二(追加)
会場に響く冷え冷えとした声。ざわりと揺らめく観衆の中を、悠然とした態度で歩み出てきたのは背の高い男性だった。
「兄上…!」
「アデルバート殿下」
この国の王太子であり、第一王子のアデルバート殿下。
第二王子より三歳年上で、文武両方に優れ、王となるために生まれてきたような人だ。隣国の第三王女と婚約をしており、来年の初夏には結婚式を挙げることがきまっている。
「来賓客を待たせて何をしているかと思って見に来たが……エルアレン、お前は何をしている」
アデルバート殿下からの冷たい視線を受けた第二王子は、動揺を隠せない様子で答えた。
「サ、サーリアシャの悪行を暴いていたのです! サーリアシャはこのシシィに嫌がらせを行っていました。いくら僕の婚約者と言え、許されることではありません!」
「……ほう。嫌がらせとは?」
「シシィが学園で階段から突き落とされ、怪我を負いました。その現場でサーリアシャを見たと」
「……その娘以外に、証人は?」
「それは……いえ」
言い淀む第二王子を見ながら、アデルバート殿下は僅かに眉を寄せた。
「では、お前はその娘の目撃証言だけで、ウェスター公爵令嬢を犯人だと?」
「で、でもわたし! 階段でサーリアシャさまの後姿を見たのです! 」
ヒロインが胸の前で手を組んでアデルバート殿下に近づいた。潤んだ瞳で殿下を見つめるその姿は、まるで娼婦のようだった。
「黙れ」
アデルバート殿下はヒロインに氷のような視線を向けた。その余りの冷たさに、流石にヒロインも青ざめる。第二王子が庇うようにヒロインの前に立つ。
「兄上、確かに証人はシシィだけですが……いえ、シシィが嘘を吐くはずがありません!」
「……そうか。では問おう、その娘が階段から突き落とされたのはいつだ」
「十日前です! わたし、本当に怖くて…」
「……誰がお前に直答を許した。私は弟に聞いている」
この状況でもまだアデルバート殿下に近づこうと前に出るヒロインに、さすがの第二王子も顔を引き攣らせ、その腕を掴んだ。
「シシィ! 十日です、十日前のことです、兄上!」
「十日前か」
アデルバート殿下が軽く手を挙げると、すぐに見覚えのある側近の一人が走り寄ってきた。手に持っていた冊子を捲って、とあるページを開くと、アデルバート殿下へ恭しく差し出す。
「十日前、ウェスター公爵令嬢は王宮で王妃主催の茶会に出ていたと記録がある……ウェスター公爵令嬢、これは確かか?」
そう。私はあの日、学園を休み、王宮で開かれていた王妃主催の茶会に出ていた。
このまま結婚すれば私は第二王子妃になる。そのために行っていた勉強の進捗具合の確認のためだった。
私はアデルバート殿下へ一礼した後、その顔を見つめて頷いた。
「はい、アデルバート殿下。その日、わたしは王宮で朝から王妃殿下と共にいました。夕方に公爵家の馬車が迎えにくるまで、ずっと」
それを聞いた第二王子が顔を強張らせてヒロインを振り返るった。背後にいるヒロインの顔は、今にも倒れそうだ。
それでも第二王子はヒロインを庇おうと、口を開く。
「で、ですが! シシィが確かに彼女を見たと……」
「お前は王宮の者達の証言を疑うのか?」
「そ、それは……」
アデルバート殿下は冊子を側近に返すと、絶対的な響きを持った声ではっきりと告げた。
「しかし、その娘が突き落とされたのが本当であれば、厳粛な対応が必要だな。この場で、そのための調査を王家が行うことを約束しよう」
「ち、調査なんて……そ、そこまでは……」
震える手で制服の裾を握り締めながら、ヒロインが小さな声で言った。
「何を言う、小娘。それが事実であれば王立学園内で犯罪が発生したということ。他の生徒たちの安心のためにも、調査は必要だ。ただファルス公爵令嬢が犯人でないことは、この場で明らかとなったな」
別の側近がアデルバート殿下へ駆け足で近づき、耳元で何かを囁いた。そして手にしていた一通の手紙をアデルバート殿下へ手渡す。
殿下は封筒から取り出した手紙にしばらく目を通すと、口を開いた。
「……別室にいる国王陛下より、直々に勅旨を賜った」
アデルバート殿下の声がしんと静まりかえった会場に響く。
「王族が、明確な証拠がないまま、独断で裁きを行おうとした。このような横暴を振るうなど許されることではない。それにより、エルアレン王子の称号を剥奪し、臣籍とする」
「剥、奪……!?」
第二王子が蒼白な顔をしてガックリと座り込んだ。「王子」の称号を剥奪されるということは、もう王族ではないということ。つまり、立場は臣下と同じ。
手紙を持つアデルバート殿下の手は、怒りで小さく震えていた。
「……この娘を保護せよ」
アデルバート殿下の指示で騎士が二人、ヒロインを保護するために動いた。両手を後ろで縛り上げられたヒロインは身をよじって叫ぶ。
「ちょっと、何するのよ! 触らないで、離して!!」
「あ、兄上!? シシィは被害者で……!!」
