一(追加)
「サーリアシャ・ウェスター公爵令嬢! 君との婚約を本日で破棄する」
聞きなれたその声は、王立学園の卒業パーティの会場でよく響いた。
「あら……第二王子殿下。このような場所で、突然何をおっしゃるの?」
私は手にしていたお気に入りの扇で口元を隠し、目の前に立つ婚約者に尋ねた。
婚約者でもあるこの国の第二王子は、その整った顔を歪ませて私を睨む。
「サーリアシャ! お前が僕の婚約者であるにも関わらず、このシシィに嫌がらせをしていたな!? そんな女を、王家へ迎え入れることは出来ない!」
「嫌がらせ……? 身に覚えのない話ですわね。どなたがそんなことを言われているのかしら」
第二王子にそう返しながら、私は扇の下で込み上げてくる笑いを隠していた。
自分が前世で流行った乙女ゲーム『ロンファルティアの華』、通称『ロン華』の世界に転生していることに気付いたのは、十一歳の時だった。
舞台は中世ヨーロッパがモチーフの、ロンファルティア国。
母を亡くし、パン屋で働いていたヒロインは、自分が子爵家の血を引く子供であることを知る。
迎えに来た父親により、貴族子女の義務である王立学園への編入が決まるが、彼女を待っていたのは制限や慣習に縛られた貴族の世界。不慣れな学園生活で、タイプの違う男性たちと出会うヒロインは、さま々なイベントを通じて彼らと恋に落ちていく。
ゲームに登場する攻略対象は、第二王子、宰相の息子、騎士団長の息子、音楽家の息子、平民の大商人の息子の五人。
私は運の悪いことに、第二王子ルートでヒロインを邪魔する悪役令嬢、サーリアシャ・ウェスタ―公爵令嬢に転生してしまっていた。
第二王子ルートのラストは、卒業式で第二王子の婚約者…つまり、私を断罪するシーンから始まる。
——そう、まさに今。
卒業パーティの場で、私はゲームの筋書き通りに断罪されている。
◇◇◇
ゲームの中では、ウェスター公爵家の愛娘として、両親から甘やかされて育ったサーリアシャ。
彼女は七歳の頃、王宮で出会った第二王子に一目惚れ。婚約を両親にねだった。
望んだ相手が第一王子であれば、国内外のバランスを考慮して却下されたかもしれない。けれど、所詮はスペアの第二王子。王家としても、国一番の資産家であるウェスター公爵家を取り込んでおいて損はない…そんな理由でサーシャリアと第二王子の婚約は正式に結ばれた。
サーシャリアは第二王子を、正確にはその整った顔を、非常に気に入っていた。しかし、自分勝手でわがままな婚約者に辟易していた第二王子は、学園でヒロインと出会う。
子爵家の庶子だが、学園に編入するまでは市井で暮らしていたヒロイン。その飾り気のない笑顔に、第二王子は一目ぼれする。
それを知った婚約者のサーシャリアは大激怒。ヒロインを罵り、悪意のある嫌がらせを繰り返す。皮肉なことに、それによりヒロインと第二王子と絆は更に深まり、最後は学園の卒業式でサーシャリアとの婚約を破棄。二人は周囲に祝福されて結ばれる。
そして、婚約破棄されたサーシャリアは。
甘やかされたサーシャリアを嫌っていた実の兄に、ウェスター公爵家の領地にある屋敷へ幽閉される。
幽閉なんて生温いと思いきや、流行のドレスも着られず、夜会もなく、チヤホヤしてくれる取り巻きもいない。今まで我儘放題で甘やかされていたサーシャリアからすれば、人生の楽しみを全て奪われたと同じ。幽閉された屋敷で、ついには狂って自害してしまう。
それを思い出したのは、高熱を出して寝込んでいた十一歳の夏だった。
朦朧とした意識の中で、子供部屋の天井をぼんやりと見ていた時、突然脳裏を乙女ゲームの情報が駆け抜けた。それはまるで雷に撃たれたような衝撃で、私はそのまま意識を失ってしまった。
次に目が覚めたのはそれから三日後。すでに熱は下がっていた。
思ったのは1つ。
——男の浮気で、人生を潰されてたまるか。
その数日後、お見舞いにやって来た第二王子の姿は、ゲームと全く同じビジュアルをしていた。
ミルクティブラウンの柔らかそうな髪、アイスブルーの目。近い未来、私に不幸を運んでくる男。吐き気がした。
けれど王命で決まった婚約を、公爵家から破棄することはできない。そこで、私はできる限り第二王子に関わらないことを決めた。
まずは「あなたのために、一人前の淑女を目指します」と第二王子へ告げ、家庭教師の人数と勉強する時間を増やした。それによって週に一度あった交流会という名のお茶会を、月に一度まで減らすことに成功した。
第二王子と一言も会話したくなかった私は、お茶会にも本を持ち込んだ。本を読み続ける私に、話しかけてきた第二王子も次第に無言になり、今となっては顔を合わせてお茶を飲むだけの時間となっている。
しかし、その交流会も一昨年の春、ヒロインが学園に編入してきたことで、キャンセルされることが増えた。
どうやらヒロインは、第二王子を選んだようだ。日を追うごとに第二王子に纏わりつくヒロインを見かけたし、第二王子も満更ではない顔をして、彼女を構っているようだった。
そして迎えた今日。
婚約破棄が行われるはずだった卒業式は、何故かスムーズに終わった。
このまま何事もなかったように終わるのかと思ったが、やはりゲームの強制力は存在するらしい。
第二王子の私への追及は続く。
「お前は日頃からシシィを罵倒し、持ち物を奪っていた。シシィはずっと泣いていたのだぞ!」
第二王子の後ろから顔を覗かせるように立つヒロインへ視線を向けると、彼女は怯えるように大袈裟に肩を震わせた。それに気づいた第二王子が、ヒロインを庇うようにわたしの視線を遮る。
吐き出したくなるため息を飲み込んで、私は扇で口元を隠したまま答えた。
「…学園内で、殿下が特に仲良くされている女性がいらっしゃるという話は聞いておりました。ですが、その方とお話したことは一度もございません。それに、私が彼女に何か害をなしたという証拠はございまして?」
私はゲームと違って、ヒロインと関わったことはない。第二王子を含む攻略対象全員とも出来る限り接触はせず、学園では常に誰かと一緒にいるようにしていた。
もしかしたら、私と同じく彼女も「転生者」なのかもしれない。自分で教科書を斬り裂き、噴水に自ら落ちて制服をずぶ濡れにした、彼女。
第二王子の一歩後ろで、彼から送られたであろう、不似合いだけれど豪華な髪飾りを付けている、彼女。
可愛そうな、このゲームの犠牲者。
もし彼女が私を頼っていたら?
