5.電流と鼻血
鏡の前に立っていた少年は私を見て、驚いたように目を見開いた。
「エメ? おはよう。急にどうかしたの?」
何も言わず、立っている私に向かって、少年は少し心配そうに首を傾げる。
あぁ、まずい。記憶がどんどん薄れていく。あのでっぷりとしたクソ兄ではなく、この少年は若き日のハロだ。
髪はサラサラで、同年代からすれば多分背も高かっただろう。今の私からは随分と大きく見える。スラリとした細身の体型に、目鼻立ちも整っている。
うん、これぞ王子。
ん? いや、ハロってこんなに美少年だったか?
「……ハロ? だよね?」
「さっきからどうしたの? 僕は僕だよ? エメ、君の兄だ」
クスクスとハロは笑う。アレと本当に同じ生き物なのか? いや、こんな美少年がどうしたらあんな兄になる?
私は不思議に思いながら、無意識にハロの頬に手を伸ばすが、届かない。
ハロは優しく微笑むと、私の行動を察してくれたようにしゃがみ込んだ。確かめたくて、そのままゆっくりと自分の手をハロの頬に当てる。
ーーーーーービビビッ
「え……?」
頬を触った瞬間、私の右手に電気のような衝撃が走った。その衝撃は私の脳内へと走り、無数の映像を映し出す。それはハロの人生の断片だった。
いや、ハロの人生というよりか、これはハロの過ち……しかも無数にある。
歳を重ねるごとに、あのでっぷりとしたクソ兄になっていく。
ん? でもコレはハロの過ち?
いや待て待て、何これ……この映像量、いや情報量は一回のハロの人生じゃない。それに、これら全部がハロの障害ってこと?
なに…これ、なんでこんなに……?
ダメだ、凄い量の情報量で頭が痛くなってきた。
「エメ! エメ!? 大丈夫? 鼻から、鼻から血が」
「え?」
私は左手で自分の鼻を拭って見ると、その手は真っ赤に染まっていた。
ななななっ、なんじゃこりゃー!!
私はショックからそのままバタリと倒れ、鼻から大量の鼻血を吹き出しながら、目の前が暗くなっていくのを見ていた。
「エメ!! エメ!? 誰かっ!!」
ハロの慌てた声が聞こえる。
『俺の肉鉾がぁっ!!』
頭の中でクソ兄のハロが叫んでいた。
「目を覚まして! エメ!!」
揺さぶられる感覚に、頭がぐらぐらする。
「っげほ、げほ」
息を吸い込んだら、鼻血が気管に入り、苦しさで目が覚めた。
意識を取り戻した私に、ほっとしたような顔のハロは、それでも心配そうに私を見つめている。
ぜいぜいと、肩で息をしながら、私は目の前にいるハロにしがみついた。
「お前が、お前がっ、悪の根源だったのかハロ!」
気づけばそう言葉にしていた。
私は悟ったのだ。何故悟ったのか、どうしてなのか理由は分からない。でも、私はこの世界で一度や二度とどころではない死を経験していた。
何度も死んで、そして何度も蘇り、過去に戻り、やり直し、そしてまた死ぬ。
その全ての終わりは、この国が破壊され、滅亡に追いやられ、乗っ取られ……。
全てが悲しい死の終わりだった。
そして、その原因……その原因は、全てこのクソ兄、ハロルドの女癖のせいだった!!
全て、女だ。全部女がらみ!
女、女、女、女!!
何故? 不思議なくらいにハロの周囲には馬鹿みたいに女が寄り付き、そして滅んでいく。私は何度も何度も繰り返してきた。それも全て、膨大な数の死の原因はハロの女どもだ。
「とりあえず落ち着いて。今人を呼んだから、ね?」
私の煮えくりかえるこの感情とは裏腹に、ハロは物凄く心配そうに私を覗き込み、服の袖で、私の鼻を拭ってくれる。
「ハロ! もう離さないわ。絶対逃がさない。誰の手にも渡さない。私が守ってやる」
ハロの胸ぐらを掴み、私は宣言する。
「なっ……エメ? どうしたの? 怖いよ」
引き攣ったハロの声を最後に、体から力が抜けていった。握ったていたハロの胸倉を離しながら、意識が遠のいていく。
あぁ、そうか。
私はずっとループして、ずっとハロの女達に殺されて来た。そして、ずっとハロの女達に国を滅ぼされて来たんだ。
ゆるざん!
ゆるざんぞ!!
私の心の叫びは、ハロに近く女に対しての憎悪から。そして何故か女を寄せ付けるハロの危険性を強く感じていた。
もう、死なない。絶対死んでたまるか。
ハロに近づく女ども、許すまじ!!