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螢火  作者: 大根葱
1/10

序幕

「おかぁーさん」

 覚えてるのは、竹林の隙間から覗く光と、むせかえるような熱気。走って飛び込んだ母の胸から薫る、名も知らぬ花の匂い。

 自分は短い手足を精一杯広げて母に抱きつく。何か、とても悲しいことがあって、自分は母の元へ、家へ帰ったんだ。竹林の奥にある、少し寂れた庵だったと思う。母一人、子一人で暮らすには十分な広さをもつ庵の傍には、井戸もしっかりあって、母はそこで毎回水を汲んでいた。子どもが、走って傍にいくより先に、母は子に気づいて腰をかがめて待っていてくれた。

 自分は迷わず、母の胸に抱きついて、顔を埋めた。何も言わずただ泣いている子どもを母は根気強くあやしてくれた。

「どうしたの」

 何度目かの問いで、子どもは顔を上げた。

 母親の顔は逆光でよく見えなかったけれど、笑顔だったと思う。

 子どもは何かを必死に話している。

 どのくらい経ったのだろうか。そんなに経っていないようにも思う。急に母親が子を抱えて庵へと走った。

 

「・・・・(ほたる)!!」


 甲高い悲鳴が竹林に木霊(こだま)する。

 生ぬるい液体が、体を覆う。熱気と、むせかえるような、鉄の匂い。

「おかぁ・・・さん?」

 自分に覆い被さる母の体はずしりと重く、どかそうとしてもどけることができない。やっとで顔をあげることが出来たときに、()と、目があった。

 鋭い眼光に大きな牙。口から血を滴らせ、此方を威嚇すように、背にある大きな翼を開け閉めしている。虎よりも大きな躰を揺らして、庵の中へと入ってこようとするのを、子どもは震えながら見ている。

「おかぁさ・・・おかぁさぁぁぁん」

 先程から指一つ動かぬ母の、徐徐に冷たくなっていく肢体を支えながら、子どもは迫りくる化け物を見ていることしか出来なかった。


 庵が大きく揺れ、(はり)が落ちて化け物が咆吼(ほうこう)する。

 朱色の水溜まりに身を浸しながら見たのは、美しい(くれない)(ほのお)だった。



「おい、螢。さっさと起きな。今日が何の日か話しただろう」

「何の日だったけ・・・?」

 まだ明け切らぬ目を(こす)りながら、(しとね)から這い出てきたのは、まだ幼さの抜けきらぬ少年。単衣(ひとえ)を身に(まと)い、肩より下に流れる髪は漆黒。閉じた瞼より、現れし瞳は・・・世にも珍しき朱色。左目下に在る紅の三つの斑点は、まるで蓮の花の蕾のよう。 

 緩慢(かんまん)仕草で(しぐさ)起きあがる少年、螢の頭上に勢いよく拳骨(げんこつ)が振り落とされた。

「いったっっっっいだろ!」

「今日は、帝との顔合わせの日だろう!大馬鹿者!腑抜(ふぬ)け!(かす)(くず)!」

 罵詈雑言を述べ、更に回し蹴りを繰り出すは、目を惹く朱色の着流しを纏いし女人(にょにん)。朱い(かんざし)(かしら)天辺(てっぺん)()し、腰には太刀と小太刀を差している。化粧の施された美しい(かんばせ)に、赤い口紅がにぃっと笑う。

「な・・・陽炎(かげろう)!そこまで言わなくてもいいだろ!・・・(まった)く、朝っぱらから(うるさ)いな・・・」

「ああン?聞こえてンだぞ、糞餓鬼(くそがき)

 太刀に手をかけ間合いをとる女人を(はす)に構えながら、溜息を()く少年。

「・・・年増ババァ」

 小声でぼそりと少年が呟いた声は、しっかりと女性の耳が拾ったらしい。

 朝陽が昇り、人々が朝餉(あさげ)を頂く頃に、女人の野太い怒声が響き渡った。



 「螢、準備は出来たかい」

「・・・出来たよ」

 女性にしては低めの声に、まだ声変わりしきれていない少し掠れた声が答えを返す。邸から出てきたのは、髪を後ろに高い位置で結った少年だ。単衣ではなく、黒い(はかま)に黒い着物を着て、陽炎と同じ朱色の羽織(はおり)を着ている。

