滅安と響鈴
最近、夢を見るようになった。ファンタジーとかホラーとか言う類じゃなくて、リアルな夢だ。夢というより、回想に近いかもしれない。
先日訪れた『蝙』――その大将と戦う夢。
流れは、現実と同じ。ただ、いつも最後の一撃で邪魔される。その邪魔者は、他のグループの奴だったり野良犬だったりオカンだったりするけど。
――黒髪の……大橋 圭介だっけ。ちゃんと決着つけてーなぁ……。
『………立花』
――……誰か呼んでる?
『………敦』
――眠い……ほっとこ……。
『………あっちゃん』
――……うっせぇな。ほっといてくれよー…こちとら眠いんだよー……。
「起きろコラ」
「ブフォっ」
頬を両側から押し潰されて、一気に現実に引き戻された。
クリアになっていく視界には、非常階段の薄暗い天井と、仲間の工藤仁の顔があった。彼は昔からの馴染みで、『橘』の副将だ。
「にゃにひへんのは(何してんのさ)」
「集会始まるから、起こしに来た」
「じゃあ、こにょ手放へよ(じゃあ、この手放せよ)」
返事の代わりに、拳が戻される。この技(?)は顔がタコみたいになるから、たまったもんじゃない。
起き上がった俺に、仁は煙草を渡してくれた。しかも、火点き済みのだ。
「すげー、また高い煙草じゃん」
「あたぼーよ。俺を誰だと思ってる」
「さっすがだねぇ、ジンジン」
「ジンジン言うな。またタコるぞ」
「それだけは勘弁!」
自分の反応に満足したのか、仁は面白そうに笑った。
体格は『橘』では一番だし、性格は常に冷静沈着|(悪く言えば冷めてる)。
自分より大将に相応しいと思うけど、仁はいつも俺を大将として立ててくれる。
「仁、この前『蝙』が来た時さ……」
「あぁ、あの黒髪な」
「何で手ェ出した? 大将同士のサシ勝負は邪魔しねぇって、この不良世界の暗黙の了解じゃねぇか」
「………そうだねェ」
煙をゆっくりと吐いて、仁は煙草を手に持つ。その間、俺は貰った煙草の火を見つめていた。
「別に知ってたけどさ。勝手に身体が動いちまったんだから、仕方なくね?」
「仕方なくねーよ!」
「まぁまぁ。自分の大将、守ったんだから良しとしろや」
さらっと言ってのけた仁は、再び煙草をくわえた。
「……俺って大将に値する奴なのかな」
「たりめーだろ。お前に勝てる奴なんか、この地区にいるかよ」
「うぃー、俺の目の前にいんじゃん」
「阿呆、何言ってんだ」
煙草の煙を顔面に吹きかけられ、叩こうとする前に逃げられてしまった。
「ゲホッ、ケムいんだよスモーカー! ……中坊のくせに」
「ほっとけ。早くしろ敦、皆待ってんぞ」
「へいへい」
それでも、頼られることが嬉しくて。口笛を吹きながら、学校の屋上へと向かった。
集会には、『橘』の全メンバーが集まる。そんな時は、なるべく馬鹿は控えた。そうでないと下っ端に足掬われるぞ、っていう仁の有りがたい忠告だ。
「『棺』がやられた?」
「はい、先日ッ……!」
グループの下っ端からの報告。嘘をつく必要なんかないから、本当のことなんだろう。
「ほぅ……だってよ立花」
「ふぅーん……なかなか手強い相手だね」
「で? どうする」
「潰すしかないなぁ?」
「勝算は」
「相手HP残り150! 余裕勝ち!」
「ゲームの話じゃねぇよ!」
ゲームに熱中していたせいで、ガツンと頭に一発。
――だって、『棺』なんか興味ないんだもん。借り物なんだから、早くクリアしたいんだよ。
「わかった、真面目に聞くから。で? 誰が潰したって?」
「それが……香坂の生徒らしいっス。一人で、やたら強かったって……」
「香坂? 『蛭』を壊滅させたっていう、例の紅か?」
仁が低く問えば、後輩はビビりまくる。折角かっこいいのに勿体無い。だから女の子が怖がっちゃうんだよ。
「いや、別人らしいっすよ。碧眼の奴だったって」
「仁、碧眼…って?」
「青、または緑の瞳。そんくらい知っとけ」
