23:R15。プロットに憧れて『婚約破棄からの異世界恋愛』
「こ、こ、こん……こ、婚約ぅ……ぅっを、をを、うぅ、はは、はっ、破!!……棄!!す!!すぅ、るぅ……………………はぁ」
顔も耳も真っ赤にして、髪のアホ毛の先から背筋から手指の先まで、全身から緊張感だだ漏れの侯爵家の令息は、やっとのことで言い終えると同時、遣り切った表情で盛大に溜息をついた。
大勢が集まる夜会会場。ピアノと管弦による演奏で、ホールの中央では既にダンスが始まっている。また、サイドのブュッフェコーナーには料理がズラリ並んでいて、メイドとボーイがせっせと会場内を回り、空になった食器やグラスを下げては新しいワイングラスを着飾った出席者達に手渡している。
本来ならば注目を集めること必至の婚約破棄の言い渡しなのだが、宣言の出だし部分はドモリにドモッたボソボソ声で、ホール内の賑わいに掻き消されてしまい周囲にはほとんど聞こえなかった。
「え? キ……ス?をすると仰いますの? 今、ですの?」
令息と向き合って立つ婚約者、伯爵家の令嬢が誤ってそう聞き取ってしまったのは仕方の無いことである。それ程までに令息の言葉は聞き取り辛いものだった。
「えあ、え、えっ? き、きき、え? き、君と、キッス!?」
令息は令嬢の言葉に食い付いた。目をクワッと見開き令嬢を凝視し、興奮してテンパリながらドモリながらの必死の形相で聞き返す。
キッスキスキス好き?キスキッスキスキス……令息の頭の中を鱚の大群が泳ぎ出す。
なぜこんなにも令息が令嬢の言葉に食い付いているのか? 先程の婚約破棄の言い渡しについてだが、令息が婚約破棄を望んだのは、ただ欲求不満に耐えかねたからだった。愛しの婚約者はエスコート以外では体に触れさせてくれない。ハグもキスも、もちろんそれ以上も、何もさせてくれない。でも他の令嬢……すぐ後ろにいるのだが、彼女はハグもキスもしてくれた。今はまだだが、それ以上も令息が望むなら、令息が断りさえしなければ、きっと許してくれるだろうし、なんならドレスもドロワーズも自分から脱いでくれることだろう。
本当なら大好きな婚約者とハグもキスもしたいのに、でも何もさせてくれない……と令息は常々不満に思っていた。
身持ちも考えも固い、それでも愛しい……でも何もさせてくれない婚約者。そんな彼女の口から、今ここで「キス」などという俄には信じ難い仰天な単語が飛び出したのだ。これまで幾度も想像に妄想を重ねた愛しの婚約者とのキッス。そのエロチックな感触を瞬時に思い出してしまい、令息はこの上なく驚き興奮したのである。
「皆様が見ている前でだなんて……恥ずかしいですわ」
婚約者の令嬢は頬を桃色に染め、羞恥心からか、ややうるるんと潤んだ瞳で令息をうっとりと見つめた。
5年前に婚約してからずっと、令息は婚約者に好意を抱き、ついでに言えば下心もずっと抱いていた。婚約者のことが嫌いなのではない。ずっとずっと彼女のことが好きなのだ。
だが恋人らしい触れ合いを何もさせてもらえず、寂しくて、辛くて、情けなくて。想い人からの塩対応に、令息は男としての自尊心を傷つけられ、不貞腐れ、やけくそ気味になっていた。
そんなメンタル不安定な時期に男爵令嬢と知り合い(たまたま?ぶつかってよろけた令嬢に手を貸してやった)、人懐っこい男爵令嬢が自分に甘えてくる様子と、いつでも落ち着いている婚約者の令嬢の様子とを比較してしまった。本当は婚約者のことが好きなのに、男爵令嬢から向けられる、自分への好意を隠さない態度に心を揺さぶられ、令息は男の欲に流されそうになっていた。
だがしかし、今目の前にいる婚約者の令嬢の様子は常とは全く異なっていた。濡れた瞳に、上気した頬、熟れた唇。普段見ることの無い種類の色気を感じて、時が止まったかのように、令息の目は婚約者の令嬢に釘付けになった。
「ちょっと! しっかりしてくださいな」
ここで令息のすぐ後ろにいた男爵令嬢がしゃしゃり出る。私の存在を忘れてくれるな、と。令息の腕に胸の膨らみを押し付け、胸の柔さと金切り声で以て自らを主張する。一拍置いて、金切り声とは対象的な、鈴のように可愛らしい声がその後に続いた。
「そちらのお可愛らしい方はどなたですの? 私にもご紹介くださいます?」
婚約者の令嬢がきょとんとした、純粋にただただ気になるんですという、とても可愛らしい表情で令息に尋ねた。
「き、きき、君の方が、ななな、な、何百倍も可愛いに決まっている」
小首を傾げながら上目遣いで尋ねてきた想い人の可愛いこと可愛いこと。令息はテンパりながらドモリながら、疑問形の質問に答えるという発想すら無く、反射的に婚約者の令嬢を賛辞する。
「ちょっと! どういうことですの? 私とはキスまでした仲でございましょう?」
男爵令嬢は令息の言葉に焦る。相手の男は緊張しいのドモリであるが、何といっても自分に落ちかけている令息は侯爵家なのだ。玉の輿に乗る折角のチャンスがこのままでは潰れてしまう。
