二
「エレンさま!」
君が笑う。満開の花畑の中で、君が笑う。
「ねえ、サーシャ。大人になったら僕のお嫁さんになってくれる?」
オレンジの目を丸くした君は、すぐに花のような笑顔で頷いた。
「はい! サーシャ、あ、違う。わたくしは、エルアレンさまのお嫁さんになります」
遠くにサーシャと僕の両親がいるのが見えた。
僕はこっそりと、サーシャの柔らかい頬に自分の唇を押し当てた。
◇◇◇
ロンファルティア国 第二王子 エルアレン殿下へ
今は元第二王子なんだっけ?
でも僕の中では第二王子のままなので、そのまま書くね。
君の元婚約者はとても元気です。
うちの国でも相変わらず、自分の世界を作り上げて幸せそうだよ。
彼女と挨拶した両親からはやっぱり、彼女はあちらの国ではどういう教育を受けていたのか? と質問されたけど、教育を受ける環境は整っていたこと、彼女自身が有益だと判断せず、身につけようとしなかったことを伝えています。
ま、正直、僕も君の国に行かなかったら、両親と同じように考えていたと思う。
そうそう。君の元婚約者だけど、突然内政に関わりたいと言い出したよ。
君の国では取り入れてもらえなかった案を、うちの国で試したいんだって。
一応聞いてみたけど、穴も多いし、矛盾も多い。君の国で取り入れなかった理由もわかった。
国民全員を巻き込んで失敗したらどうするんだろうね。
失敗しました、ごめんなさいって言えば全てが収まるとでも思ってるんだろうか。
これには僕の両親も苦笑いしていたな。まだうちの国の人間でもないのにと。
婚姻式を迎える前の段階で、こんな事を言い出した異国の姫はいなかったから、歴史上で初だね。
それよりも先に、嫁ぎ先の伝統や文化について学ぶべきだと思うのだけど。
彼女を見ていると、君の選択は正しかったんだなと思う。
最初、この話を提案された時は驚いたし、正直に言うと君の正気を疑ったけどね。
この手紙がそちらに届く頃には、婚姻式を迎えているだろうけど、手は出さないから安心して。
両親にも君の願いは伝えてある。大丈夫、彼女のことは国として、大切にするよ。
彼女は我が国の金の薔薇だからね。
そちらの国とは書簡でのやり取りが多くて、実際に滞在できたのは二ヶ月間という短い期間だった。
けれど、君の国のあり方や姿勢を学べたことは、僕にとっても、とても良い機会だった。
また機会があれば、ぜひ行きたいよ。
それでは、再会を願って。
オラヴ国 第三皇子 ルウェリン・ダヴィズ
◇◇◇
「ルウェリン・ダヴィズ第三皇子からの書簡ですか」
セスの問いかけに、執務室の椅子に座ったまま、僕は頷く。
「書簡というより手紙だね」
あの婚約破棄から時間は過ぎて、季節は秋になった。
確か秋の初めに、ルウェリン皇子とサーリアシャは婚姻式を挙げると聞いていたから、恐らくもう式は終わっていることだろう。
少し痛んだ心に自分で気付かないふりをして、手紙を閉じた。
「サーリアシャ嬢はお元気そうで?」
「この手紙をルウェリン皇子が書いてる時は、元気でやってるみたいだ」
「書いてる時は、ですか……」
僕が言わなかった言葉を読み取ったのか、やや沈んだ声でセスが呟く。
「まあ……オラヴ国は、我が国と異なる精神風土ですからね。それをサーリアシャ嬢が受け入れれば何も問題ありません」
「そういうことだよ」
僕は薄く笑う。
冷たい秋風が開いた窓から吹き込んできて、机に積まれた書類の端を捲り上げた。
慌てたセスが窓を閉めたことで、秋風の代わりに紅茶の香りが部屋に漂いはじめる。
「サーリアシャのために、僕にできるのはここまでだ。あとは、オラヴ国にお任せするよ」
コンコンと、控えめにドアがノックされた。扉が開き、同じように僕を支えてくれているセスの弟が一礼する。
セスの弟は僕より二歳年下だが、相変わらずドレスを着せたら女性と見間違えるのではないかと思うほどに整っている。
「ウェスター公爵がエルアレンさまへ面会を希望されております。如何なさいますか?」
「公爵を、議会用の客室へ。僕もすぐに行く。それからセス、後で手紙の返事を書くから良い紙とインクを用意しておいてくれ」
手紙を引き出しに仕舞い、僕は立ち上がった。
あの婚約破棄の日、僕は「王子」ではなくなった。しかし兄が王位を継承するまでは保留扱いにされていて、立場上は王子のままだ。
王家でないと確認できない書物や書類があり、僕が動きやすいようにという、王家からの温情だ。
「畏まりました。しかし殿下、差し支えなければフィルス公爵とは何を…?」
「これからの話だよ」
セスに差し出された上着に腕を通して僕は言った。
「彼女がいないこの国の、未来の話をするんだ」