タイトル未定2026/06/05 13:13
新怒涛の三課 ~続編➂~
3月の決算が終了し、営業担当達につかの間の休息が訪れていた。
しかし、今日と言う日は人生が変わると言ってもよい日、4月1日。辞令交付の日である。
広いオフィスは静寂と緊張に包まれている。時折、誰かが咳払いをしたりする声が聞こえるが、話しをする者は誰一人いない。その目は支社長と総務部長にまんべんなく注がれている。
辞令交付は朝礼前に実施され、転勤者は朝礼で挨拶をするのが慣例である。さすがの三課も全員が早めに出社し、自己に関わる一大イベントを固唾を飲んで待っている。
(へっ、こいつらも一応心配なんだ、俺は去年転勤して来たばかりだから、全く関係ない・・昇進も三課の業績じゃ絶対にないし・・)
ザワッ、と空気が動いた。
総務部長が支社長のデスクに向かい、なにかを告げた、支社長はおもむろに立ち上がると上着を身に着け始めた。
全ての社員がその動きを目で追っている。やがて二人は応接室のドアに消えて行った。
「係長、始まりますよ・・あーどうしょう・・オレ転勤すかね・・」
山木がひどい貧乏ゆすりを繰り返しながら尋ねている、
「あのな、転勤て言うのは受け取り手がないと成立しないんだ、お前を必要とする支社なんてまず無いだろうな、心配するな、あっと待てよ・・そう言えば昨年できたビューティ関連事業部があったな、若手が足りないらしいから、山木お前可能性あるかもな、」
「えー、課長代行、確か健康食品とか女性の補正下着を訪問販売する部署ですよね、人気が無くて誰も希望者が無いんですよね・・」
「うん、今のところ再雇用された社員ばかりで、若い人材を欲しがっているらしいからね、あーお前可能性高いぞ、」
「ひぇー嫌ですよオレ、絶対にいやすよ・・」
30分程で交付式は終わり、朝礼の中で転勤者達が順番に挨拶をしている。転勤辞令を受け取った者、昇進辞令を受け取った者、一枚の紙切れがそれぞれの人生に与える影響は大きかった。
美咲はふと1年前を思い出していた。受け取った辞令にはM支社への転勤と、何より課長Aから係長Bへの三段階降格の知らせが記載されていた。頭が真っ白になったのを今も覚えている、廻りの全ての人達があざ笑っているようで、心は湿った灰のようになっていた。
朝礼後、
「美咲課長代行、応接室にお願いします、支社長がお待ちです、」
ふいに総務部長が笑顔で声をかけてきた、
「・・・え」
「朝礼前に渡したかったんだが、先程 本社から届いたものだから、今から交付します、」
そう告げると、総務部長は黒い漆のお盆を恭しく支社長に差し出してる、
「営業第三課、美咲係長B。本日付をもって営業第三課係長A兼務三課課長代行を命ず、」
支社長の声が遠く聞こえた。
美咲は差し出された辞令を受け取るも、その手は少し震えていた。
昨年の四月一日。
あの日も同じように辞令を受け取った。
だが、その紙には転勤と降格が記されていた。
積み上げてきたものが一瞬で崩れ去った日。
惨めだった
悔しかった
そして何より、自分自身を信じられなくなった。
ゆっくりと辞令を眺める。
そこにはもう「係長B」の文字はなかった。
代わりに記されていたのは、
『営業部、営業三課係長A、兼務課長代行』
「職階が一つもとに戻ったか・・・」
美咲は深く頭を下げた。
「ありがとうございます、」
それしか言えなかった。
「おめでとうは言わないよ、君は最年少で課長Aの職にいた人だからね・・」
支社長は年の割に済んだ瞳で美咲を見つめながら話している、
「松阪部長だがね、懲戒解雇になった、」
「えっ、A支社の松阪部長ですか?」