「お、ちゃんと正装してきたな」

 螢は、偉い偉いと頭を撫で回す手をはね除けて、先へ進む。

「帝に会いに行くんだろ!さっさと行こう」

 先へ進む螢の背を追いながら、陽炎は笠を被る。

「螢、今日は日差しが強いから笠被っていきな」

「・・・ありがと」

 追いついて笠を渡すと、素直に礼を言う螢の横に並び歩く陽炎は、彼より頭一つ分大きい。というのも、陽炎が平均の女性より背が高いだけで、決して螢が低いわけではない。

「なあ、何で俺、帝と顔合わせしなきゃなんねぇの。何かした?」

「ばぁか。お前、お偉いさんと顔合わせるって言ったら全部そう言うよな」

 くつくつと笑うと陽炎は横でむくれている螢の、少しずれている笠を直してやる。

「・・・(あたし)たちの社会的立場を作ってくれた方だ。悪い方じゃないよ。ただ、元服を迎えた餓鬼の顔を見てえだけだよ」

「本当かよ」

 胡散臭そうに顔を(しか)める螢に、「本当本当」と軽く言ってのけると陽炎は、細道から大通りへと出る。

 行き交う人々の活気に乗せられるように、徐徐に明るくなってくる横顔を見ながら、陽炎は溜息を吐いた。

「螢、あんまり顔を出しすぎるんじゃねえよ」

「・・・・わかってるよ」

 なるべく顔を出さないように辺りを見渡していた螢だが、陽炎の指摘に慌てて笠を深く被った。行き交う人々は、帝のおわす天城(てんじょう)に近づくにつれ、多くなる。

 城下には多くの店もあり、町人たちが起き出して早速店を開けはじめている。

「明るい城下は始めてだなぁ」

 人々を眩しそうに眺める螢の肩たたき、陽炎は近くを通った茶屋で団子を買った。

「螢、朝餉満足に食べてねえだろ。団子でも食え」

「時間ないんじゃないの」

「ああ、誰かさんのお陰でな」

 鼻で笑う陽炎を軽く睨みながら、螢は渡された団子にかじりつく」

「・・・まあ、団子を食う時間ぐらいならあるさ。焦らずゆっくり・・・ああゆっくりは食うな」

 ゆっくり、と言った時点で、酷く緩慢に団子を噛んでいた螢だが、陽炎の注意に、少し租借(そしゃく)するのを早くする。

「うっまい。全部食べて良いのか?」

「うん?ああ、全部食べて・・・てもう全部食べてるじゃないか!」

 二十本あったはずの、あんこがかけてあった団子は今や寒々しい串を残すのみ。もともと全て螢に食べさすつもりではあったが、こうも遠慮無く早々と食べられると、何故か腹が立ってきた。

「くっそ!あ、お姉ちゃん、団子あと十本もってきて!」

 奥にいる店の看板娘に追加を頼むと、陽炎は横にいる螢の頭を笠ごと殴る。

「いってぇ・・・つうか、帝から招請されてんだから、早めに参内(さんだい)しなくちゃいけないんじゃないのかよ・・・」

「煩い。黙れ。腹が減っては(いくさ)は出来ぬぞ」

「あれ、俺たち参内するんだよな。戦に行く訳じゃないよな?」

 鼻息荒く団子を待つ陽炎はとても妙齢の女性には見えない。

「ていうか今年四十のババアが一々食べ物で意地張るなよな」

「ああン?なんだって?」

「いいえ、何でもないですよ」

 程なくして看板娘が団子を運んできてくれるのを、陽炎は嫌になるぐらい螢に食べるなと念押ししてから、食べ始めた。

「一々言わなくても食べないよ・・・」

 ここまで念押しされれば食べる気は失せるし、さっき二十本食べたか元々腹も空いていない。

 美味しそうに団子をほおばる陽炎を横に見ながら螢は、笠を被りなおした。



「広いなあ・・・」

「・・・そういやここまで来たの初めてだったか」

 無駄にでかいよなーと暢気に喋りながら前を行く陽炎の後ろをついていきながら、螢は辺りを見渡す。門番だろうか。槍や刀を持った武士が左右に三人ずつ配置され、中へ入る者を検分している。

「よう、元気でやってるか」

「おや、陽炎か。久しいな」

 陽炎が身元を(あらた)めている武士に声をかけると、無愛想に話していた(いか)つい(おもて)和ら(やわら)ぐ。

「相変わらず怖い顔しるなあ、親父さんは」

「そうかあ?」

「怒ってるように見えるよ」

 眉を下げ、困ったように頭をかく様は、人相を覗けば普通に何処にでも良そうな親父さんだ。ただ、泣く子も黙るほど恐ろしい凶悪な人相な分、穏やかな語り口との落差が激しい。