令息は令息で男爵令嬢の言葉に焦る。想い人に誤解されてしまう。いや、出来事としては間違いではないのだが、その行動は気の迷い、やはり間違いだったというべきか、何というべきか。
「ふふふ」
婚約者の令嬢は軽く握った手を口に添え、上品な笑い声を漏らした。優雅に、余裕たっぷりに、焦りなど微塵も無く。令息を真っ直ぐに見つめ、丸めた手のまま、親指と人差し指で下唇をそっと摘むような仕草をした。ぷくりとした令嬢の唇には紅が綺麗に塗られ、会場の光をそこに集約したように艶々と輝いている。
令息の喉がゴクリと鳴った。
それは勝敗を決するゴング。令息の目はただただ婚約者を映すのみ、男爵令嬢の姿などこれっぽっちも映さない。キンキンと頭に響く声は令息の耳には届かず、押し付けた胸はもはやただの豆腐、その温もりと柔らかさは令息に何の感慨も与えない。
貴族にとって、醜聞は命取りとなり、場合によっては大きな汚点となって人生を付いて回る。未来の侯爵夫人を夢見てガツガツ狙いに行くことは大事だが、傷を負うならば桂剥きの大根のように可能な限り薄く浅く、軽い掠り傷で済むように退き際は弁えなければならない。今回が駄目でもまた次の男を狙いに行けばよいのだ。
意外と賢い男爵令嬢は自身に勝ち目が無いことを瞬時に悟り、一歩、また一歩と抜き足、忍び足で後退りする。どうぞ私のことは忘れてくださいといった具合に、そっと人々の視界からフェードアウトし、夜会会場からも静かに消えるのだった。
「あのご令嬢とは、キス、なさったのでしょう?」
夜会の翌日、令息は婚約者の屋敷を訪れていた。
流石に世間体というものがあるので、夜会会場での話し合いは避け、次の日に2人で話すことにしたのだった。
婚約者の令嬢はぷうと頬を膨らませ、可愛く見えるような顔の角度と表情で令息に怒ってみせた。元々令息は婚約者の令嬢に気があるのだ。イチコロである。令息はあっせあっせと額に珠のような汗を浮かべ平謝りし、ただ事故な感じで唇と唇が軽く触れただけだと、相手方から迫られ押し倒されかけたがそれ以上の行為は婚約者がいるのでと言い固辞したのだと、テンパりドモリながらも正直に話した。
婚約者の令嬢はハンカチーフで令息の額から噴き出す汗を優しく拭いてやる。この日令嬢は珍しく、胸元がやや大きめに開いたワンピースを着用しており、腕を上げることで胸の谷間がチラチラ見え隠れする仕様となっていた。
「あ、あ、あのぅ、むむ、む、む、む胸が……」
馬鹿正直な令息は顔を真っ赤して、色白の胸の谷間から視線を逸らせずにいる。
令嬢はハンカチーフをポケットにしまい、令息の手を両手でそっと取った。そして、令息の視線の先、自身の胸の上に、令息の手のひらを丁寧に広げて重ねてやった。
「ええ胸が……そうなのです。わたくし、胸がとてもドキドキしていますの」
ポッと頬を赤らめ、顔の角度を少し上向きにし、婚約者の令嬢はゆっくりと瞼をおろした。
令嬢の予測通り、いや、予測よりもかなりのがっつきで、令息の唇が勢いよく令嬢のそれと重なった。その後はしばらく、食べられているような錯覚を覚えながら、婚約者の令嬢は大人しく令息からキスされるがままに、揉みしだかれるがままになっていた。
婚約者の令嬢の㊙ノートには、母からの言い付けや恋愛小説から学んだことなど、令嬢がこれは大事だと感じた沢山の事柄が書き留められている。
・純潔は必ず初夜に捧げる
・過度な身体接触及び肌の露出は下品である
・殿方は女性の上目遣いに弱い
・殿方は女性の潤んだ瞳に弱い
・殿方はアヒル口を好む
・殿方は女性のギャップに弱い(自分にだけ素を見せていると思わせる、敢えて冷静でない様子を見せる等)
・いついかなる時も冷静さを欠いてはならない
・邪魔な小物には圧倒的な差を見せ付ける
・他所見させないように、殿方には適度に餌を与え、程よく満足させてやることも大事
・初夜に憧れがあることをしっかり伝えておけばきっと一線は越えないでいてくれる(人によるかも?)
挙式までの残りの婚約期間が令嬢の思い通りになったかどうかについては、婚約者の令嬢のみぞ知る、といったところだろう。
だが、夫婦の誓いを立て新婚となった2人を知る人は、それはそれは仲睦まじい夫婦なのだと、皆一様に語るのだった。
最近よくプロットという言葉を耳にする、というか目にする?
プロットを立ててみた。
1、婚約破棄を告げられる
2、毅然とした態度で応じる
3、捨てられた令嬢を拾う男あり
4、元婚約者怒る
5、元婚約者は言い負かされる(ざまあ)
6、捨てられ即拾われた令嬢、ハッピーエンド
結果、婚約者の令嬢が婚約破棄の言葉を聞き取れず、1だけで終わった。ヒーローは現れず。プロットもテンプレも、憧れるけれどなかなか思うように作品を書けない。プロットから作品を書ける方は凄いなぁと思う。
作者:加藤 良介 様 のエッセイ『一話ガチャって凄くね。』 https://ncode.syosetu.com/n3375hr/ を拝読し、プロットから作品を書くことに憧れ、作品を書いてみた。作品は出来上がったけれど、本来の目的を思えば失敗に終わった。




