5.自分の恋は四苦八苦(だがそれでいい!)
(あぁなるほど、そういうことか!)
ベネディクト王子は7歳のとき、セレーネ嬢を見初めた。
両親である国王夫妻にセレーネ嬢と結婚したい、彼女とにいさまが結婚するなんていやだ、ぼくのお嫁さんにするんだと我を通した。
当初は息子のわがままを諫めていた国王だったが、次第に彼の熱意に折れポルフィリオ侯爵家へ縁組の打診をした。
それを、侯爵家側は『国王陛下からのご下命』と受け取ったのだろう。まさか、7歳の第二王子本人の要望だったとは認識されていなかったのだ。
(この認識の乖離を修正しないと僕の気持ちは通じない!)
「嘘じゃない、嘘なんかじゃないんだ、セレーネ。僕本人の希望で僕らの縁談は調った」
幼い日、必死になって両親に訴えた気持ちが蘇る。こどもだったけど、こどもだったからこそ純粋にこれが真実の愛だと思ったのだ。
「本当に? ……でも、殿下とわたくしは、婚約の調印式で初めてお目にかかったと記憶しておりましたが」
初めに許嫁として契約が結ばれたのが、セレーネが8歳のとき。それまで交流の無かった相手なのにどうしてと、言外にセレーネは問う。
「あぁ、僕が12歳。きみが13歳のときに婚約調印式をやったね……あれは二度目の出会いだったんだけど……忘れちゃったかな、セレねぇさま?」
出会った日に許された呼び名で呼んでみた。
途端に、セレーネは驚愕の表情で王子をまじまじと見詰めた。彼女の手からは、思わずといった調子で扇が落ちた。
「どう、して……殿下がわたくしを、そう呼ぶのですか?」
「どうしてって……セレねぇさまが昔、許してくれたから。“わたくしのことはおねぇさまと思ってね、セレねぇさまと呼んでいいのよ”って」
「そ、れは、11年前王宮で開かれたこどもだけのお茶会で、わたくしに懐いた少女に、そう、言いましたが……」
ベネディクト王子が見ている前で、セレーネの顔色が鮮やかに変化した。
だいぶ動揺していた彼女は、ちょっと頬を染めていたがそれでも王子と会話を交わす間に持ち直していた。
だがこの時は。
顔中ぜんぶ、耳はおろか首元まで真っ赤に染めあげたセレーネは、涙目になって震えている。
「そ、……だって、あの日出会った少女は、わたくしよりも、随分年下だと思ったわっ。5歳くらい、に、見えたわ」
(そういえば、さっきからだいぶセレーネの口調が柔らかくなったね)
「うん。僕、昔は病弱な上に発育不全でね。7歳だったのに4、5歳くらいにしか見えないって、当時の両陛下をずいぶん心配させたんだって」
「ス、スカートをはいていましたわっ」
(まるで信じられないって顔をして。可愛いなぁ)
「うん。ワンピース姿だったと記憶している。幼児の頃は女子の方が生存率高いから、わざと女の子用のワンピースを着させてゲン担ぎしていたって聞いたよ」
事も無げに語る王子に、セレーネは目を白黒させる。
「――だって、あの子はすっごく可愛かったわっっ」
「本当? ありがとう。――今も可愛い?」
「い、今は……とても、――素敵にお成りあそばしましたわ……」
頬の赤みが取れない侭それでも褒めてくれるセレーネに、王子の心拍数が上がる。
(素敵だって言って貰えた! それにセレーネの顔が、あの澄ました微笑じゃない! 真っ赤だし可愛いし狼狽えているし可愛いし焦っているし可愛いし!)
「ど、どうして、そのように嬉しそうなお顔を、なさっているのですか?」
先程から狼狽え、どもりがちなセレーネなんて珍しい状態の彼女を見ているから、喜びに浮かれっぱなしなのだ。
(だって嬉しいからね!)
「えへっ」
しかしそのまま伝えたら逆に叱られそうだと本能で理解し、王子は笑って誤魔化した。
「『えへ』? 殿下、今、『えへ』と仰いました? そんな、そんな……顔面がだらしなく崩れていましてよっ⁈」
笑って誤魔化したつもりが、さらなる追求を呼んだようだ。しかし怒っている風なセレーネがちっとも怖くない。むしろ可愛く見えて仕方がない。
「だって嬉しいから」
(仕方ないだろ? セレーネが怒っている! あの淑女としての完璧な微笑ではない表情を、僕に見せてくれているのだから!)
