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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

妻と、夫と、夫の幼なじみと

作者: 流丘ゆら


 侯爵令嬢であるトレシアは、本来ならば胸をときめかせて自身の幸せを噛み締めていてもおかしくなかった。


 今日はトレシアの結婚式。しかも相手は社交界きっての理想の花婿候補と謳われてきた若き公爵だ。金も地位も能力も名声もあり、ついでに美形。だというのに未だに婚約者がいないとなれば、そりゃあ社交界のほうが彼を放っておかないだろう。

 そんな詐欺を疑うほどの超優良物件となぜか結婚することになってしまったトレシアだが、まあ政略結婚なんて所詮そんなものである。相手がどんな奴であろうと理由があるから結婚するのだ。正直トレシアとしては相手の顔も名前もうろ覚えであったが、それよりも仕事のほうが大事である。


 そんなわけで、結婚式当日の夜明け近くまできっちり仕事をしてから式場へと向かったトレシアだ。寝不足でもなんでも化粧をすれば隠れるだろう。なんの問題もない。

 が、事件は入場直前、扉の前で夫たる人物との初対面を果たした時に起きた。



「って、お前かよ!」


「それはこっちの台詞よ! えっ、なにこれ。こんなことってある?」



 実は初対面じゃなかったことに二人は驚愕し、その場は一気に紛糾した。



「嘘だろ、お前昨日の夜まで悪名高い盗賊団相手に大立ち回りを繰り広げてたはずだろ。結婚式前日……ってか当日の明け方までなにやってんだホント」


「だからそれはこっちの台詞よ。ほんの数時間前まで盗賊団をボッコボコにしていた粗暴な男が、社交界きっての理想の花婿候補ですって? 誰よそんなデマ流したの。冗談じゃないわ。帰る」


「おい待てふざけんな。今さら取り消せるわけないだろうが」



 入場直前に大いにもめる新郎新婦。だがそれもそのはずで、まさか今の今まで偽名で呼び合っていた仕事仲間とこんなところで再会することになるとは誰も思わないではないか。

 しかしここにきて結婚も結婚式も取り消せるはずがなく、二人は酢でも飲み込んだような顔をして粛々と入場するしかなかった。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




 その後、結婚式が終わってその場解散した新郎新婦は、公爵邸の寝室にて再び顔を合わせていた。

 ちなみにここはトレシアの寝室であり、夫婦で寝室を分けることは結婚前から決めていたことだ。意思疎通どころか互いの存在すら胡乱であった二人だが、この手の譲れない点を挙げれば妙に一致するあたり実はそれなりに気が合うのかもしれない。



「誤解のないようあらかじめ言っておく。俺はお前を愛するつもりなんて毛頭ない」



 ずばり言い切った夫にトレシアは胡乱な目を向けた。こいつまさかそれを言うためにわざわざ押しかけてきたのだろうか。

 しかしむやみやたらと顔はいい男なので、万が一に備えての忠告だろう。確かにこの顔の隣で妻をやらねばならんのだ。気がついた時にはうっかり惚れていたとかは、まあ、可能性としてはなくもない。そうなれば夫としても迷惑なのだろう。トレシアは興味なさげに頷いた。



「はいはい、そのへんはお互い様だから好きにしてちょうだい。しっかし世界は狭いわね。まさか私とあなたが結婚することになるなんて」


「本当だな。よりにもよってお前が俺の妻になるとは。事前に分かっていたら破談にしてたな」



 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる夫だが、すでにトレシアの興味は彼から逸れていた。それより気になるのは夫が一緒に連れてきた女性である。



「ところで仲睦まじく腕を組んでいるそちらの美女を紹介してくれる気はないの?」



 トレシアの指摘に、ずっと夫と腕を組んでいた女性がピクリと小さく反応した。



「ああ、彼女はミカエラ。俺の幼なじみだ」


「…………」



 栗毛の美女がぺこりと無言で頭を下げてくる。つられて頭を下げながら、トレシアはまじまじと彼女を見つめた。夫が説明を続ける。



「彼女も一緒にこの屋敷に住んでいる。見ての通り、口が利けなくてね。不便なこともあるだろうけど、俺にとっては大切な幼なじみだ。妻であるお前より、俺は彼女を優先する。それを念頭に置いて丁重に接してくれ」


