第弐幕 3
「螢、今日は災難だったな」
「笑い事じゃないですよ、雀さん」
「・・・冷やすか」
きょほきょほ笑っていた雀だったが、未だに赤く腫れている螢の頬を見て少し心配になったようだ。手ぬぐいと、冷えた水を桶に入れて持ってくるよう、他の朱員に頼むと、螢の頬を注意深く看はじめた。いや、見始めた。
「しっかし、お頭も派手にやったなあ・・・」
「ちょ、押さないでくださいよ、痛いんですけど!」
「うわあ、手形くっきり残ってるな・・・」
「酷いんですよ、頭領ってば、客人の目の前で俺のことぶったんですよ!」
「へえ。可哀想に」
「ほんとにそう思ってないでしょ」
「思ってる思ってる」
「ほんと適当ですよね・・・」
再びきょほきょほと笑い転げている雀を斜に見ながら螢は、ついさっきまでいた客人の少女たちを思い出す。
「笙之介はとりあえず元気だったなー・・・」
笙之介は同じ年頃の少年たちがいかに朱天、ひいては四天に憧れているかを、熱く語り、それを葉奈とさくらが傾聴し、また色々質問するから、螢の質問からどんどん離れゆき取り調べににならなかった。やっとで聞き終わった頃にはすでに二時間も経っていた。
武士の尾北たちが、昼から酒を呑み、偶々通りかかった店にいた葉奈に絡み、それを笙之介が咎め、抜刀騒ぎになったらしい。さくらは偶々葉奈の茶屋でお茶を飲んでいたらしい。武士が、一般市民に抜刀しようとしたので、止めに入ったらしい。勤務中にもかかわらず酒を酔うまで呑み、あげく、抜刀騒ぎを起こしたことで、尾北、佐井、吉野の三名は一ヶ月の謹慎処分を言い渡された。初めは、自分は何も悪くないとでかい態度をとっていた三人だったが、時間がたつにつれ、酔いが醒めてきたのだろう。青い顔をして、取り調べにあたっていた、日野に謝ってきたらしい。日野も呆れ半分、お情け半分で、謹慎一ヶ月だけの罰にしたらしい。葉奈と笙之介は、大事にならなかったから、それで構わないと許して貰い、尾北たちは陳謝していた。
つらつらと物思いにふけっていると、障子の向こうから、若い男の声がかかった。
「雀さん、水と手ぬぐい持ってきましたよ~」
「ありがとう」
障子の向こうには、水の入った手桶と、手ぬぐいが三つ添えられていた。雀が手ぬぐいを桶にひたし絞ると螢の腫れた頬に当てる。
「ありがとうございます」
じんじんと痛かった頬は、手ぬぐいのひんやりとした感覚に癒されていく。
まったく、いくらんなんでもあんなに思いっきりぶつことないじゃないか、年増ばばあ! 嫁ぎ遅れのくせに! と心のなかで嘲笑していると、いきなり障子が開かれる。大きな音を立てて障子を開けたのは、仁王立ちの朱天頭領、陽炎その人であった。
あれ、さっきもこの光景みたなと認識するのと同時に陽炎は、大きく手を振り上げ、素早く螢の頭をたたき落とした。
理解するより早く、脳天を貫く痛みにひたすら耐えていると、女性にしては低すぎる声が室内に響く。
「なァ、休めって言ったよな。 寝かしつけてこいって雀にも言ったよな」
「今、お頭がぶったせいで腫れた螢の、顔を冷やしてたんですよ」
平然と返す雀を、陽炎は睥睨すると、「ご苦労、勤務に戻れ」と短く言い捨てる。
「雀さん!」
こんな、鬼の前に幼気な俺を置いてかないで!!と必死に眼力に乗せるが、必死の訴えも虚しく、雀は隈がある目を爽やかに細めて「礼はいらねえよ。ちゃんと冷やしておくんだぞ」と爽やかに、去っていった。
残るは、鬼のみ。
一体次は何をされるだろうかと戦々恐々と待っていると、頭上から、はあと大きな溜息がかかる。
不思議に思って顔を上げると、眉を寄せ、文字通り見下している陽炎がもう一度大きく溜息を吐いていた。
「私は、ちゃんと寝ろっていったよな」
「はい」
「・・・頬、痛むか」
「ちょっとだけ」
「・・・そうか。いま茵用意してやるから一眠りしろ。私が勤務終わったら、家帰るぞ」
「うえ!? いいよ、ひとりで帰れま、す・・・」
「ああン? わかったならはいと返事しろよ」
「・・・はい」
「よろしい」
渋々と螢が肯くと、わしゃわしゃと陽炎が頭を撫でる。
「餓鬼じゃないんだからやめろよ!」
「はいはい、餓鬼は大人しくねんねしてな」
「うるっせえなあ」
襖から陽炎が茵を取り出し、螢の横に調える。気遣ってくれる陽炎に、少し面映ゆくなりながらも、大人しく茵に横になると、ぽんぽんと胸の辺りを叩かれた。
「おやすみ、螢」
「・・・・・・おやすみ」
素直に、おやすみというのが気恥ずかしくて、つい小さな声で返事を返す螢。さっきまで怒っていたため剣のある表情だった目元が、和らいで微笑をつくる。たしかに、陽炎は美人だよな。さくらたちがいっていたときは、どこが美人なのかと笑ったが、改めてみるとたしかに笑顔とか綺麗だなと思う。本人には絶対言わないけど。そうおもいながら、とんとんとリズムよく胸を叩かれるごとに深く眠る螢だった。




