閑話 父の苦悩 Side:正親
9/15にあとがきを追加しました。また、少し文章がおかしいと思われた部分を変更しています。
すみません。
一姫二太郎というが、第一子はできれば男の子であってほしいと願っていた。
長男信仰と言うわけではなくて、先輩みたいに──義兄になってもまだ先輩と呼んでいるのだが──弟や妹を守れる立場の子がいれば安心まだできるというかなり打算的な望みだったのだが……第一子は女の子と知った時、ちゃんと育てられるかどうか、途方にくれた。
和歌子と付き合っている時から、本人の脳天気さに比べてやらかすことの内容がかなりアレなのは分かっていて、それなり覚悟をしたつもりだったのだが、当の本人から改めて子供の頃のエピソードを聞かされた時、早まったかもしれないと思ってしまったからだ。
「気のせいだと思う」とか、「勘違いだと思う」とかが枕詞に付くが、出てくるは出てくるは、突っ込みまくりの出来事。
神社で同年代の子供たちと遊んでいる時、全員顔見知りなのに人数を数えてみると一人多いとかはよくあることだったらしいし、先輩と一緒に遊んでいたはずなのに、実は本人は違う場所に居て、今遊んでいた子は誰だった?ってことも数回。
その時点で「私の記憶が曖昧だから」って笑える神経はどうなんだよと思ったが口に出せず、
「それで?」
と促せば。
「竜神さまは、お供えのお神酒の銘柄にこだわりがあるみたいって思ったことがあるよ」
と言い出した。
曰わく、たまに高級大吟醸酒などを捧げると、失せ物が出て来た事が数回、時には挟んだ覚えのない一万円札が本に挟んであったらしい。
その他にも学校のテスト勉強やっている時に眠ってしまって、夜中に目を覚ましたら教科書にうっすらと跡がついていたので、そこを勉強してみたらヤマがばっちり当たって、その時のテストは点数が良かっただとか。
鈍いとは思っていたが、
「逆にそれがすべて偶然で済ませるお前の神経が分からん」
と突っ込んでやりたかった。
この辺りは「気のせいなのか?」の問いに、「気のせいだよ」もしくは「勘違いだよ」の返答が来るのが最早様式美のようになっていたので、本人の自覚を促すのはもうあきらめたのだが、それにしても酷いだろうと思わずにはいられなかった。
だから、と言えるのだろう。
本人が不思議に思わないから「気のせい」で通していた。態度が自然だから誰も気づかない。本人の自覚もないので、自分が和歌子から聞き出すまで先輩も知らなかったことだったのだ。
つまり、お酒飲んで酔っ払ってひっくり返った経験は、本当のきっかけではない。
元から少々好かれやすい子供だったのが、変な形で落ち着いたのが今の状況であると思われた。
で、そんな和歌子と同じ女の子。それも、巫女の気質は同じ女に伝わりやすいと言われているらしい。
子供という観点からしたら女の子の方が、男の子よりも体は丈夫で育てやすいと言われているが、そういう方面ではぜひとも鈍くあってくれと思いつつ、父親としてできる限りのことをしてやりたいと呼び名と別に真名を付けることを決めた。
嫌な予感は早い段階からあったのだ。
思い起こせば、和歌子との結婚式当日。
神社の娘が自分の家で結婚式を挙げないのはおかしいだろうと言う事で、水森神社で挙式したのだが、式の最中から誰かに見られているような気がずっとしていた。
休日で参拝者もいたから花嫁御寮に視線が自然と集まってはいたが、自分に注がれる視線は好奇の眼差しではなく、値踏みされるようなぶしつけな視線。頭からつま先まで、舐める様にみられているのに、誰にどこから見られているのか分からない。
弓を引きに何度も神社には来た事があるが、こんなことは初めてで……努めて平静を装っていたが、泡立つ肌や冷や汗が抑えられずにいた時、異変を感じ取ったのか、先輩が隅に立てかけてあった弓を手に取った。
矢を番えずに引き絞り、放った弦のビーンと低く響く音が数回鳴った。一回ごとに段々と圧力が減って行って、ようやく落ち着いて呼吸ができる様になり、その後、式は何事もなかったように進んだ。