「ああ、君のもと上司の松阪部長だ、華美堂の専務の件は知っているよね、」
「はい、先物取引で失敗して多額の借金を作ってしまったと聞いています、」
「実はね、専務に先物取引の話しをもちかけたのは松阪部長だったらしい、悪徳業者からリベートを貰う為にね、華美堂の担当美容社員だった井上さんが店のスタッフから聞いてね、営業担当の小田主任にリークしたそうだ、」
「まさか・・本当ですか?」
「うん、A支社の総務部長は私の同期でね、しっかり裏をとったそうだよ、華美堂の夜逃げの件も松阪部長は知っていたらしい、全ての責任を君に押しつけて自分の身を守ろうとしたんだね。A支社の総務部長は君のことをずっと気にかけていてね、支社長からも本社の人事に君の降格の取り消しをお願いしてもらったそうなんだ、だがね当時は君も課長だったから責任はある、今回の辞令が精一杯だったんだよ・・」
辞令を乗せた黒い漆のお盆を持ったまま総務部長が二人の会話に入ってきた、
「でもね、美咲課長代行、君もA職に復帰したからね、管理統括手当1万5千円と課長代行手当2万円、合わせて3万5千円給料が増えるよ、」
総務部長は
「そうですか、ありがとうございます・・」
「まっ、嫌な話しはこれくらいにして、総務部長例の辞令を、」
「美咲課長代行、もう一つ辞令がありますので支社長から交付していただきます、」
(また辞令・・)
総務部長が黒いおぼんを支社長にさしだしている、
「美咲課長代行、本日付をもって見習生の養成担当を命ず、」
支社長はおもむろに白い辞令をさしだした、
「あ・・はい・・」
「見習生と言っても美生堂の社員じゃないんだ、販売店関係の人でね、1年間見習生としてこの業界を勉強したいとの要望でね、本社から依頼されたんだよ、社外の人間だが社内情報の秘密厳守等の契約が交わされているそうなんでね、普通の見習生として君に教育して欲しいんだよ、」
「あっ、はい・・」
「明日から出社するので宜しく頼むよ、」
支社長は明るく微笑んでいる、
☆
「よかったね、ゆうちゃんご昇進おめでとう、」
いつものカウンターのいつもの席で幸子がビールを注いでくれている、相変わらず、いやに胸の開いた赤いセーターと、短いピンクスカートを身につけている、」
「さっちゃん、少し露出が激しくないか・・」
「えっ、なに、気になる?」
「たまに変な奴が来るって言ってただろう、危険だぜ、」
「いやーん、じゃゆうちゃんが守って、ゆうちゃん空手強いでしょう、ずっとここにいてよ、」
彼女は白いエプロンを外すと隣に座り、膝に手を置いてきた、短すぎるスカートから白い綺麗な足が覗いている、
刺激的だな・・
・・俺も男だぞ
「さちっーいるっ」
突然扉が激しく開いた、
幸子が驚いたように立上がる、
「あー、お邪魔虫だった、へへー、」
「何よ愛、どんだけ酔っぱらってるのよ、」
幸子は急いでエプロンをつけている、
「さち、冷と肉じゃが頂戴、」
山口 愛は普段はしとやかな女性であるが、酒が入ると人格が変わる、元同期の幸子はいつも介抱役であった。
「おお、美咲課長代行どの、」
「あ・・なに・・ご機嫌だね、」
美咲は彼女が苦手である、綺麗な顔に似合わず言いたいことをはっきりと言ってくるし、三課のクズメンバーの件でいつも怒られている、
「美咲課長代行どの、三課ってどうにかならないんですか、三課って美容社員は5名しかいないのに皆んなバラバラで、営業担当と全くコミュニケーションがとれてないし、私はたった5名の三課の美容社員達のフォローでいっつも頭抱えているの、お肌に悪いわよ、お肌に、このまま嫁にいけなかったら美咲課長代行どのが責任をとって私を嫁にしてくれなくちゃね、ね、そうでしょう?」
