『長靴猫』
ある日、村の粉挽きの親方が大往生を遂げた。
生前に骨身を惜しまず働き、こつこつと貯めた財産は、親方の信望にはまるで及びはしなかったが、それでも三人の息子たちがしばらくは困らぬほどもあった。
しかし、金が匂えば欲が出る。
長男と次男それぞれに耳打ちした悪の囁きは、法の上では正当だった。
すなわち遺産の分配である。
法の名において、跡継ぎたる長男は粉挽き小屋と職業特権を得た。
次男は驢馬を貰い、長男を手伝う契約を結んだ。
では、末の息子である三男には、なにが?
本来であれば、それ相応の金を握らせ、独り立ちさせるべきだ。
だがしかし、労せず手にした大金が惜しくなった上の兄弟は、公証人と代訴人に鼻薬を嗅がせ、公的手続きをでっちあげた。
経営に携われない三男と、寝てばかりいた飼い猫は同時に家から追い出された。
「やれやれ、困った。けれど、猫よ。お前という友達がいるだけでも、私はまだ幸せ者だね」
上の兄弟からは役立たずと罵詈雑言を浴び続けていた猫だったが、三男の思いやり深い言葉を聞き、胸が熱くなった。
「ご主人。私に長靴を一足拵えてくださいませんか」
「おや、お前、話が出来たのかい。長靴の件は別に構わないが、いったいどうしてそんなものが要るんだい?」
「ご主人の本当の幸せを探しに行くためです。必ずみつけて戻ってきます」
三男は失意の自分を励ますような猫の言葉に胸を打たれて微笑んだ。
「いいとも、いいとも。だが、あまり遠くには行かないでおくれよ」
村の困っている人たちの手伝いをしながら、三男はなんとか生計を立てていた。
財産を奪われた間抜け息子だと、一部の心無い村人が酷い陰口を叩くのもたまには耳に入ったが、三男は気に留めなかった。
後足に長靴を履いた猫は、二足で立つと毎日どこかへ行き、夜になると帰ってきた。
「猫よ。今日はどこまで行ってきたんだい?」
猫の深遠なる計画は誰にも知られることなく着々と進んでいた。
「いえいえ、すぐそこまでですよ」
決行のときはすぐそこまで来ている。猫はほくそ笑んだ。
「見る目のない村人たちめ、ご主人が大出世する様を見て目を覚ますがいい」
「ご主人。今日は天気も良いですから、たまには川へでも遊びに行きませんか」
働きづめだった自分を気遣ってくれる猫の言葉が嬉しく、三男は頷いた。
水の澄んだ川には魚が泳ぎ、水辺の花には蝶が羽を休めている。
近くの木々からは小鳥たちが呼び交わす鳴き声が歌のように響く。
「なるほど。猫よ、これがお前の言っていた本当の幸せなんだね。こんなに近くにあるものなのに、いままで気付かなかったよ」
そこへ王家の紋章を掲げた豪奢な馬車が通りかかった。
「ご主人。国王陛下にご挨拶に行きましょう。無礼者だと思われたら大変ですからね」
猫と三男は急いで馬車に向かうと、こちらが挨拶する前にお声がかかった。
「猫よ。もしや、そちらの方が……?」
「左様にございます。北の人食い鬼の城を陥落せしめた偉丈夫、恐怖に震える陛下の臣民を救った稀代の英傑、我が主にございます」
身に覚えのない話をされて、驚きのあまり三男は声も出ない。
「そうであったか。では、約束どおり末の姫と結婚させ、爵位とともに人食い鬼が奪っていた領地を与えよう」
「お待ちください、国王さま。私には、なんのことやらさっぱりわかりません」
三男が平伏して言うのを見た王様は、これを冗談と思って大いに笑った。
「ははは。勇者でありながら、なんと謙虚なことよ。猫の従者からくわしく聞かせてもらったぞ。そなたが人食い鬼を倒す様子をな」
「おそれながら、国王さま。それは私ではありません」
毅然とした三男の態度に王様は眉根を寄せた。
「では、誰が人食い鬼を倒したというのだ」
「この猫にございます」
主人からの鋭い指摘に驚き、猫はしどろもどろになって答えた。
「ですが、国王陛下。私はこの方の従者です。従者の手柄は主人の手柄でもありましょう」
「うむ、そのとおりだ。忠義と礼節を知る猫よ」
猫と王様のやりとりを聞いた三男は、首を垂れたまま静かに言った。