 螢が一歩引いて陽炎と、親父さんの会話を聞いていると、思いだしたように、いや実際今螢の存在に気づいたのだろう。陽炎が螢を手招きする。

「親父さん。こいつは、(あたし)の弟子の螢だよ。螢、こちらの方は、帝の近衛(このえ)隊長でもある、吉本賢三郎殿だ。挨拶しな」

「はじめまして、螢と申します」

 笠を被ったままでは失礼だろうと思うが、笠を被ったまま螢は挨拶する。吉本は螢をしばらく凝視した後、満面の笑みを浮かべた。

「なるほどなァ・・・この子が、螢君かい」

「ああ、そうだよ」

 意味深に笑みを浮かべる陽炎の脇腹をつつくも、陽炎は何も答えず、ただ、吉本と笑っているだけだった。

「螢君、儂のことは・・・」

 「賢爺、だろ」

 にやっと笑って陽炎が付け足す。吉本は大口を開けて、「そうだな、それでいい」と笑った。

 笑っても、正直右目にある大きな切り傷のせいもあって恐ろしかったが、瞳がとても優しい目だったので、螢は安心して笑むことが出来た。

「これからよろしくお願いします、賢爺」

「見事な外面だな」

「煩い!」

「おいおい、それが師匠に対する口の利き方か」

 呆れたように、螢の額をはじく陽炎の手を振り払いながらも睨み付けることも忘れない。そんな反応を陽炎がおもしろがってさらにからかっていることには考えつかずに煽りに乗る螢を賢爺だけでなく他の武士達も見ている。

「は?誰が師匠なんだよ」

「目の前にこんな綺麗で優しい師匠を持っておきながら・・・」

「綺麗?優しい?え・・・何処にいんの」

 わざとらしく辺りを見渡す螢の頭を笠ごと殴りつけようとするのを、成り行きを見守っていた賢爺が間に入る。

「おいおい二人とも、ほら、今日は何か用事があって来たんだろう。早くいかなくて大丈夫なのかい」

「あ・・・陽炎、時間大丈夫なのか」

 はたと気づいて螢は、陽炎を見る。すると、滅多にないくらい爽やかな顔で続けられた台詞は、螢が絶叫するのも無理からぬ内容だった。

「ああ、大丈夫さ。もう約束の時間には遅れてるから」

「・・・は?」

 賢爺と螢の声が重なってしまったのも無理はない。

「うん?聞こえなかったのか、二人とも。だから約束の時間には・・・」

「いやいや、ちょっと待て。今日は俺、お偉いさんとの顔合わせなんだよな?」

「おう。帝だ」

「帝・・・との、謁見の、約束の時間は・・・」

 恐る恐るといった(てい)で聞き出す螢に、これまた気持ちいいくらいの爽やかな声で陽炎が答える。

「八時だよ」

「さっき・・・九時の鐘鳴ってなかったけ、賢爺」

「ああ、鳴ってたな。ついさっきな」

「まあ、一時間だ、たいしたことねぇよ」

「たいしたことあるよ!何考えてんだよ!それでも朱天(しゅてん)頭領(とうりょう)かよ!」

「ああン?小さいことで騒ぐンじゃねえよ」

「ち・い・さ・い・こ・と?」

 声を荒げて詰め寄る螢を押し戻しながら、陽炎は緊張感の無い顔でしれっと答える。

「元々、九時過ぎからじゃねぇと、帝にも朝議っていう大事な勤めがあるんだよ」

「でも、約束してたんだろ?」

「ああ、大丈夫。いつものことだから」

「は?」

 何がいつものことなんだ。帝の招請の時間を違えることはいつものことなのだろうか。いつものことなのら問題ないのか。いやまてまて、問題は大ありだろう。帝っていったらこの国の頂点におわす人で、生き神みたいなもんなんだろ。なのに、帝の招請即ち勅命の時間に背くことは、やはり大問題で・・・そもそも何で団子、あ、団子だ!団子のせいだ!あそこでまったり団子なんか食べたから・・・!

「螢君、おーい、聞こえてるか」

「おい、螢!なんだよ頭だけでなく、とうとう耳までおかしくなったのか」

「・・・おかしくなんか・・・ああ今あんたの所為でおかしくなりそうだよ!きっと厳罰が下る・・・!」

 帝の勅命に背けば死罪・・・遅刻だから死罪とは行かないまでも、確実に罰は下る。と戦々恐々としていた螢だが、賢爺に背中を叩かれて我に返った。

「螢君、帝は寛大な方だ。むしろ今日の朝議はいつもより長かったから、遅れてきてきたことに返って安心しとるだろうよ」

「・・・朝議はいつ終わったんだ?」

「お前さんたちが来るほんの少し前じゃな。左大臣の馬車が邸に戻っていきよった」

「そうかい、なら丁度だな」

「ああ、陽炎も大変だなあ。帝の幼馴染みをやってくのは」

 さらに衝撃な事実に螢は、ここが門前だということも忘れて絶叫した。

「え、帝と陽炎って幼馴染みなの!?」

「ああ、螢君は知らんのか」

 結構有名だぞと笑う賢爺、厳つい顔だが声は低く聞き取りやすい上に何処か優しい、背の高い近衛隊長の顔をじっと見上げて螢は息を呑んだ。

「知らなかった!なんで陽炎はもっと早くに教えてくれねえの!」

「うるせえ!関係ねえだろ!ほら、さっさと行くぞ」

 足音高く門をくぐり、先へと進む陽炎の後を慌てて追いながら、螢はまだ見ぬ帝がどんな人物なのかと想像して、まったく想像がつかなかったので諦めて黙々と歩いた。



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