「だめよー、ゆうちゃんの嫁は私がなるんだから、」
幸子が肉じゃがを温めながら奥から叫んでいる、
「あー、まぁー、あんまり飲まない方が良いと思うよ・・」
山口 愛はコップ酒を一息に飲み干すと、さらに一升瓶をグラスに注いでいる、
(頭が痛い、)
昨日は山口 愛にさんざん付き合わされて完璧な二日酔いである、
(今日、見習生が来るんだったな、少し早目に行くとするか・・)
ヤカンのまま飲む水が胃に染みるように旨い、
「美咲係長、見習生を紹介するので応接室までお願いします、」
朝礼前に総務部長が声をかけてきた、
「はい、」
応接室では支社長が品のある紳士と話しをしている、
「おお、美咲課長代行、紹介するよ、今日から見習生になる松木 優孝さんだ、宜しく頼むよ、」
「営業三課の美咲と申します、宜しくお願いします、」
「松木と申します、こちらこそ宜しくお願い致します、」
「松木さん、今日から美咲課長代行が貴男の養成担当となります、彼の指示に従ってしっかりと学んでください、」
「はい、ありがとうございます、美咲課長代行頑張りますので宜しくお願いします、」
「はい、一緒に頑張りましょう・・」
朝礼後、美咲は三課のメンバーに松木を紹介している、
「そう言うことで、今日から松木さんは三課で見習業務に就かれることになった、今週一杯は各部署の業務内容説明を受け、来週からは皆んなに同行してもらう、同行スケジュールは追って連絡するので宜しくお願いします、特に営業車が汚い山木と秋山、車内を片づけておけよ、松木さんが座る席がないぞ、」
「チース、」
「はい・・」
「皆さん、今日からお世話になります松木です。ご覧の通り年寄りですが、体力だけは自信がありますので、どんどん使ってください。よろしくお願い致します、」
穏やかな挨拶に課内から笑いが起きた。
「チース。松木さんって何歳っすか?」
山木が遠慮なく尋ねる。
「五十七です」
「えーっ! 還暦目前じゃないすか」
「こら山木」
美咲がたしなめると、松木は柔らかく笑った。
「気にしませんよ。皆さんのお父さんと同じくらいの年齢でしょうからね、」
その笑顔には不思議な余裕があった。
見習い生。
それも五十七歳。
普通なら定年を意識し始める年齢だ。
それなのに、この男は一から学ぶためにここへ来た。
しかも――。
(ただ者じゃない)
美咲は直感していた。
背筋の伸び方。
言葉遣い。
立ち居振る舞い。
まるで長年、人の上に立ってきた人物のようだった。
その日の昼。
美咲は偶然、応接室の前を通りかかった。
中から支社長と総務部長の声が聞こえる。
「本当に三課でよかったんですか?」
総務部長の声だった。
「構わん。むしろ三課だからいい」
支社長が答える。
「しかし、あのお方が――」
そこで声が途切れた。
美咲が近づく気配に気付いたのか、慌てて話題を変えたようだった。
(あのお方?)
誰のことだ。
松木のことか?
いや、まさか。
見習い生のことを「あのお方」などと呼ぶだろうか。
だが胸の奥に小さな違和感が残った。
その夜。
松木は一人、自宅の書斎にいた。
壁には数々の表彰状。
高級そうな調度品。
机の上には一枚の写真が置かれている。
そこには若き日の松木と、ある大企業の創業者が肩を並べて写っていた。
松木は静かに写真を手に取る。
「さて……」
そして窓の外の夜景を見つめながら呟いた。
「営業三課か……」
その眼差しは、見習い生のものではなかった。
まるで獲物を探す鷹のように鋭かった。
営業三課の誰一人として知らない。
この男がやがて会社の運命を揺るがす存在になることを――。




