ハーレムダンジョン
私はしがないサラリーマン。三十代半ばの最近結婚したばかりのおっさんだ。今俺はダンジョンの中にいる。剣と盾、薄っぺらい鎧を着て、腰が腰がと年齢を憂いている。何をしに来たかというと、ダンジョンのボスに妻が捕まってしまったから助けに行っている。気持ちはさながら、不謹慎かもしれないが、ゲームの勇者のようである。
まずダンジョンとは何かを説明しなければならない。ダンジョンは都内各地に――
「きゃー!」
悲鳴が奥から響いてきた。しかし私は説明を続ける。実は私の妻はやはりものすごく可愛らしく、美女なのだ。それでもって強い。妻は冒険者をやっていて、だからうっかりしてダンジョンに――
「きゃー! だれかー! 助けてー!」
悲鳴がそこから響いてきた。しかし私は紳士。妻一筋だ。先ほども言った通り、妻は冒険者だ。そして私はサラリーマン。サラリーマンがダンジョンに入ったところで魔物に返り討ちにされるのが関の山だ。しかしどうだ、私はサラリーマンである以前に彼女の夫だ。愛の力がある。それさえあればどんな敵でも倒せると思わないか。
ちょうど曲がったところ私は酷い顔をした女をみつけてしまった。今にも崖から落ちそうな様子だ。
「助けてください! お願いです!」
私は紳士だ。妻もそこが好きだと言って私を愛した。私には愛がある。愛とはそこにいる人が誰であろうと助けようとする精神でもある。とはいえ、私は既婚者だ。この女は誰でもない。見捨てたところで私に善悪はない。この愛は妻だけのものであるべきだ。
しかし迫真の顔をしている。ここまで嘘のない表情を私は見たことがない。ありのままの女の顔とさえ映る。つまりそれは裸同然なのだ。目の前に、たとえそれがブスであっても、裸の女がいたとき、男がそれに逆らって通り過ぎることができようか。いやできない。もしできるのならそいつはゲイかホモだ。私は断じて男である。
だから私は女を助けた。女が豊満な胸を押し付け、私にキスしてきて、それで興奮しても私が男であるが故であり、それはアイデンティティであるだけであり、断じて下心などない。
されど女も人。男も人。割り勘するかしないかと言い争うように、人として扱う場合は、平等であるべきだ。すなわち私ははっきりと告げた。
「お礼は?」
「も、もちろん! えっと、今、これしかありませんが」一万円を渡してきた女。
「いらん。これを貰おう!」
「きゃー!」
私は女からパンティーを剥ぎ取った。女の命は安い。これほどのブスであればなおさらだ。何度ビンタされても一万円よりも値のつくパンティーを貰わなければ、それこそこの女の命を軽視している。それは紳士のすることではない。
女は何度も私をビンタし、嫌ったように怒るが、一度裸になった女の嘘の顔はすぐわかる。ましてや女はむしろ私からべったりして決して離れない。こうして――崖の女が仲間になった!
私はもちろん既婚者だ。だから女のありきたりな乳に誑かされることはない。しっかりと自分には妻がいることを告げた。
ビンタされた。
でも彼女はそれでも私のそばから離れなかった。彼女は私の顔を見て「嘘をついてる」と気持ち悪く微笑むだけであった。
「きゃー!」また悲鳴が聞こえた。
「なるほど。それがどうか、確かめてみよう」
私は悲鳴のほうへ走った。そこにはゴブリンに襲われている金髪の白人がいた。汚らしいゴブリンに服を剥がされている女は、その白い肌もあって輝いて見えた。
私にとってこの女は宝石であり宝箱だ。目の前に宝箱があって、ここがダンジョンならば、それを開けないわけにはいかない。私はゴブリンに混じった。
ゴブリンが殴ってきた。
私はゴブリンを殺した。
金髪美女はすがるように私の足に掴まってきた。私はとりあえず鎧を渡して、その姿身を気遣った。紳士なので。
「ありがとう。もう少しで危険なところでした。えっと裸だから渡せるものはありませんが、あとでするので連絡先を……」
「わかった。名刺だ」
「すいません。書くものとペンを」
「すまない。忘れたようだ。ダンジョンを出てから教えてくれれば」
「そ、そうですね」
「手を貸そう」
私はこの真っ暗で人気のないダンジョンの中で金髪美女と二人きり。礼は後でいいが、この間も私はこの女を守らなければならない。となれば自然と女は私に掴まってきて、親密になる。礼は後でいい。しかし利子があるはずだ。その利子とはまさしくこの時間ではないかと私は紳士ながら思うのだ。彼女の瞳は一つだけある星のようであった。
が、無論、先ほどの月の裏側があるので私は蹴られた。どうやら私は正直者のようだ――こうして金髪美女が仲間になった。
