ることができる。
「眠そうだな。そんな調子で午後の授業は大丈夫か?」
話しかけてきたのは、隣を歩いている友人の雨堂蓮。顔だちは性格を反映しており、お調子者のそれだ。
「今日は休講になった。そっちは、どうなんだ?」
「東方美術。これが、映像を見るだけで単位がもらえるんだよ」
自慢するように胸を張る友人に対し、天寺は感情のこもっていない声で言う。
「そっか、まあ頑張れよ」
「素っ気ないなー。少しは激励してくれよ」
言いながら肘でわき腹を小突いてくる雨堂に対し、お返しとばかりに少し強めに小突き返した。
「いってー」と、わき腹を抑える大げさなリアクションをする。
いつもと変わらない調子で話していると、予鈴が鳴った。
「んじゃ、行ってくる」
「ああ、行ってこい」
雨堂が去っていくのを見送り、天寺は明確な意志を持って歩き始める。そして、何を思ったのか空を見上げた。
「…それにしても、いい天気だな」
春の日差しが眠気を誘うのか、昼寝をする猫のように目を細めた――
「ちょっといいかしら」
ところで、凛とした声が聞こえて微睡みかけていた意識が覚醒する。
足を止めて振り返ると、少し離れた場所にポニーテールの女子生徒がいた。左胸には、花弁を模した七色のブローチが輝いている。
彼女の名前は、空木詩織。彩虹学園生徒会長だ。
他の生徒には無いカリスマ性を纏う姿は、誰もが目を離すことができない有名人だ。
「……どうも」
愛想の無い挨拶を天寺がすると、空木は苦笑しながら近づいてきた。
「あら、ずいぶん嫌われてるみたいね」
「そんなことありませんよ。いつも通りです」
とある理由で彼女に対して苦手意識を感じているのは確かだが、その程度で相手への接し方を変えることはない。仮にあったとしても、それは別のことが原因だ。
「そんなことより、俺に用事があるんでしょう?」
面倒臭そうに髪の毛をかき回しながら本題に入るように促すと、空木は表情は一変して真面目になった。
「……そうね。じゃあ、本題に入らせてもらうわ」
手を下ろして、天寺は聞く態度を示す。
「生徒会に入る気はない?」
彼女の口にした質問に「やっぱり」と思いながら、ため息を押し殺して返事をした。
「…すみません。俺に、生徒会は向いていないと思います」
今までにも、空木から生徒会に勧誘されたことはあった。そして、その度に同じように断っている。
「そうかしら? でも、学年一位の成績は充分な能力だと思うのだけれど」
それにも関わらず、彼女は生徒会に入れようとしている。
「成績と、その人の能力は関係ないと思います。…野球が得意だったら、サッカーが得意ってわけじゃないですから」
確かにテストは得意だ。しかし、それは彼の一面でしかない。その一面だけで判断すれば、後で大きな破綻を生みかねない。
少しずれた例えだったが、言いたいことは伝わったようだ。
「ええ、確かにね。でも、やってもみないで向き不向きを決めるものじゃないわ」
あきらめる様子はなく、彼女は天寺の方へ一歩近づいた。
「将来のためにも、生徒会の活動に参加することは有意義なことよ」
何度となく言われたことのある言葉に、今度こそ溜め息をついた。
生徒会長を相手に、無下にするほど神経は太くない。さらに、彼女の勧誘は押しが強く、話しかけたらすぐには解放してくれない。
この生徒会への勧誘が、彼女に対する苦手意識の原因だということは容易に判断できるだろう。
いっそのこと生徒会に入ってしまえばいいのだろうが、そうすることができない理由が天寺にはあった。
「俺は、無意味な過ごし方をしていますか?」
「部室に行って居眠りするのは、無意味では無いのかしら?」
質問に質問を返され、それが正論であるのは確かだ。ただ、それは一般的なものでしかなく、個人にも当てはまるとは限らない。
「…少なくとも、俺にとっては有意義な時間ですね。部室で居眠りする時間は、何にも代えがたい時間なんです」
視線と視線がぶつかり合い、互いの意思が無言で拮抗する。試合開始を告げるゴングのように、チャイムが鳴り響いた。
――見つめ合うこと数分、先に根負けしたのは空木の方だった。
呆れたような様子でため息をつき、困り顔で言う。
「…はぁ、また失敗ね。なんで承諾してくれないのかしら?」
「単純に興味が無いからです。…だから、あきらめてくれると嬉しいんですけど」
肩をすくませながら頼んでみるが、彼女は異性に対して魅力的な笑みを浮かべて、
「そうはいかないわ。あなたは、生徒会に必要な人材なんだから」
はっきり、きっぱりと拒否された。
これも毎回のことなので、あまり気にしない。
「じゃあ、私は授業に行くわ。天寺君、またアタックさせてもらうから」
そう言い残し、去っていく空木の姿を目で追いながら深く溜め息をつく。
(なんで、俺が必要なんだ? 他にも、優秀な人間はいるだろ)
いつものことながら、生徒会長の勧誘に疑問を感じる天寺だった。
考えるのも程々にして、目的地に向かって歩き始める。学校の中心にある広場を通り抜け、向かう先は敷地の東端にある建物。
五階建てのシックな建物で、屋根はドーム状になっている。中に入れば、その空間のほとんどは本棚に占領されているという驚きの場所だ。
ここまで説明すれば、誰でもこの建物が図書館だということは理解できるだろう。
だが、彩虹学園の図書館はとにかく大きい。どれぐらい大きいかというと、東京ドーム二つ分だと言われている。
この通称〈大図書館〉は、あまりにも大きすぎるので一般の人にも公開しており、学生でなくても利用が可能。
そんな図書館に入ったというのに、天寺は本に目もくれず階段を上がって行く。二階の読書スペースに寄りもせず、非公開の四階で階段を登るのをやめた。
事務室の前を素通りし、一つの部屋の前で立ち止まる。ドアには、〈相談部〉と書かれたプレートが貼ってある。
天寺はポケットから鍵を取り出し、鍵を開けて部屋の中に入った。部屋の中は机が一つとイスが六つあるだけで殺風景だ。
イスの一つに座ると、窓の方で音がした。
「…ああ、今日も来たのか」
立ち上がり、窓を開けると一匹の三毛猫が入ってくる。我が物顔でイスの一つに飛び乗って丸くなった。
いつもの事なので注意することも無く、隣のイスに座って猫の背を撫で、電池が切れたロボットのように天寺は意識を失った。
「すー、すー……」
一人と一匹の規則正しい寝息が部屋を満たし、時間は静かに過ぎ去っていく。