超有名校の香坂学園。そんな学園にも不良がいるとは驚いた。
「敦! ソイツやろうぜ! 『橘』の格が上がるチャンスだ!」
「一幹部が調子こくな。決定権は、敦にあるんだ」
「まぁまぁ、そう固いこと言うなよぉジンジン。血の気の多さは、俺も同じなんだからさぁ」
計画性とか慎重論とかはアウトオブ脳内。今が楽しけりゃ、それでよし。
「とりあえず……近くのグループから荒らしてこうぜぇ!」
「よっしゃあああああ!」
こういう団結っぽいノリは好きだ。不良バンザイ。
というわけで、早速メンバーと他のグループに殴り込みに行った。
人を殴るのが悪いことだってのは知ってる。けど、楽しいから止められない。所詮、ゲームクリアの為に敵を倒すのと同じ感覚でしかないんだよね。
太陽が少し沈んだ頃、さすがに手が痛くなってきて、ある目的を果たしに単独行動に移すことにした。
「待てよ敦! ドコ行くんだよ」
「んー? ちょっと、樹ちゃんとデートしてくるわ。後で行くから安心してちょ」
仲間の一人がついてきそうだったから、軽くあしらった。もちろん、目的はデートではない。
人通りの多い表通りを抜け、薄暗い路地裏に入っていく。時間短縮の為に、駆け足で走った。途中で何人かと遭遇したが、簡単に始末出来た。
「ソコのお兄さん、お一人でどちらにお出かけ?」
階段の上から呼び掛けられた声に身構えるも、すぐに肩の力が抜けた。
「何で居んの? 殴り込みグループ任せたじゃん」
「気が向かねぇ時もあんだよ。お前こそ、仲間撒いて後先考えずに突っ込む気ィ?」
仁が咥えている煙草から、一筋の煙が風に消える。
「別に突っ込みに来た訳じゃないよ? こういう時は『急がば走れ』だからな!」
「……それ言うなら『急がば回れ』だ」
呆れたように呟き、仁は俺の近くに降りてきた。タバコを吐き捨て、手の骨を鳴らす。
「どーせ『蝙』の大将ンとこ行くんだろ? 雑魚に力使うなや」
「イヤーン。敦、チョー感激ッ」
「やっぱ帰るわ」
「帰ラナイデ!!」
――持つべきものは、親友だよね。
そうしみじみ思いながら、『蝙』の住み処に踏み入れた。
冷ややかな空気と冷ややかな視線。新興グループにしては、よく統率が取れていると思った。
「先日はどーも。圭介ぇー、いるんだろぉ?」
軽く声をかければ、ゆっくりと影が動く。
やはり、圭介は解ってる。ここで大将自らが動かなけりゃ、戦う価値もない。
「『橘』のアツシ、か」
「お、髪染めたんだぁ」
『蝙』の名に相応しい黒髪は、赤茶色に変わっていた。より不良さを増した圭介は、真っ直ぐに睨みつけてきた。
「いいねいいねぇ、俺とおそろの夕日色だね?」
「黄金と茜で黄昏ってか? ……なるほど。意外とロマンチストだな」
両手をポッケに入れ、片足で軽く地面を蹴る。どう見てもソレは戦闘体勢だ。
「ストップ! 今日は喧嘩しに来たワケじゃねぇんだ」
「あ?」
「まずは用事一。この前のサシの勝負……仁が横槍入れて悪かった」
「立花! 何を……っ!」
謝罪の言葉を述べる傍らで、仁が怒りで表情を変えた。当たり前だ。大将が謝るなど、格下を宣言するようなもの。
――でも、しょうがないんだよ。筋は通さなきゃ、男が廃る。それに『蝙』の大将は、そんなことで『橘』を定義しない。
「ご丁寧にどうも。…で、『一』ってことは『二』の用事もあんだろ? 大将」
横から話かけてきた奴の顔には、覚えがあった。
「アンタは……琴也だっけ。俺は大将に用があんの」
「ふぅん、今日は逃げ腰なんだ?」
「あんだとコラァ!!」
「落ち着け敦。コイツ、ワザと挑発してんだぞ」
仁に言われて、頭に上った血が一気に引いていく。琴也は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「『橘』にも、頭使う奴がいたんだ? 煙草クン」
「工藤仁だ。むやみやたらにウチの大将煽るのは、やめてもらおうか」