終わってから、先輩になぜ弓を鳴らしたんですかと聞いたら、
「弓を鳴らす音が魔除けになるんだ。荒神すら鎮めることができるらしいぞ。古来、弓は神器だからウチでも結構いいやつを置いてあるんだよ」
と、答えになっていないことを口にして笑った。
確かに弓を使った神事があるのは知っていたし、自分も長年弓を引いてきた身だ。何気なく置いてあった弓が大層なお宝であるのは分かっていたが、なぜあのタイミングで鳴らしたのかと聞いているのに、相変わらずこの人は煙に巻くのが上手い。
「なんとなくそうした方がいいような気がした。それだけだ。まあ、当たりだったみたいだな」
他の誰もあの圧力には気づいていなかったのに、すぐに気が付いて対処した先輩。
水森兄妹は、似てないと思っていたが実はある意味、似た者兄妹だったことを痛感した日だった。
そして後日。
新居のお披露目を兼ねて黒崎夫婦を招いた時に、
「そういえば、あの時は緊張でもしたのか?」
動じない自分が傍目にも顔色が悪くなっていたのが意外だったらしく、そんなことを言われた。
招いていてアレなのだが、和歌子は醤油が切れていたのを忘れてたと言ってコンビニに行っている。結婚しても子供ができるまでは働くつもりだと言っていた環さんは、急きょ休日出勤になったとかで遅れてくることになっていたので、新居には黒崎と自分しかいない。
「俺の時も、結婚式で上がるのは女性より男性の方が多いってプランナーさんに言われたけど、お前もそんな感じだったのか?」
「いや、竜神に圧力掛けられただけだ」
「それって今までは友人同士の延長の付き合いだと思っていたけど、本格的に和泉に持って行かれることが分かって、不機嫌になったとか?」
俺がさらっと口にしたから冗談だと思ったのだろう、黒崎も笑い混じりで返して来たのだが。
「……やっぱりそう思うか」
ぽつりと言ったら、驚いてこちらを振り返った。
「え?本当なのか?」
あの時のことを軽く説明してから先輩とのやり取りを伝えたら、黒崎は「あのお兄さんも大概でたらめな人だよな」と感慨深げに呟いた。
「確かに、なんで式の最中にあんなことをしたんだろうとは思ったけど、あの低い振動が体にも伝わって、変な言い方だけどすごく気持ちが良かったんだよ。弓は神事に使うくらいの知識しかなかったから、水森神社ではこんなことをするんだなって普通に思ってたけど、そんな事情だったなんて。……その後、何か異変でもあったのか?」
「いや、何も」
結婚式が終わってから、実に穏やかな日が続いている。水森神社に近づくことはしていないが、あれだけ圧力をかけて来たのに、こうまで静かだと逆に疑心暗鬼になってしまうのだ。
確かに和歌子のことを思えば、いままでだって連れて行こうと思えばいくらでもできたはずが、結婚するまで一応無事に過ごせている。
人の一生など神に比べれば塵芥の様なもの。いずれ誰かに嫁ぐことは分かっていたはずだから、現状何もなければ大丈夫かもしれない。先輩曰く、水森家の家系図を紐解いても若死にした人間はいないらしいから、連れて行かれることはないのかもしれないが、和歌子がいまだに酔っぱらってはやらかしている事を思えば、本人は大丈夫でも子供ができたらどうなるか分かったものではない。
そのうちに和歌子が帰ってきたのでその話題を続ける訳にも行かず、環さんからも「仕事が長引きそう、先に始めていて。ごめんね」というメールが来たので、三人で先に宴会を始めたのだが……自宅という安心感からか気が付いたら和歌子はすっかり出来上がっていた。
「客が来る前に酔っぱらったら、だめだろう」
「たーまきはー、そんなに心狭くーなーいもーん」
実家からのおすそわけの、大吟醸酒の一升瓶を抱えて笑う和歌子。完全な酔っ払いだ。
「仕事している人がいるのに、遠慮しないで酒を楽しんでいる段階で、俺ら全員駄目だよ。特に妻を働かせて遊んでいる俺が怒られるかも」
「……それもそうか。じゃあ一蓮托生で。でも和歌子は相変わらず量の加減ができてないって、怒られると思うぞ」