「あらそう。初めまして、ミカエラさん。よろしくお願いします」



 なんだかうるさい夫を無視して、トレシアはミカエラに微笑みかけた。夫の幼なじみだろうがなんだろうが、同居人ということならば仲良くせねば損である。



「改めて、トレシアと申します。読唇術は習得済みですので、口パクで話してくだされば解読できます。どうかいつでも遠慮なく近づいてくださいね」



 にこりと笑いかければ、ミカエラがまじまじとこちらを見つめてきた。そして躊躇いがちに口を動かす。それを見てトレシアは頷いた。



「ええ、問題ありません。なのでどうか、そのままのあなたでいてください」



 平然と返してきたトレシアにミカエラの顔色がさっと変わった。慌てたように口が動く。



「…………」


「いつからって……え? 気づかない人がいるんですか?」


「…………」


「ああ、なるほど。これは墓穴を掘りましたかね」



 ミカエラが一切声を出していないにも関わらずなぜか成立する会話。しかし楽しげなトレシアに対して、ミカエラは狼狽えたような顔をしていた。それを見た夫の眉間に不愉快そうな皺が寄る。



「おい、ミカエラになにを吹き込んだんだ。困っているだろうが」


「失礼ね、なにも吹き込んでいないわよ。それに私の発言は全部あなたに丸聞こえなはずで……あ」



 急にトレシアが真顔になる。そして今度は夫をじろじろと眺め回した。



「なんだ。言いたいことがあるなら言えばいいだろ」


「じゃあ遠慮なく。ねえ、あなたの本名ってなんだっけ? いつも使っていた偽名(なまえ)しか出てこないのよ」



 あまりにも今更な質問に夫は絶句し、ミカエラが唖然とする。しかし正気に戻るのはミカエラのほうが早く、慌ててトレシアに正解の名前を伝えてきた。



「ん? ユ……いや、ジュ? リ……ス……、あ、思い出した! ジュリアスね!」



 こくこく頷くミカエラにトレシアは満面の笑みを浮かべた。読唇術で名前を読み取るのは結構難しいのだが、記憶も頼りになんとか正解へと辿り着くことができたらしい。



「ごめんなさいね、公爵としてのあなたのことはまったく眼中になかったからまだ馴染んでいないのよ。あ、ちなみに私の名前はトレシア。覚えてくれなくても全然いいわ」


「安心してくれ。鳥頭なお前と違って俺は人の顔と名前を覚えるのは得意なんだ」



 小馬鹿にしたような口調であるが、こいつが不躾な野郎であることは随分前から知っている。トレシアは気にしないことにした。イラッとはするけども。

 そんな殺伐とした雰囲気を変えようとしてか、ミカエラがトレシアに向かって口を開いた。



「…………?」


「え、慣れるために名前で呼び合ったらいいと? いえ、いくらミカエラさんの提案でもそれは了承しかねます。名前が出てくるかこないかくらいの距離感が私にはちょうどいいもので」


「…………」


「ええ、それはもちろん。ミカエラさんとはお近づきになりたいので喜んで」



 ミカエラがジュリアスの腕を離してトレシアのもとへ歩み寄る。かと思えば、ぎゅっとトレシアを抱きしめた。予想外の彼女の行動に、ジュリアスはぎょっとし、トレシアは思案顔になる。……ふむ。



「お、おい、ミカエラッ! 早く離れろ! 殺されるぞ!」


「失礼極まりないわね、旦那様。新妻のことをなんだと思っているのよ、まったく」



 せっかく同居人同士で仲良くなれそうだというのに無粋な男である。そんなにミカエラのことが好きなのか。実に結構なことであるが、嫉妬深い男は嫌われるぞ。

 というようなことをトレシアが告げると、ジュリアスはまたもや酢でも飲み込んだような顔をしていた。そしてそれを見たミカエラが異様に笑っている。完全に無言で爆笑できるあたり彼女は大変器用なようだ。


 そんなわけで、妻トレシアと、夫ジュリアスと、夫の幼なじみミカエラという異色の組み合わせでの新生活が始まった。

 なにやら修羅場が起きそうな組み合わせであるが、現実はそう単純ではなく、むしろ普通とは真逆な方面へと突き進んでいくことになる。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




 翌朝。新婚らしいナニかが起きるわけもなく、ジュリアスはいつも通りの時間に起床した。そしてまだ寝ているらしいトレシアを待つことなく先に朝食を済ませ、本日の予定を消化すべくさっさと活動を開始する。