「保護だと言っているだろう。貴重な証人だ……本当に突き落とされたのであれば、だが。お前たち、娘と一緒にこの愚弟も連れて行け」
叫び続けるヒロインと、ガックリと膝をつく王子の称号を奪われた男は騎士たちと退場していった。
ああ…何て馬鹿な二人。
「さて、卒業生の諸君。卒業パーティでこのような騒ぎとなったこと、誠に申し訳ない」
卒業生たちを見まわしたアデルバート殿下が言った。
「そして、ウェスター公爵令嬢も。この度の騒ぎ、王家を代表して私が謝罪する」
「いえ、アデルバート殿下のせいではありませんわ!」
私は慌てて首を振る。アデルバート殿下は怒りが収まらないと言うように、大きくため息をついて私から視線をそらした。
「弟は臣下となった。それにより弟との婚約は、後日書面で正式な破棄となるだろう。今後の婚約については良き縁談を結べるよう、王家としても尽力させてもらう」
「……はい」
「——じゃあさ、僕のところにお嫁に来ない?」
聞いたことのない声が割り込んだ。
コツコツと響く靴音。静まりかえった会場を歩く、艶めく漆黒の髪。アメジストを思わせる紫の瞳と、陽に焼けることなど忘れたような白い肌。
アデルバート殿下とは違う、中性的なタイプの美丈夫がそこにいた。
誰? 私はこのキャラクターを知らない。この乙女ゲームに、異国の王子はいなかったはず。もしかして、続編が出ていた? それとも……。
「……ルウェリン・ダヴィズ殿。来賓客の入場はお待ち頂いているはずだが」
「余りに待たされるので、何か面白いものがあるのかと思いまして」
アデルバート殿下が眉を寄せ、その人物を見た。綺麗な顔でにこりと笑うその人の、吸い込まれそうなアメジスト色の視線が私に向けられる。
「初めまして、美しいご令嬢。私はオラヴ国第三皇子、ルウェリン・ダヴィズ」
オラヴ国といえば、確か周囲を海で囲まれた島国で、友好国のひとつだったはずだ。
「先ほどの第二王子とご令嬢とのやり取りを聞かせていただいた。なかなか興味深いご令嬢だね。よければ、サーリアシャ嬢とお呼びしても?」
「は、はい……」
ルウェリン皇子は美しく穏やかな笑顔を浮かべて膝をつき、私に右手を差し出した。
「どうやら、この国の第二王子との婚約は解消されたされた様子。今、あなたが心に思う相手がいなければ、僕が結婚相手に名乗りをあげましょう。どうか僕の国へお嫁に来ませんか?」
きゃあーっと会場にいた女子生徒から悲鳴のような歓声が上がる。
「私、ルウェリン皇子とは初めてお会いしましたわ。それなのに、何故……?」
「金の薔薇にも負けない美貌、そして第二王子と対峙しているときの凜とした立ち居振る舞い、まぁ……一言で言うと一目惚れかな」
「ひとめ、ぼれ」
「そう。ねぇ、僕の国へおいでよ、サーリアシャ嬢。心安らかな日々を約束するよ」
そう言って微笑むルウェリン王子の笑顔は、どこまでも気遣うように優しく、温かい。
「婚約破棄されたばかりの、私で良いのですか……?」
「君がいいんだ、金の薔薇の君」
私はおずおずと差し出した手を取った。
子犬を想像させるような、満面の笑顔をぱあっと浮かべたルウェリン殿下は、そのまま私の手の甲に口付けた。
ドッターンと誰かが倒れた音がして「キャー!?」とさっきとは違う叫び声がした。ルウェリン殿下の中性的な色気にやられたのかもしれない。
真っ赤な顔をした私の手を、ルウェリン殿下が立ち上がって優しく握りしめた。
「心から大切にするよ、金の薔薇の君」
卒業パーティは、元第二王子とヒロインを除いたまま続行された。
ルウェリン皇子から私への求婚という出来事で、王家の失態を誤魔化したような気もするが、まぁそれは良いと思う。
王家は国民へすぐに、元第二王子について通達を行った。王太子殿下と国王陛下の対応が早かったこともあり、国内での影響は少なく、国民にもすんなり受け入れられた。
婚約破棄したその日、王子でなくなった元婚約者。彼は二ヶ月経った今も、王宮の一番奥で幽閉されているという。剥奪されても、その体には王家の血が流れている。簡単に平民として放逐する訳にもいかないのだろう。
──そして、私は。
「ルウさま、海だわ!」
「船の上ではしゃぐと危ないよ、サーリアシャ」
ルウェリン皇子と一緒に、オラヴ国へ向かう船の上にいた。
ルウさまの強い希望で、視察に来た彼が帰国するタイミングと同じ時、私もロンファルティアを立つことになった。
ルウさまがロンファルティアに滞在したのはたった二ヶ月。
私はオラヴ国へ引っ越す準備があったから、会えたのは数回だったけど、いつでも彼は私に優しい。髪を触ること、手を繋ぐ以外の接触はないけど、それも紳士的で素敵だと思う。
海風で飛びそうになった帽子を、ルウさまがそっと押さえてくれた。
彼が笑う。
「サーリアシャ、心から大切にするよ。僕の『金の薔薇』」
ねぇ、前世の私。
ゲームの通り、第二王子には婚約破棄されてしまったけれど、それでも私は異国の王子に求婚されて幸せになったわ。