2.ピンクブロンドの逆襲
「は? なにを言ってい」
「えっとぉ、わたしのことは一方的にご存じなのかもわかりませんが、わたし、お二方の事、存じ上げませんので」
問い質そうとしたアーロンのことばを被せ気味で制したあと、ピンクブロンドは明るい声でことばを重ねる。
「無知でまことに申し訳ありません。先程『思慮に浅く』との仰せでしたが、それ以前にですねぇ、知識にも浅いのです。本当に申し訳ありません。
それで、ですね。もし、わたしがそちら様の婚約者、だというのなら、わたし宛てに贈り物とか、なさいました? わたし、貰ったことなどありませんの。
わたしの友人は誕生日や記念日には婚約者からプレゼントを貰うのだと嬉しそうに言いますよ。記念日でなくても、婚約者として週に一度はお茶会をふたりでするのですって!
で、その度に小さな花束を頂くのだそうです! それがその時々の季節の花だったり、その日、一緒に観劇する予定の演目に沿った花を使ったモノだったりと、工夫を凝らしてくださって大感激! とか惚気られます。
婚約者というのは、例え政略結婚であってもそういう風にお互いを知り合って、徐々に判りあっていく仲なのねと、わたしは友人の話を聞くたびに勉強になるなぁと思います。
翻って、ええと、お名前を存じ上げないというのは話しづらいものですねぇ、ネクタイの色から推測しますに年上の方、ですよね。では『先輩』とお呼びさせていただきますね。
先輩が、わたしの婚約者だとおっしゃるのなら、週に一度のお茶会とかでわたしに会われているはずですよね? でもわたし、婚約者とのお茶会なんて、生まれてから一度もしたことありませんの。
プレゼントを頂いたことも無いし、お茶会で会うことも無いし、夜会のエスコートを受けたこともありませんし、さらに申し上げればお顔もお名前もよく存じ上げないお相手からいきなり『婚約破棄』などと嘯かれましても困惑するばかりなのですよぉ。お解り頂けます?
つまり、お人違いだと思いますわ。そんな大事なことは、こんな学園の食堂などで言い渡すのではなく、きちんとお相手を確認して、お家をとおして両家同意のもと、推し進めることを推奨いたします」
にっこりと花が綻ぶような笑顔を見せて長台詞を言い切ったピンクブロンドの女生徒は、食事トレイを持って立ち上がった。
立ち上がると、彼女は思った以上に小さかった。
ではお先に~、といってトレイを配膳所に戻すと、呆気にとられる周囲をそのままにトコトコと食堂を出て行ってしまった。
「ちょっと、アーロン! どういうことなの? ルチア・デル・テスタが貴方の婚約者なのでしょ?」
「え? いや、そうだと父上から聞いていたのだが……」
「ちょっと、しっかりしなさいよね!」
後に残された、高らかに婚約破棄宣言をしたはずの男女ふたりは真っ赤な顔をしたまま、お互いを罵りあった。
(アーロン。相手に恥をかかせるはずが目論見どおりにいかなかった、ってところかな?)
ベネディクト王子はそう思いながら一般生徒が使用する食堂に降り立った。
一般フロアに現れた王子によって人垣が左右に割れる。そのさまは穏やかな海を割る波の如く、揉めるふたりまで静かに到達した。
「なぁ、アーロン。キミ、よく自分の婚約者への不平不満を僕に言っていたよな?」
「殿下!」
言い争っていたはずの男女は第二王子の登場にトーンダウンした。
慌てて王子に向き合い軽く頭を垂れる。
「だというのに、婚約者をきちんと把握していなかったのか?」
ベネディクト王子は、巷では気軽に城下町を散策したりする庶民に優しい気さくな第二王子と人気が高い。
だが学内では、その高身長から見下ろされ、誰にも平等に毒舌を振り撒く厄介な王子として有名だ。
王子という身分に加え、18歳とは思えない大人びて怜悧な面立ち(野性味に溢れた彼の祖父王に生き写しである)に睨まれると、一貴族の子息に過ぎない一般生徒はみな震えあがってしまう。
「いや、逆か。ルチア嬢に自分が婚約者だと正しく認識されていなかったという事じゃないのか? 政略での婚約とはいえ、それだけ婚約者を蔑ろにするって、どうかと思うぞ? 贈り物なし、エスコートなし、交流なし、か。なんとも鬼畜の所業だね。君も不満だったように、相手も不満を抱えていたのでは? だが相手はじっと我慢していた。今日、きみが、こんなバカなことを仕出かすまでは。違うかい?」