「いつものクールでニヒルなベネディクト王子殿下はどこへ行ってしまったのですかっ?」
『完璧な淑女』はこのように悲鳴混じりに叫んだりしない。セレーネはいつもの調子に戻れないようだった。
「いつもの僕ってそんなかんじに見えるの?」
純粋に疑問に思いきいてみた。
「年齢よりもずっと大人びて、落ち着いた風情で……世の中を斜めに見ているような皮肉屋な殿下はどこへ⁈」
(僕は第三者からはそのように見えるのか……)
「……しくしく。セレねぇさまがいじめる」
「泣きマネなど、なさらないで! ちっとも似合っていません!」
「えへっ」
「殿下っ!」
セレーネに怒られるたびに、嬉しくて嬉しくて。
『皮肉屋な第二王子殿下』は知らない場所へ旅立ってしまったようだった。
その日彼らは、今までになく長い会話を交わした。
過去のお茶会で起こったことから、許嫁になってからどう思っていたのか、全部。
8歳だったセレーネは、お茶会で身体のおおきい子息連中に絡まれ泣いていた、ひとりのちいさな美幼女を助け出した。
もともとセレーネ自身は第一王子の婚約者になれると思ってもいなかったので、フラフラと庭園の散歩をしていた。正義感の強い彼女はちいさな子を取り囲んでいじわるする行為を許せなかった。セレーネだけがちいさな幼女を守り、自分の側において面倒をみた。(ちなみに、同年代の少女たちは第一王子と一言でも会話を交わそうと、そちらに群がっていた。自分より年下の幼女にかまう者はセレーネひとりだけだった)
助けられた美幼女、それはつまり幼少期のベネディクト王子なのだが、彼はそのときセレーネに一目惚れ。絶対将来結婚する! と両親に訴えたのだ。
「ご承知とは思いますが、うちには弟がふたりおりまして……あのお茶会の当時、下の弟が生まれたばかりで、わたくし自身、妹が欲しかった時期でしたの……ですからとても愛らしい美少女に“おねえさま”と言って貰えて、とても嬉しかったのを、よく覚えております」
相変わらずセレーネの紅潮した頬は治まっていない。
「あの時ね、僕は君に一目惚れしたんだ。君を絶対お嫁さんにするんだって両親に駄々を捏ねた。泣いて抗議しふたりの寝室にまで特攻を仕掛け、後宮中を混乱の坩堝に落としたと、あとから侍従に聞いた。王子宮の使用人全員が減給になるほどの大騒ぎだったと」
兄自身の口からポルフィリオの令嬢との婚約話はないと聞きながらも、不安で仕方なかった。いつも朝食は家族4人で顔を合わせる習慣だったので、その時に常に話題にし父である国王陛下にお願いした。朝だけでなく、顔を合わせる度にお願いした。夜の後宮に庭経由で忍び込んで(両親が一緒にいる時間だったので)、その場で訴えた。その度に後宮の護衛に捕まり大騒ぎになった。
その甲斐があり(?)ようやく聞き届けて貰えたが、その時に厳命されたのが『丈夫な体になれ』『勉学に励め』ということだった。
小さく病弱なままならこの婚約話は解消されるかもしれないという脅し文句付きで。
生まれた時から病弱だったベネディクトは、この時から変わった。体質改善のため、苦い薬も苦手な食べ物も我慢して摂取するようになった。拒否していた運動にも励むようになった。避けていた勉学もやってみれば面白くて熱中できた。
全部、セレーネ嬢との婚約話を白紙にされたくない一心でやったことだった。
5年後にはベネディクト王子の外見が劇的に変化した。可憐な美幼女だったが、あっという間に背が伸び美少年になった。病弱だったころはすべてに後ろ向きで大人しい性格だったが、夜の後宮庭園に忍び込んだ経験からか、サバイバル好きの積極的な性格になった。お忍びで下町にひょいひょい通うほどに。
つまり、婚約調印式でセレーネ嬢と再会した時のベネディクト王子は、すっかり『やんちゃな美少年』に成長していて、彼女が過去に面倒を見た美幼女の面影はどこにもなかったのだ。
「グスタフ・アラルコン卿。さきほどのわたくしの物言い、あなたにはさぞ不愉快だったことでしょう。申し訳ありません、お詫びしますわ」
自分が悪いと思ったら相手に謝罪をする。平民同士なら当たり前にできることだが、侯爵令嬢という身分をもつセレーネにそれができるのが意外であった。
だが、よくよく考えてみれば、ベネディクト王子が好きになった少女は善悪の判断がきちんとできる少女だった。自分の身に起きたことなら甘え見逃してしまう人間もいる中、彼女のこの真摯な態度はとても好ましかった。
侯爵令嬢の謝罪を受け、グスタフは黙って一礼した。
(惚れ直しちゃうって、こういう時のことばなのかな)
そもそも、今日はいつもの『完璧令嬢』ではないセレーネの姿をたくさんみることが出来た。なんとなく余所余所しいと感じていた空気も払拭されたような?
……この縁談が王子自身の希望だとやっと解って貰えたからか。
(ここから、だな。僕自身が好かれるようにまた一からやり直しだ。“伸びしろ”って奴だ)
あの愛らしくも逞しい下級生、彼の護衛の恋人が言ったことばは前向きになれる呪文のようだ。
「そうやって一介の護衛といえども礼節を重んじてくれる君がとても好きだ、セレーネ」
(そうだな。今後はもっと自分の気持ちをちゃんとことばにして告げよう。気取ってばかりいても良いことないって分かったし!)
今まではちゃんとした大人の男として振る舞うよう気をつけていた。『完璧令嬢』であるセレーネ・ポルフィリオ嬢の隣に並んでも遜色のない男であるように。
ベネディクトの率直なことばに対して、セレーネは扇を広げ顔の下半分を隠した。
「ベネディクトさまは……グスタフ卿のときといい、よくよく人が恋に落ちる瞬間に出会すという命運をお持ちなのですね」
「え? うん、そうだね、グスタフのときは……でもあれが初めてだったよ?」
人が恋に落ちる瞬間に立ち会うなんて、なかなか無いことだろう。セレーネの言い方では、まるで王子が以前にも同じように誰かが恋に落ちる瞬間に立ち会ったかのようではないか。
「ですが……6年前、婚約調印式でわたくしとお会いしましたでしょう?」
広げられた扇の影で、セレーネはどんな表情を作っているのだろうか。目元がはんなりと染まり、目尻の下にある泣き黒子まで色に染まっているように見えた。
「その時、目の前の女の子が恋に落ちる瞬間に立ち会っておりますわ」
え。
そう言ったセレーネは、顔全部を扇で隠してしまった。
ベネディクト王子の中の時は止まった。
扉前に護衛として立つグスタフは、普段表情を変えたりしない。だがこの時ばかりは、その口角が盛大に持ち上がったのだった。
【おしまい】
次回、番外編「セレーネの乙女心」(セレーネ視点)お楽しみくださいませ