【番外編】セレーネの乙女心
※セレーネ視点
やめてください。わたくし、そのお話はこれ以上聞きたくありません。
喉元まで出かかって、けれど飲み込んだことば。
わたくしはセレーネ・ポルフィリオ。ポルフィリオ侯爵家の長女にして我が国の第二王子、ベネディクト・ベインティ・ヌエベさまの婚約者。王家に嫁ぐ身ですもの、嫉妬など見苦しい真似はできません。
今日は週に一度のベネディクト殿下とのお茶会の日。
浮かれ踊り出したいような気持ちを抑え、登城するころには冷静な自分でいられます。
去年卒業した学園でのわたくしの評価は『完璧令嬢』でした。受講したすべての科目の成績トップ。令嬢として振る舞いも文句のつけようのない出来栄えだと、誰もが口を揃えて褒め称えてくださいました。
それもこれもすべて。
将来、ベネディクト第二王子殿下の隣に並び立つのに、相応しい自分である為。
あの麗しくも素晴らしいベネディクト殿下の隣に、みすぼらしい娘が立ってごらんなさい。王子殿下の評判に傷がつくではありませんか! そのような無様を晒すわけにはいかないのです。
ただでさえ、十人並みの容姿しか持たないわたくしですもの。
父から第二王子殿下との縁談話を聞かされたのは8歳のころ。
それまで会ったことのなかった殿下とのお話に、何故自分がと問い質したところ、それより少し前に行われたこどもだけのお茶会でのわたくしの行いが、陛下に認められたのだろうということでした。あの時、ひとりの可愛らしい少女(というか4歳か5歳くらいの赤ちゃんでした)の面倒をみていたわたくしに、これならば病弱な第二王子殿下の連れ合いになっても大丈夫だろうと推測されたに違いない。父はそのように答え、わたくしもそれに納得いたしました。幼くともわたくしも侯爵家の娘。王家と我が侯爵家との繋がりを強固にする政略結婚など、当たり前だと認識しておりましたから。
ところが。
13歳のとき、婚約調印式で初めて第二王子殿下にお目もじ仕りました。その時お会いした殿下は、とても『病弱』だとは思えませんでした。
すらりとお背が高く、溌溂とした表情。青銅色の髪に黄水晶の瞳。眉目秀麗といって遜色のないお顔立ち。
目も心も、奪われました。
話せば、とても自分より年下の少年とは思えない見識深いご意見の数々に圧倒され。
わたくしは打ちのめされたのです。
おねえさん気分で年下の殿下の世話をすればいい、そんな風に甘く考えていた自分を恥じました。
そして同時に強く惹かれたのです。
あの方の隣に立ちたい。あの方に『さすが我が妃』と認められたい。
彼の隣に並び恥じない自分でありたいと願ったわたくしは、その日から研鑽を積み自己を高める毎日を送ることになりました。
お陰で学園での成績も、世間の評判もまずまずのわたくしではありますが、十人並みの容姿しか持たない自分に自信が持てません。ひとつ年上という現実も、それに拍車をかけます。
彼は月日が経つごとに少年から逞しい青年となり、そのお姿はとても美々しく麗しく直視することが叶いません。
彼のその見識は深く、いつも違う角度から発せられるご意見は鋭く、常に未来の国を憂うそのご姿勢に感服するばかりのわたくしなのです。
そして。
恐れていたとおり、どうやら殿下は学園内で心惹かれる女生徒を見つけたご様子。
年下の愛らしいというその男爵令嬢の話をする殿下のお顔を拝見すれば解りますとも。
彼女がいかに健気で愛らしくて、ご自分の庇護下に置かれたいのか。えぇ、こんな日がくるだろうと想定しておりました。
殿下は聡明で誠実でお情け深いお方です。政略での婚約者に過ぎないわたくしにも誠意をお示しくださいます。けれどいつの日か、殿下自身がお選びになる女性が現れたら。
きっとその方を優先なさるでしょう。
巷では『婚約破棄モノ』と呼ばれる小説が流行りだと、侍女から聞き及んでおります。親の都合で結ばれる婚約に負けず、真実の愛を貫くために立ち向かう恋愛小説なのだとか。そしてその小説は他国で行われた実際の出来事を小説という形にして世に知らしめているのだとか。
『真実の愛』だなんて、政略結婚の駒でしかないわたくしではとても太刀打ちできません。
わたくしはその情報に恐れ戦くとともに、密かに覚悟いたしました。もしかしたら殿下も、ひとつ年上のわたくしのことなど見捨てて、真実の愛に目覚めてしまうかもしれないと。
その時には、潔く婚約者という地位を下りようと心に決めていたのですが――。
今、目の前で殿下がお話しした男爵令嬢のご様子から、なかなか強かで頭の回転の速い方なのだとお見受けいたしました。
わたくしは――。
わたくしは、……。
あんなに決心していたのに、心が鈍りました。
この地位を、ベネディクトさまの隣に並び立てる権利を、譲りたくなどないのです。
だって、大好きな方だから!
少しでも長く、彼と関わっていたいから。
例え義務とは言え、欠かさずお花もお手紙もくださるような情け深い殿下なのです。
夜会でもお茶会でも、優しく見つめて、耳に心地よいことばをくださる方なのです。
ご自分の瞳の色の宝石がついたネックレスを、ご自分のお誕生日の宴に着けて来て欲しいというおことばには涙が出る程嬉しかったのです。
そんな方だから。
たとえお飾りの正妻といえど、お見捨てになどなさらないでしょう。
だからわたくしは、浅ましくも婚約者という地位に縋り付きます。
虚勢でもいい。
平気な顔をし続けていれば、いつの日かそれが真実になりましょう。
王子妃教育で身に付けた『淑女の微笑み』は、わたくしを『完璧令嬢』でいさせてくれます。
大丈夫。わたくしは笑って殿下とお話ししましょう。
さぁ、言いなさい。その娘を側室として認めると。
殿下。愛しいベネディクト殿下。
浅ましい、嫉妬深いわたくしを貴方に見せたくはありません。わたくしはいつでも超然と微笑んで、殿下のすべてを許し受け入れる度量の広い女だと思っていただきたいのです。
「なるほど。……その、伸びしろの大きいデル・テスタ男爵令嬢を、わたくしが教育すればよろしいのですね?」
わたくしが大いなる勘違いをしていたことに気がつくまで、あとわずか――
【おしまい】
ツンデレ同士の両片思いでした。
次回、オマケ「その後の彼ら」
次もぜってぇ見てくれよな!