「殿下……」
王子が周りを見渡せば、野次馬たちも云々と頷いている。
これは学友のためにも、今後このようなバカげたことを言い出す輩を出さない為にも、王子自身が裁きを下すべきかもしれないと王子は考えた。
「仕方ないなぁ、そんなに婚約破棄したかったなんて! 君との友情に免じて、僕が口添えしてあげるよ! 王家の肝煎りとして、君の婚約は破棄、いや、解消させてやる。顔を覚えて貰うのも避けるくらいに嫌だったのだから気の毒なことだ」
「え?」
我ながら芝居か? と思うほど大袈裟な笑顔と手ぶりとともに肩を竦める。
この場合、『気の毒』だったのは彼ではなく、あちらのピンクブロンド君だろうなと王子は思う。
(アーロンがこんなバカなことをしでかす大バカ者だとは思ってもいなかったよ)
家柄もそれなりにいいし、学業成績もそれなりにいい彼のことは、わりと気に入っていた。卒業後は側近のひとりに加えてもいいかと思う程度には。
だが、彼の人間性を知った今となってはその話は無かったことにしよう。
王子はにっこり笑顔でアーロンを見つめた。
兄である王太子には『その顔、何か企んでいるっぽく見えるからやめろ』とよく言われる悪人顔らしい。
「なに、恩に着せる気はないから安心したまえ。僕から王太子殿下に、いやこの際陛下にお願いしてあげるから、大船に乗った気で朗報を待つがいい!」
「え? え?」
「その代わり、君から言い出した案件なのだから慰謝料はちゃんと支払えよ? 君、それくらいの筋は通さないと男じゃないよ? その点も兄上にきちんと奏上するから、君は財産整理をするといい。そして君との友情も今日限りだ。――じゃあね」
「ベネディクト殿下!」
兄に止めろと太鼓判押されるにっこり笑顔でそう言い捨てて、ベネディクト王子は食堂をあとにした。
どうせ、非は相手にあると慰謝料請求もしようとしたのだろうが、むしろ被害者はピンクブロンドの彼女の方だ。後ろから自分を呼び止めるアーロンの声と共に、下品な金切り声でわたしは慰謝料なんて払わないわよという意味合いの罵りが聞こえた気がしたが、とりあえずそれは黙殺した。
(さて、あの女子……ルチア嬢といったかな。彼女はどこへ行ったのかな)
護衛のグスタフを伴に彼女が行ったであろう場所へ向かう。
衆人環視の中であのようなプライベートであるはずの内実を明かしたのだ。普通の令嬢なら恥ずかしさで居た堪れないだろう。恐らくひとりになりたくて裏庭へ出たとあたりをつけた。
果たして、あまり人の立ち入らない用具室の裏に彼女はいた。
(うん、本当にあのご令嬢はご令嬢らしからぬ子だね)
ピンクブロンドのルチア嬢は、用具室の壁を殴っていた。
正拳突きで。
ゴツっ 「う〜」
ゴツっ 「いーたーいー」
ゴツっ 「……痛い……」
左右の拳、交互に叩く度に泣きごとを言いながら。
そりゃあ、壁と喧嘩したら普通の人は敗北だ。それもあんな鍛錬とは無縁そうな可憐な女生徒なら、なおさら。
ゴツっ 「……ちくしょう……」
(うん、淑女はそんな言葉遣いしない……だいぶ伸びしろ多いなぁ、この子)
苦笑しながら慮る。
この様子から鑑みるに。
きっと彼女は把握していたのだ。
自分の婚約者が誰なのかを、ちゃんと。
そして彼が婚約破棄宣言を叩きつけるほど自分を嫌っていることも。
もしかしたら、あのふたりが学園内で仲睦まじく過ごす姿を目撃したのかもしれない。
だから一方的に婚約破棄を叩きつけられ辱められるのではなく、せめてもの矜持として、あのような物言いをしたのだ。
アーロン・スカラッティは自分の婚約者に顔もろくに覚えられないような影の薄い、しかもマヌケでうっかり者であると周囲に大きく印象付けさせた。
加えて彼が婚約者をほったらかしにする鬼畜だと公表し、彼がしでかした衆人環視の中で婚約破棄を叫んだ非常識な行為と合わせ、世間での彼の評価はすっかり最底辺へと下落したことだろう。
それでもなお発散しきれない悔しさを、壁を殴ることで解消しようとしている。
アーロンは彼女の拙い点を悪し様に罵っていたが、どうしてどうして。
(見かけは可憐で頼りなげなのに、なかなか機転の利く、根性の据わったお嬢さんだ)
一方的に踏み躙られるのではなく、強かに逞しい。そのような人間、嫌いではない。