第参幕 3
じゃり、じゃりと地を踏む音が静寂な闇の中に響く。
手に持った提灯と月明かりだけが、ほのかに周りを明るくする。
空の下、地上には二人の男が南区の夜間の巡回をしていた。見事な刺繍で描かれた、この暁都を守護する伝説上の四柱の一柱、南の方角を護る朱雀が朱色の羽織に鎮座している。朱天の天員のみが身につけることを許されている羽織だ。二人の男は、目に鮮やかな朱色に染め抜かれた羽織を、一人は無造作に、盲一人はきっちりと着ている。偶に吹く風が戯れるように、羽織を揺らす。
今宵は下弦の月。
春故か、月はぼんやりと空に浮かび、周囲の星は薄く棚引く雲に隠れている。
そろそろ、静が終わり動の夜がくる。
「春とはいえ、まだまだ寒いな」
「永太、ちゃんと羽織被ったら? 風邪ひくよ」
「丈夫だからいーの」
先を行くのは小柄な男。名は永太という。螢より四つ年嵩の二十歳である。
「永太」
「なんだ?」
「《送り雀》の噂を知ってる?」
「あー最近出てきた奴だな。被害にあったのはまだ五人と少なねえんだろ」
「そうそう。だからまだ討伐命令は出てないけれど・・・」
「今夜、出ると思うか」
「・・・わかんない。でも、もしも出たら」
「ちゃっちゃと討伐して、お頭と喜之介に報告だな」
「うん」
肯くと、螢と永太は閑静な住宅を抜ける。この小路を抜ければ、南大路にでる。
あとは南大路を北上すれば、本部につく。
張りつめていた気が少し緩みかけていたそのときに、何処からともなく、チチチと雀のような鳴き声が聞こえはじめた。
「永太」
「わかってる」
螢と永太は手に持った提灯の火を消すと、脇に避け互いの背中を守るように立った。
全神経を研ぎ澄ませ、音の出所を探すが、チチチ、チチチという鳴き声は反響し一体何処から聞こえてるのかわからない。
「結界か」
永太が舌打ちし、懐に手を入れる。鎖の先に錘をつけた、永太は鳶之介と呼んでいる得物を素早く取り出すと、左手に巻き付け、右手に先に錘のついた鎖を掴む。
螢も直ぐに刀を抜けるよう、鞘から刀身を少し出しておく。
チチチ
チチチ・・・
ふっと四方から聞こえていた雀の鳴き声が消えた。
ねっとりとした闇から、金色の眼が現れる。
「なんだ・・・?」
金の目と、螢の朱色の目が交差する。
互いの呼吸が合わさり、ふっと止まったそのときに金の目が闇の中に消えた。
螢は素早く刀身を鞘か抜くと、横になぎ払った。
『アアアアア!』
苦しそうな叫び声をあげ、地に転がったのは巨大な狼だった。
「こいつが足にくらいついていたのか!」
永太はそう叫ぶと、巨躯をもだえさせる狼にむけて鎖を投げる。鎖はまるで鳶のように空中を飛び、狼の足に絡みついた。
「螢!」
「了解!」
短く返事をすると螢は一気に狼のいる南大路まで駆けると、刀を大きく振り上げ下に切り込む。
狼は横に避けると同時に鎖を引きちって後退する。
「永太!」
鎖を引きちぎられた為、重心を失った永太だが、咄嗟に受け身をとったようで、すぐに体勢を調えている。
「大丈夫だ。螢やれるか」
「誰にいってんだよ」
にいっと笑うと螢は両手で刀を持ち、右下へと構えると狼の間合いへ詰めた。
首へ向けて螢は刀を右下から左上へと斬りつける。
『忌々しい! 朱天か!』
「へえ、喋ることが出来たんだ。ご名答、朱天だよ」
『忌々しい四天が! おめおめと我が前に出おったのが運のつきよ!』
「俺たちのこと知ってるの」
狼は答えずに一層大きな咆吼を上げると、螢と永太に襲いかかる。
螢は刀を正眼に構え、永太は千切れた鎖とはまた別の、新しい鎖を懐から出し、狼へと投げつける。
鎖は、狼の足下をを掬い重心を崩した狼は地面に伏せる。
「・・・我慢比べだな、犬っころ」
『我をそこらの雑魚と同じにするでないわ』
にやっと永太は笑うと、無数の鎖を懐から出した。
「解禁、二十八条炎夏の刑!」
永太がそう叫ぶと同時に、一気に永太の持つ鎖から白い炎が燃え上がった。
『な、んだこれは!』
灼熱の炎は鎖を通して狼に燃え移る。狼は逃れようと身をよじるが、絡みついた鎖が離れることはなくより一層強く体に巻き付くと、炎が表皮を舐めつくさんと燃え上がった。
『うああああ! 貴様ぁ! おのれぇ、我を殺しても無駄だ』
「どういう意味だ? あと、お前どうやって都に入った? 結界に綻びはなかったのに」
永太は鎖で巻き付ける力を緩めずに狼に聞くが、狼は質問には答えず、永太と螢を睨んだ。灼熱の炎に焼かれながらもなお、金色の目は力を失っていない。しかし、体は耐えきれなかったようだ。
ずるりと表皮が地に落ちる。
『くつくつ。お前達は必ず死ぬ。死ぬぞ。我の他にもここに侵入した者は沢山いる。ああ・・・本当にここは下品な所だ。なあ、朱天。ここが美しい炎で浄化されたら良いとは思わないか。こんな汚い所で、己の汚い力を振るって楽しいか。・・・我が死んでも代わりはいくらでもいる。必ず、報いを受けるぞ」
狼はそう言い切ると体中炎で包まれながらも嗤った。
「他にもいるだと?」
『報いは、必ず、だ・・・』
狼は、灰となるとすっと空気に溶けるように消えていった。
チチチと雀が啼いていたが、いつの間にか消え、螢たちを閉じこめていた結界もいつの間にか消えていた。
「なんだったんだ。いまの」
螢は刀身を鞘に戻すと、前に居る永太に聞いた。
永太は首を横に振ると、愛用している鎖の鳶之介を仕舞うと後ろを振り向いた。
「まァごちゃごちゃ考えたってしょうがねェ。さっさとお頭ン所戻って報告すっか」
「そーだね」
螢はふうと息を吐いた。
空を見ると東から、太陽が昇ろうとしていた。藍色の空が徐々に陽の光と混じる。
「早く陽炎に報せないとね」
「おう。それにしても、長かったな~結界だから時の流れが違うのか」
首を傾げる永太の服は、先頭のせいで襤褸襤褸だ。
「永太、満身創痍だね」
「お前も人のこといえねえぞ」
自身を見ると確かに、朱色の羽織が土が付いて斑になっている。
「うわあ、洗濯するの大変だな・・・」
「しょうがねえだろ。さ、帰るぞ!」
まるで先程の戦闘が無かったかのように朝日は昇る。
澄んだ空気が暁都を包み、本部へ、家へ帰る朱天の子を照らす。
「腹減ったなあ」
螢は眠い目を擦ると、先を行く永太の隣に並んだ。
「よし、螢。どっちが先に着くか競争な!」
「ええ~疲れて走れない」
「遅い方が報告書かくこと!」
そう言うと永太は思いっきり腕を振って走り出した。
「え、ちょずるい!」
走り出す背中には、見事な刺繍の朱雀。
朝日で鮮やかに照らされた羽織は、都を護る誇り高き四天の一つ朱天の証。
元気よく本部に駆け込んだ二人を心配した陽炎にこっぴどく「帰りが遅い!」と怒られたのはまた別の話。