最初から泊まっていってもらうつもりで招いているので、黒崎も俺もかなり酔い交じりだった。笑いながら食事をしたり、和歌子が持っている一升瓶を取り上げて、ひどいひどいと強請るのを牽制しつつ、黒崎に飲ませたりしているうちに、ようやく我が家の呼び鈴が鳴った。
「いらっしゃーい」
酔っ払いの足取りながら、いち早く玄関に向かった和歌子が、外を確認しないで扉を開ける。……環さんじゃなかったらどうするんだと言いたいが、この状態で注意しても覚えていないだろうし、ある意味、間違いないと確信して開けているのだろうから、注意がしにくい。
「今晩は。お招きにあずかりましてありがとう。……あー、走って来たんで汗かいちゃった。遅くなってごめんねー」
姿を見せたのはやはり環さんで、スーツがちょっとくたびれて見えた。今日は自分のせいではないトラブルの尻ぬぐいだという話だったから、余計にお疲れ様だ。
まずは駆けつけの一杯、とばかりに冷えたグラスを渡してビールを注いだら、へらーんと能天気な笑みを浮かべた和歌子が、環さんからグラスを横から取り上げた。
「たまきーはー、お酒飲んじゃダメー」
「何でよ」
休日に仕事、全力疾走して来ての現在だ。これでビールを飲んだらさぞかしおいしいに違いがない、と思っていたところへこの仕打ち。結構本気で腹を立ててるな、と思っていたら。
「いじわるじゃなくってー。赤ちゃんいるからー?」
びしっと和歌子以外、全員がフリーズした。
「────はぁ??」
「──え?」
「赤ちゃんって……私に?」
「そーですー、赤ちゃんでーす!おーめーでーとーうーごーざーいーまーすー。女の子、でーす」
いえーい、とか言って環さんにハイタッチを求めた和歌子に、呆然としつつも脊髄反射的にぱしん、と手のひらを鳴らす環さん。
この状態の和歌子が言っている事は、ほぼ確実に当たるとあって、環さんは段々と嬉しそうになったが、思い出したように顔色を変えた。平らなお腹を撫でる。
「嫌だ、私ここまで走ってきちゃって……」
「へーいきーよ。でもー、お酒はダーメ。おいしいものたべたらー、休んだらー?それはー、ちゃーんと私が作ったものじゃーなーいから、おいしいーよー?」
「それ、威張って言う事じゃないでしょ」
環さんは、堪らず噴き出して半泣きのまま笑みを浮かべた。
黒崎夫妻が早めに食事を終えて客間に案内した後、部屋の片づけをしながら和歌子に声をかけた。相変わらず足元が危なっかしい。
「なあ……」
「んー?」
いつかの夜のように問を口にした。
「もし、神様に幸せにしてやるから、神様の世界に行こうって言われたらどうする?」
「絶対行かなーい」
「なぜ?」
「神様のー世界なんてー行っても、幸せになるとは限んないしー?死んじゃうーってー事でしょー?いきてー幸せになんなきゃー意味ないもーん」
「じゃあ生きている間、この世の春を堪能させてやると言われたら?」
「まーすます、やだー」
何がおかしいのか、和歌子はくすくすと笑った。
「対価なしーってことはないでしょー?だったら、生きーてるー間の数十年の恩をー笠に着てー、未来えーごー神様に仕えるってことでしょー?百万借りーて、百億返せってー言われてるようなもんじゃなーい」
今生の数年。死後の永劫だったら、選ぶのは決まってると軽く言った。
「しんぱいなのはー分かるけどー。なるようになるもんよー?」
「そうだったらいいんだが」
影も形もないが、子供のことを考えれば和歌子のように能天気に構えていられない。
「最初の子はー女の子がいいなー」
頼むからやめてくれと言ったがそれは叶わぬ望みで、結局俺は先輩の所に相談に通い詰める羽目になったのだった。
因みに。
次の日、和歌子がコンビニに行ったときになぜか醤油と一緒に買って来ていた妊娠検査キットを使った環さんは、陽性だったと喜んでいた。……後日、本当に女の子だと分かったが、もはや驚きもせずに既にいくつか女の子のベビー用品を買い込んであったそうだ。
和歌子に何でそんなものを買ってきたんだ?と聞いたら、
「女の嗜み?」
と言っていた。