転生者として協力しあっていたら?
この後、敗者となっていたのは第二王子一人だっただろう。
「しらを切るつもりか!? この前、シシィを階段から突き落とし、怪我をさせたのもお前だろう!!」
「怪我……?」
第二王子の言葉に、ヒロインの制服のスカートから伸びた足に目をやると、確かに右足首には白い包帯が巻かれていた。
「あら、それは心配ですわね。大丈夫ですの?」
「お前が仕組んだことだろう、白々しい!」
第二王子ってここまで馬鹿だったかしら?ヒロインの証言だけで、公爵令嬢のわたくしを断罪しようとするなんて——何て、愚か。
「シシィが階段から落ちた後、犯人の後ろ姿を見たと言っている。その後ろ姿は間違いなくお前だったと。調べたら、その日お前は授業をうけていなかった」
「……いつのことですの?」
「十日前だ。運良く軽傷だったからよかったものの、シシィは足を捻挫したんだぞ!」
私は扇で口元を隠したまま、ふふっと笑う。
「それであれば、私ではございませんわ。誰か別の方と見間違えているのではないかしら」
第二王子は血走った眼をして叫んだ。
「サーリアシャ、お前は……何処まで……!」
「お待ちください! サーリアシャさまは悪くありません……エルアレンさまに惹かれてしまった、私が悪いのです!」
突然、第二王子の後ろにいたヒロインが、ぽろぽろと涙を流しながら悲鳴のような声で叫んだ。観衆はその声の甲高さにぎょっとしているが、振り返った第二王子が感極まったようにヒロインの手を取った。
「シシィ。君は何て優しい心の持ち主なんだ。危険な目に会ってまで、その犯人を庇うなんて……やっぱり、僕の隣には高慢なサーリアシャではなく、優しいシシィこそが相応しい」
第二王子はヒロインの手を握ったまま、声を張り上げた。
「皆の者! 僕はこの場所で宣言する。僕はこの場で、サーリアシャ・フィルス公爵令嬢との婚約を破棄し、このシシィと生涯を共に歩むことを」
卒業パーティの出席者から悲鳴のような騒めきが上がった。音を立てず、会場から抜け出していく者もちらほらいる。
私は扇の下で何度目かのため息をついた。
「婚約破棄は構いませんが……殿下、私達の婚約は王家と公爵家で決まったもの。何より国王陛下はご存知なのですか?」
「ふん。お前のような女を許容することこそが、王家の醜聞だ」
ああ、なんて……馬鹿な、王子。
私は扇をパチリと閉じた。
「そうですか。では、第二王子との婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ。ですが…」
一度言葉を切り、チラリとヒロインに視線を向ける。震える姿はまるで、肉食動物に狙われている小動物のようだ。よくそんな秀逸な演技ができるわね、と逆に感心してしまう。
「シシィさま、でしたわね。あなたに危害を加えたのは私ではありません。ですから、冤罪を受け入れる訳にはまいりません。この件については、ウェスター公爵家より改めての再調査を」
「サーリアシャさま! 私……ただ、サーリアシャさまに謝って欲しいだけなんです。どうか罪を認めてください!!」
私の言葉を遮ったヒロインが、その大きな目から涙をぽろぽろ零しながら叫んだ。第二王子はまた感極まったように、今度はそっとヒロインの肩を抱き寄せた。
……いくらゲームの展開とはいえ、茶番がすぎる。うんざりしてきたわ。
「シシィ。君は本当に心優しく素晴らしい。それに比べてお前は……そうだ!」
第二王子は何かを思いついたという顔をして、ニヤリと笑う。
「サーリアシャ、お前のような悪女はこの国から出ていくが良い……お前の魂がその体から離れるまで、この国に戻ることは許さない」
「……そうですか」
私は扇を胸元に仕舞い込むと制服の裾を摘まみ、膝を折った。貴族令嬢が王家に対して行う、最上礼のカーテシー。
「承知いたしました。サーリアシャ・ウェスターはこの度の婚約破棄、謹んでお受けいたします。そして国外追放についても、」
お受けいたします、と続けようとした時。
「……弟よ、何をしている」
静かな声が割り込んだ。