21:ヒューマンドラマ『男が苦手を克服した話』
ラジオには昔から苦手意識があった。
僕がまだ子供の頃、盆や正月に田舎の祖父母宅に帰省する際、父親の運転する車でよくラジオが流れていた。
盆には甲子園が、正月の2、3日には箱根駅伝が。
ざらざらとした雑音を伴いながら、車のスピーカーから音が飛び出す。狭い車内。助手席シートベルトで拘束された僕は空間から逃れることなどできず、両耳から頭に、うるさい音がガンガンと流れ込んだ。
長距離、山道のカーブ、空腹、どれか1つが原因か、それともそれらが組合わさることで酔いを招くのか。
ラジオ単体で車酔いの原因になるとまでは思わなかったが、酔った自分にぐさり止めを刺すような、はたまた車酔いに拍車をかけるような、自分にとってのラジオとは、そんな憎らしく疎ましい存在だった。
「ねぇ、ラジオを流してよ」
鈴虫のような愛らしい彼女の声が隣から聞こえた。
大学生になってできた、僕の初めての彼女。
僕は彼女のことが大好きだった。
優しくて、裁縫が得意で、掃除は少し苦手で、料理は片付けが面倒だからとあまりやりたがらない彼女のことがいつだって大好きだった。
けれど困ったことに、彼女はラジオを好んだ。
免許を取った僕は彼女を助手席に乗せ、海岸沿いの直線道路をよくドライブした。
シロイカ丼でも食べようか、モサエビ丼でも食べようか、やっぱり牛骨ラーメンでも食べようか、あ、辺り一面らっきょう畑だ。
隣に座る彼女とそんな他愛もない会話をしていられるだけで、僕の心は満たされ、とても幸せだった。
でも彼女は会話にも風景にも次第に飽きてしまって、ラジオが聞きたいと言った。
僕はラジオパーソナリティーを目指した。
彼女に僕の声のラジオを届ける、そんな夢を見て、夢を夢で終わらせない為に、妄想を現実とする為に。
大学卒業後はアルバイトをしながらアナウンサー養成学校に通った。
同じ学校に通う仲間達と将来の夢を語り合い、切磋琢磨し、発声練習、ニュースの原稿を読む練習、甲子園や箱根駅伝のスポーツ実況訓練、体力作りで腹筋背筋ハイキングにモーニングにランニング等。様々な経験を積み、汗と涙と脂汗を流し、流し素麺でひたすら素麺を流し続けるバイトに精を出し、努力を続けた結果、見事、放送局への就職が叶った。
「その彼女さんとの交際は今も続いてらっしゃるんですか?」
マツムシのような可愛らしい声をした、今年新しく就職してきた新人アナウンサーは僕よりも背が頭1つ分低い。横に座る彼女は、上目遣いに僕を見ている。
アナウンサーの基本のキ「人の目を見て話す」がしっかりとよく出来ている。
「いいや、彼女は待ちきれなかったみたいでね、別の男を作ってしまって、それきりだ」
苦笑いして、哀愁を漂わせる。
同情を買う。
「僕みたいな男は……間抜けだろう?」
こう言うと、ほぼ100パーセント、同じ答えが返ってくる。
「そんなことないですよ」
で、僕はこう返す。
「君は……優しいんだね」
もちろん、しっかりと彼女の目を見て。
僕の場合、初めての彼女が出来た時期は同年代の他の男子学生と比べ遅い方だったと思う。
体型は子供の頃からぽちゃっとしていた。
大学に入ってすぐにジム通いを始め、体を絞った。
人は人を8割、見た目で判断する、と僕は断言できる。僕が見た目で判断され続けた側の人間だから、確信を持ってそう思う。
幸いにして顔はそれなりに整った造形だったらしく、母親と離婚して養育費を全く支払わずに終わった所在不明の父親に、ほんの少しだけ感謝した。
まだ業界の右も左も分からぬ新人は、そこそこイケメンでイケボな先輩男性アナウンサーの弱ったような表情と声に母性本能をくすぐられ、気付かぬまま罠に嵌る。
先輩男性アナの思う壺、仕掛けられたタコ壺に押し込まれ、タコ刺しが如くワサビ醤油で取って食われる。
これは、苦手を克服し、元苦手を最大限利用する男の話。
夏ホラーを試みるも、結果、ホラーにならず。