 そうして時間は流れていき、午後になってからようやく妻と幼なじみが庭で一緒にお茶しているところを発見した。本日初めて目撃する妻の姿である。近づきながら、ジュリアスは改めて妻の姿をまじまじと観察した。


 この国では珍しくもない金髪碧眼。だが、だからこそ周囲に紛れやすくていいのだと、以前仕事中の彼女がドヤ顔していたことを思い出す。確かにそうだ。没個性とまでは言わないが、やはり印象に残りにくいほうが仕事上なにかと有利である。

 まあ、呑気にそんな会話をしていた頃は、まさか自分たちが結婚するハメになるだなんて思いもしていなかったのだけれど。



「お前にしては珍しいな、ミカエラ。もうそいつと仲良くなったのか」



 こちらの姿を認めた途端にすんと真顔になった妻のことはとりあえず無視して、ジュリアスはまず幼なじみに声をかけた。が、ミカエラは一瞬顔を上げたものの、返事をすることもなくすました顔で紅茶を飲む。その態度にジュリアスは慄然とした。



「お、おいミカエラ」


「…………」


「あーあ、なにやってるのよ旦那様。ミカエラさんの機嫌を損ねるなんてよっぽどよ。早く謝っ――」



 瞬間、ザン、と空気を切り裂く鋭い気配がした。

 殺気のような曖昧なものではなく、明確にこちらを狙ってくる攻撃の気配。


 テーブルクロスの下に隠していた剣を掴み取るトレシアと、佩いていた剣を即座に抜き放つジュリアスと、まるで手品みたいにスカートの裾から双剣を取り出すミカエラ。三人はほぼ同じ動きで反射的にテーブルから離れて大きく後ろへ飛び退いた。


 直後、ダダダッ、と矢が立て続けに地面を抉り、それはトレシアの爪先ギリギリのところまで迫る。飛び退いて正解だ。数歩後ずさったくらいでは普通に蜂の巣になっていたことだろう。

 トレシアは地面に刺さった矢の角度を見て、射手がいるであろう方角を割り出した。――二時の方向。



「旦那様、追いかけ……旦那様!?」



 いつの間にか、ジュリアスが三人も同時に相手取って激しい剣戟を繰り広げていた。トレシアが慌てて援護に入ろうとするも、介入する前にミカエラの双剣が閃いてその三人を一度に切り捨てる。彼女の鮮やかな手腕にトレシアは思わず口笛を吹きそうになった。なんて美しい動きだろうか。

 公爵邸の庭が一気に血に染まった。しかしさらに五人分の人影が現れたのを見て思わず渋面を浮かべてしまう。このままでは先ほどの射手に逃げられてしまうかもしれない。同じことを考えていたらしきジュリアスがトレシアに言った。



「こっちは大丈夫だから、お前は今すぐ射手を追え」


「……一応、公爵であるあなたの命を守ることが最優先事項なんだけど」


「ミカエラもいるから問題ない。いいから行け。お前が追うのが一番早い」



 確かにそうだ。トレシアは頷いた。明らかに狙われているジュリアスのことは心配だが、彼の言う通りここにはミカエラもいる。それにトレシアの勘が正しければ、恐らく彼女は――。



「そっちは頼んだ。信じてる」



 ジュリアスの言葉に、トレシアは一瞬だけ目を見開いた。しかしすぐに「ええ」と答えて走り出す。


 彼に信じていると言われたのは、これが初めてのことではなかった。そもそも互いの素性を知らない頃からの同業者である。

 走りながらトレシアは笑った。妻としては愛されなくても、命のやり取りの際に信じてもらえることのほうが、彼女にとってはよっぽど嬉しいことだった。


 助走をつけたトレシアは、屋根の上を目がけて勢いよく跳躍する。追い縋ってくる敵たちはジュリアスとミカエラが足止めしてくれていた。彼らの援護をありがたく思いながら、トレシアは空中でドレスの裾を手早くまとめて、膝丈あたりで適当に括る。これでだいぶ動きやすくなったので、さらに速度を上げて公爵邸の屋根の上を疾走した。

 はるか前方に、射手らしき人物の姿を捉える。ギリギリだが追いつけると判断したトレシアは、公爵暗殺未遂の下手人をとっ捕まえるべくさらに速度を上げていく。



「!」



 ヒュン、と顔すれすれのところを矢が通過していった。よく見ると下手人は逃げるのをやめてこちらへ向かって弓を引き絞っている。どうやらトレシアを始末してから確実に逃げ切るつもりらしい。