「その猫は私の従者などではありません」
猫は愕然となった。
王様はあまりに頑なな三男の振る舞いに怒りを覚えた。
「そなたは褒美が欲しくないのか! 私の宝である美しい姫をいらぬと申すか!」
「国王さま。私は父の遺産を受け取ることが出来ませんでしたが、いままで大切に育ててくれた父の遺言なので恨みには思いません。お姫さまも、父上であらせられる国王さまの命とあれば従うことでしょう。けれど、それはお姫さまにとって幸せなことなのでしょうか。それがはたして国王さまにとって幸せなことなのでしょうか」
真摯な言葉は王様の中にある父親の心に訴える力があった。
「だが、褒美はどうすればよい? 王命を王自身が破るわけにはいかぬ」
「それならば、見事な行いをしてのけた、この猫にお与えください」
「しかし、猫に娘や領地を与えることなど、とても出来ぬ」
困り果てた王様を見かねて、三男は優しく猫に尋ねる。
「猫よ。お前、なにか欲しいものがあるかい?」
猫は呆然として主人を見上げると、すぐにうなだれてしまう。
「国王さま。でしたら、せめてこの猫に、お褒めの言葉を頂けませんでしょうか」
有難いお言葉を頂戴すると、三男と猫は一礼して踵を返す。
後ろで王様が呼んでいるが、三男が足を止めないので猫も歩き続けた。
歩いているうちに猫はだんだんと主人に腹が立ってきた。
「私はご主人のためを思って、人食い鬼をやっつけてきたんですよ」
「お前は本当に勇気のある猫だね」
「どうして、お姫さまとご領地を国王陛下から拝領なさらないのですか」
「私のものではないからね」
「貴族になれば、もう誰もご主人を馬鹿にしないんですよ」
「お前はそんなことを考えていたのかい」
「とても大事なことですよ」
「いいや。大したことではないよ」
掘っ立て小屋に帰り着いた猫は、いくら説いて聞かせても分からない主人に頭にきてしまい、長靴をあっちこっちに投げ出すと、そっぽを向いてふて寝してしまった。
翌朝、目覚めた猫が綺麗にそろえてある長靴を履いて外に出ると、三男が立っている。
いつになく厳しい顔つきの主人に猫は怪訝な顔をした。
「なんですか、ご主人。そんな怖いお顔をなさって」
「猫よ。国王さまを騙すような、お前のようなうそつきのけものとはもう一緒に暮らせない。出て行きなさい」
あまりに冷たい仕打ちに猫はカッとなって言い返した。
「あなたのような聖人気取りの貧乏人なんて、こっちから願い下げですよ。さようなら。もう二度と会うこともないでしょう。ああ損をしたと一生後悔なさるがいい」
猫は一度も振り返らず、いずこかへと一目散に走り去った。
月日は流れ、猫は船の上にいた。ネズミ捕りの仕事に雇われたのだ。
知識も知恵もあり人語を解する猫はとても役に立つので、船員たちの人気者だった。
日頃の働きに感謝したある船員が長靴を磨いてくれるというので猫は久しぶりに靴を脱いだ。
馬鹿正直な前の主人の元から逃げてきて以来のことだ。
船員が小さな長靴を逆さにしたそのとき、中から何かがぱさりと落ちた。
それは小さく折りたたまれた一枚の紙きれだった。
猫が器用に爪を使って紙を広げると、あまり上手ではない文字が書き連ねてある。
猫よ。
お前はとても賢く、それに勇気がある。
けれど、私のところになど留まっていては、それも宝の持ち腐れだろう。
願わくば、お前の知恵と勇気を、天下万民、いや天下万命のために使って欲しい。
ケガや病気に気をつけて、どうか長生きしておくれ。
猫は思い出した。
自分が従者ではなく、友達と呼ばれていたことを。
「ご主人!」
手紙を読み終えた猫が哀しい声を上げた。
しかし、ここは海の上。
辺りを見渡したところでどこにも岸は無く、水平線が遠く霞むばかり。
かつてのご主人がどっちの方角に住んでいるのかすらも分からなかった。
のちに黒死病が欧州全域をまさに飲み込まんとするとき、病原菌を運ぶネズミを駆逐してまわる猫の一団があった。
その先頭に立ち、軍勢を指揮していた猫の後足には、擦り切れてボロボロになった小さな長靴がまとわりついていたという。