「ちょっ、待て待て。何で二人で火花散らしてんの? 俺を置いてくなよ!」
「琴也もだ。邪魔すんじゃねぇよ」
互いに制止の声をかければ、二人は睨み合いを止める。
――危ない危ない。あやうく山場を持ってかれるとこだった。
「えー、ゴホン。用事二ってのはコレだ!」
「……手紙?」
紙を四つ折りにしただけの、いわゆる果たし状。それを見た圭介は、長い前髪の下で瞳を細めた。
「俺からのラブレター。受け取ってくれるっしょ?」
「当然。モテる男ってのは優しいからな」
用紙を受け取り、中身を確認せずにポッケに突っ込む。それでいい。内容が周りに知られたら、手紙にした意味がないからね。
「帰るぞ、ジンジン」
「ジンジン言うな」
「おい、待てよお前ら」
「追わなくていいよ、コトヤン」
「コトヤンじゃねーし!」
一触即発になりそうな仁を宥めて、踵を返す。大将の息がかかっているのか、『蝙』は何の攻撃もしてこなかった。
「圭介」
「敦」
呼んだのは同時。周りの奴らが、驚いたように見つめているのがわかった。
「次に逢えんの……楽しみにしてるよ?」
「あぁ。そん時ァ……」
風を切る音が耳を掠め、衝撃を右手で受け止める。
自分の視線は圭介の脚に、圭介の視線は自分の腕に隠れていて、互いを映さないけど。
「容赦なくブッ潰す」
きっと表情は、同じ嘲笑を浮かべてる筈だ。
表通りに戻れば、仄かな夕日が身体を照らす。喧嘩を終えた後のような爽快感が心地良かった。
「敦、さっきの紙なに」
「だから言ったじゃん。ラブレターですぅー」
「アホか、このレモン頭」
「レモンは美味いんだぞ? どんな料理にも合うし!」
仁は納得していない様子だったけど、それ以上は何も言わなかった。
皆には悪いけど、圭介とは決着をつけときたい。その為には、絶対に邪魔されない準備が必要なのだ。
「あの蹴り、中々強いよなぁ……負けたらどうしよ。うわっ、ハズッ!」
「そうやってフザケてるから、隙が出来んだよ」
「うっさいうっさい! 指図は聞かねぇ! 大将は俺だ! 文句あっか!!」
「別にねーけど」
「そこはツッコめよ……」
飄々と煙草を吸い始めた相棒に項垂れた時――綺麗な音が、耳に届いた。
「ん? ぁ……鈴、か」
顔を上げた先には、店先に並んだキーホルダーが、風に吹かれて玲瓏を奏でていた。
「かーぜが吹ーくよ、そよそよとー……すーずが鳴ーれば、あの子が笑う……」
昔聴いた、わらべ歌。まだ唄えることに驚きながら徐に手を伸ばす。
その時、ふと隣の視線に気付いた。
「兄ちゃん、手ぇ怪我してるよ? 喧嘩帰りか?」
掛けられた声に顔を向けると、思ったより近くに黒髪が見えた。
「な、なんだよテメー!」
傷を見ようとする手を払って、体勢を整える。相手は驚いたように、視線を上げた。
「悪ぃ悪ぃ、ちと気になっただけだから。そんなハリネズミみたいに尖んな?」
「誰がハリネズミだ!」
「おー、よく見たら髪色も似てんじゃん。我ながら上手い喩えじゃね? そう思うっしょ?」
「知るかよ! ブッ殺すぞ!!」
「おい、どした敦」
騒ぎに気付いた仁が、怪訝そうな顔つきでやって来た。雰囲気を察すると、相手に得意の睨みをきかす。
「おーコワッ、今日は勘弁しておくれやす」
「はぁ?」
「祭りと喧嘩は京の風物、ってな。楽しみは、次に会う時まで取っとこーぜ?」
ビビったわけでも逃げるわけでもなく、自然に相手は背を向けた。
何ともあっけないやり取りに、興奮が冷めていく。
「……何だよアイツ……」
「今の……香坂の制服だったな。中等部の」
「え、マジ?」
もう一度振り返ったが、人の波で見つけられなかった。
「ま、『蛭』と『棺』の事件にゃ関係ねーだろ」
「……だよなぁ」
その場を離れた時は、圭介との決闘のことで頭がいっぱいだった。
だからあの時、帰ったと思ってた奴が自分達を見ていたなんて気付かなかったんだ。
その瞳が、碧眼であることさえも。