 だが、正確無比に連射されてくる数多の矢も、トレシアの足を止めさせるには至らなかった。それどころか彼女が走りながらいい笑顔を浮かべる様を、下手人は確かに見てしまった。



「とらえた」



 囁きのような声だったにも関わらず、その言葉は不思議と下手人の耳まで届いた。それが「捉えた」なのか「捕らえた」なのかは分からないが、とにかく捕捉されたことだけは確かだ。

 どんどん接近してくるトレシアに恐怖を覚えた下手人が、ますます矢を連射する。そのうちの一つが、ついに彼女の頬を掠めた。


 しかし、それだけだった。血の筋が頬を伝っても、トレシアが足を止めることなどなかったのだから。


 連射される矢にも怯まず、あっという間に距離を詰めてきた公爵夫人にさすがの下手人も絶句する。そして喉元にぴたりと剣を押し当てられれば、戦意は完全に消失した。飛び道具が意味をなさないこの至近距離では、射手である下手人に為す術などない。声だけは、かろうじて出た。



「……まさか、お前があの有名な『エルラッセン公爵の隠し玉』か?」


「残念、私じゃないわ。心当たりはあるけどね」



 本当のことだった。トレシアも『エルラッセン公爵の隠し玉』と呼ばれている人物の存在だけは知っていたが、未だにその正体は謎に包まれたままだ。しかし心当たりがあると言ったのも本当のことで。

 だが、てっきり男性だと思い込んでいたその人物が美女の姿で目の前に現れたものだから、トレシアとしても微妙に確信が持てないでいるのだった。いやまあ、昨日抱きつかれた時の体の感触からして、()()が男性なのは間違いないと思うけども。


 ちなみにエルラッセン公爵ことジュリアスの『仕事』は、知る人ぞ知る内密のものであった。が、逆に言えば彼が裏で何をやっているのか、知っている人は知っている話でもある。

 国王陛下からの密命により、陰であらゆるものを抹殺するのがエルラッセン公爵家のもう一つの顔だった。なおトレシアの実家である侯爵家も似たような仕事を請け負っており、今回の結婚もいわば仕事上の両家の関係強化のために行われた……というのは、まあ完全なる余談である。




✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎




 その後、下手人を引き渡したトレシアは再び庭へと戻り、新たに用意された紅茶をミカエラと一緒に楽しんでいた。つい先ほどまで戦闘が繰り広げられていた場所なので、いやに血まみれな感じのお茶会である。それでも気にせず図太くくつろぐ妻と幼なじみを、同じテーブルについていたジュリアスが呆れた目で見つめていた。



「よくこんな場所で飲み食いする気になれるよな、お前たち……」


「ほっといてちょうだい。ていうか邪魔よ。文句があるならさっさと出て行ってくれない?」


「……これでも俺はお前の夫だぞ。少しは労わってくれても良くないか」


「あらやだ、愛する気はないとか言っていたわりに覇気がないわね。調子狂っちゃうじゃない、もう」



 呆れた顔のトレシアはともかく、嫌そうな顔でしっしっと手を振って邪険にしてくるミカエラが普通に冷たい。特にミカエラは昨日からずっとトレシアにお熱なようで、ジュリアスとしてはかなり釈然としないものを感じていた。

 もともと人見知りで、必要以上に他人に近づかなかったのがミカエラだ。こうしてジュリアスの右腕として働いてくれているのも、暗殺業はほとんど人と接触しなくて済む仕事だかららしい。そんな動機でこの世界に足を踏み入れるだなんて、彼女も大概ぶっ飛んでいる。