それからもダンジョンを歩けば美女と困難に遭遇した。トラップに足を挟まれて身動きが取れなかった少女、スライムにドロドロにされていた女子大生、それから魔物との激闘の末ボロボロの恰好になっていた女戦士など。だいたい十人ほど、私は老若女女を仲間にしていた。
ダンジョンの密室の中で私たちは互いに愛という偽りの友情を深め、先行きは暗くなるばかりだった。が、そこには星空と天体望遠鏡があった。
私はたしかに彼女たちと快楽共にしたが、それは冒険のゆえ、彼女たちの気持ちゆえだ。彼女たちもお礼をしなければ気持ちが悪いだろう。だからそれを受けた。罪悪感が無いといえば嘘になるが、ダンジョンという無法地帯ではその倫理感すらも無謀だった。それに一時の夢なだけだ。
そうこうしているとき、私は何階層か忘れたが、森の川で体を洗おうとした。そしたら間違って滝を見つけてしまった。しかも爺付きだ。
いいなりのした爺が崖から落ちそうになっていた。醜い顔をして私に助けを求めていた。よく見るとどこか見覚えがある。思い出した。この男は一夫多妻制を反対していた政治家、派閥の代表だ。
滝の激流は魔力が籠っているのかうねって聞こえた。
「そこの! 儂を助けてくれ!」
「私は日本人だ。卑怯者じゃない。助けてやろう」
「そうか。そうか!」
「しかし今の時代。関係は対等であるべきだ」
「わかった! 礼はする。礼はする!」
私は紳士だ。困っている人がいれば救う。それこそが愛であり、私の一つのアイデンティティだ――私はか弱い老体を掬いあげた――しかし私は一つ、葛藤している。この老人がいなくなればハーレムが実現する。私にあった罪悪感は、民主主義に則って肯定される。私は一個人でしかない。一個人のアイデンティティは民主主義に勝らない。そしてそこに愛する女が沢山いるのであれば、それを愛さないのは道徳的ではない。
爺は厳しい顔をした。命の恩人にするような顔ではない。
「なんだ? すまん。儂は急いでいる」
「待て」
「ああ、礼か。このカードをやる。十分な金だ」
「違う」
「だったらなんだ? まさか! 儂のパンティーが欲しいのか!」
「いるわけねえだろ。ほしいのは――お前の命だ」
「うわあああああああああああああああああ!」
私は爺を突き落した。ここはダンジョン、下はジャングル。魔獣がその死体を食らうだろう。誰が殺したかはおろか、死んだことさえわからない。
私の精神はついにダンジョンに染まった。ダンジョンという無法、秘境、自由が私を人間にした。私はその欲望を完全に開放させられる領域の一部になったのだ。私こそが迷宮なのだ。
妻は次の階層にいる。私のそこまであった悲劇、希望、杞憂は今、明確な一つの欲望に変貌した。
「妻を殺す」
私は森へ。私を待つハーレムに飛び込んだ。
ハーレムがなぜ悪いと言われるのか。制度などは無しにして考えれば、一人の強情な女がいるせいだ。人一人を独り占めしたい。その欲望を私たちは長年是とした。されど私の周りにある民主主義はそれを認めていない。そもそもここに社会はない。
もしもそこに私だけを愛し、私がだけ愛することを望む女がいるとき、それはここにある自由への反感であり、戦争である。私は私の自由とアイデンティティの為に彼女を殺さねばならない。
この気持ちは階層の階段を登るごとに強くなった。実におかしかなことに、私にあった愛は憎しみになり果てていた。
それがその扉、ゴーレムの向こう、柱に縛られた妻を目撃したとき、私は恋をした。彼女は助けてなど一言も言わず嬉しそうに哀しそうに驚いた。私は彼女の内に私を感じたし、私は私の内に義務ではなく愛情を感じた。彼女に同情し、激昂した。
「ゴォオオオオオオオオレムウウウウウウウウウウウウウウウウウ!」
私はハーレムと一緒にゴーレムを倒した。妻の縄を解けば、すぐに熱いキスをした。
そして後ろの売女を邪険に扱い、弁明を図ったが、もれなく串刺しにされ、妻からもぶん殴られた。
「クソ浮気野郎」
「だったらもうダンジョンなんか行くなよ」
なぜ私がここで今一度、恋に覚めたのかは容易い。万人ではなく、一人だけを待つ乙女の神聖さに欲情が消し炭になったからだ。これほどにまで不自由で秘匿な愛が、丸めた指の輪っかの光の輝きのように、あまりに儚かったのだ。切なく可愛らしかったのだ――こうして私は妻を取り戻した。
そしてこの功績を認められた私は勇者となり、ダンジョンに行けば女の子を蹴り落とすようになった。私はゲイでもホモでもなく、不自由な愛の奴隷である。
なにこれ?