「ところでミカエラさん」


「?」


「さっき捕まえた下手人が『エルラッセン公爵の隠し玉が云々(うんぬん)』って言ってたんですけど、噂のあれってあなたのことであってます?」



 ミカエラの瞳がトレシアを真っ直ぐに射抜いた。しかし先ほどの大乱闘を目撃しておいて今さらだろう。

 ほとんど音を立てないあの戦い方は、まさに暗殺者のそれである。それに美しくて目を引かれたあの剣さばきも、戦い慣れているからこその動きであった。



「お前な、いい加減にしろ。ミカエラの事情に深入りするなよ」


「いや、いいんだジュリアス」


「ミカエラ!?」



 驚いたように声をあげるジュリアスを片手で制して、ミカエラはトレシアに笑いかけた。どこか苦笑じみた感じの微笑みを。



「そうだよ、トレシアさん。僕がエルラッセン公爵の隠し玉――ミハエルだ」



 紛うことなき男性の声。トレシアは納得したように頷いた。そりゃあ声を出せないわけである。



「やっぱりですか。先ほどの戦闘はお見事でした」


「君こそ。まさか屋根の上まで跳躍して追いかけるとは思わなかったよ。さすがはジュリアスが見込んだだけあるね」



 見込んだ? 眉を寄せたトレシアに「ミハエル!」とジュリアスが焦ったように声を荒げた。



「変なことを言うな! いいからお前はいつもみたいに黙ってろ!」


「んー、別にいいけど。トレシアさんは読唇術を心得ているからね。声に出さなくてもいろいろと言えちゃうんだな、これが」


「ふっざけるな! というか人見知りはどこにいった! 昨日からこいつにデレデレしやがってどういうつもりだよ!」



 ぎゃんぎゃん吠えるジュリアスが面白いので、トレシアは紅茶のおかわりを用意して積極的に傍観を決め込むことにした。荒んだ新婚生活かと思いきや、どうもそうはならない気配がする。


 この度の政略結婚の意図をトレシアもきちんと理解していた。だから夫婦としてとか、愛する愛さないとか、そんな一般的な夫婦論は自分たちには必要ないと思っている。そんなことよりも重要なのは、有事の際にお互いに背中を預けられるかどうかなのだから。

 それでも、荒んだ毎日を送るのは味気ないし、つまらない。離婚する予定もないことだし、どうせなら喧嘩しながらでもそれなりに楽しくて賑やかな毎日を送りたいものだ。


 ミカエラ改めミハエルの存在に関しては、いろいろと想定外ではあった。が、彼が『エルラッセン公爵の隠し玉』だと判明したのはかなり大きい。ほぼ確信していたとはいえ、これでスッキリした。彼ならば自分に何かあっても夫を守り続けてくれることだろう。

 トレシアは満足げな顔で紅茶を飲む。いやはや、今日は収穫の多い一日だった。今夜もよく眠れそうだ。



「大体な、初対面の相手にいきなり抱きつく奴があるか! いくらお前でも本気のこいつにかかれば瞬殺されてもおかしくないんだぞ!」


「なんだ、思った以上にトレシアさんのことをちゃんと評価してるじゃない。なのに『愛するつもりは毛頭ない』なーんて言っちゃってさ。このツンデレ」


「……おい、今すぐ剣を抜け。今日という今日は絶対に許さん。決闘だ!」



 怒り狂う公爵と、笑顔で剣を振るう美女と、血まみれの庭と、優雅なお茶会。どこまでも狂っている光景だ。

 だがまあ、悪くはない。そう思いながら、トレシアは何気ない仕草で紅茶が入ったカップを持ち上げて――それを、後ろも見ずに思いっきり放り投げた。


 直後、「うあっちぃ!」という悲鳴が茂みの向こうから上がった。どうやらまだ先程の残党が残っていたらしい。


 決闘に夢中らしいジュリアスとミハエルに声をかけるのも気が引けて、トレシアは無言のまま剣を片手に立ち上がる。

 考えてみれば、あのエルラッセン公爵家に嫁いでしまったのだ。これからは実家にいたとき以上に襲撃される回数が増えるだろう。そこまで考えて、トレシアは溜め息をついた。


 前言撤回。やっぱりこの結婚には期待しないほうが良さそうだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] この世界の結婚式で初めて会う風習と、暗殺一家同士の結婚リスク高すぎておもろい 今回は強者同士のライバルだったけど、どっちかがちょっと弱くてコンプレックス持ちだったらこんなんじゃ済まなそう
[気になる点] 現状、旦那もミカもなしなしの男たちだなー。 自分たちが選んだ、選ぶ側、審査する側、っていう傲慢さが好かない。たとえそれが許される立場でも、あの一言とかあの行動とか人として信頼を築く気が…
[良い点] 三角関係いいですね〜、個人的にはミカちゃんに一票です!(笑) 女の子が強いの大好きだし、続きも気になるので是非気が向いたら連載して欲しいです♪
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