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惨状のはじまりときっかけのお話

歴史ある大国が統治している大陸ヴァーンハルトでは人類の常識を越えた怪現象が頻発していた。

住民がある日「悪魔の呪印」をその身に宿し、怪物になってしまうという類のものだ。


凄腕の退魔師レーベン・ストレイフは退魔師である。

人間に取り付く悪魔を駆逐する為、その身に悪魔の力を宿し、闘う。

その血で満ちた生臭い物語を語ろう。

 薄暗い寝室ではベッドに寝かされた若い母親が、見た目にも分かるほど汗をかき、繰り返し低いうめき声をあげていた。


「お願いします、母を救ってください……」


 娘は肩を震わせながら、母から目を背けるようにうつむいた。

 僕は覚悟を持って頷き、なるべく靴音を殺しながら母親に近づいた。

 そして、その容態を目の当たりにし、深く息を吸い込み、吐き出した。


「かなり深刻です。もう一刻の猶予もないでしょう」


 娘は自らの震える両腕を抱えながら、はいとだけ返事をした。


「それでは……」


 僕は右手をゆっくりと振りかざし、そして、一息に振り下ろした。

 鋭い刃が母親の首筋に深々と突き刺さった。

 それまで母親の体内を巡っていた血液が、新鮮な空気を求めるようにどくどくと外に溢れ出してきた。

そして首元にあった、その不気味な光を灯していた“呪印“は音もなく砕け散った。

 母親は大きく目を見開き、顎を震わせながらも、僕の方に顔を向けた。

 そして、その表情を少しだけ緩め、ありがとう、と掠れた声で呟いた。

 娘は嗚咽を漏らしながらその場に崩れ落ちた。

 今夜も僕の仕事は終わった。

 寝室のランタンは今にも消え入りそうに、頼りなさげに、小さな光を揺らしていた。


-------------------------------------------------------------------------


「師匠! いつまで雑用をやらせる気ですか!」


 僕の一番弟子であるカエデ・トリスタはすごい剣幕で使用済みの皿を布でこすっている――いずれ火がつきそうなくらいに。

 食器洗いという立派な任務を与えているというのに、ぷりぷりとよくもまあ怒るものだ。

 その怒りのエネルギー量は、カエデが僕に弟子入りしたこの半年ほどでほぼ最大まで溜まったようである。

 僕は聖水を含ませたパルプ紙で退魔刀を磨きながら応えた。


「あはは、ごめんね。それも退魔師の大事な仕事の一つなんだ」

「うそだ! このうそつき!」


 そう罵声を浴びせながらも手は休めず、親の仇のようにゴシゴシと皿を磨いているのだから感心する。


「私は早く一人前の退魔師になって悪魔をバッタバッタとちぎっては投げて――」

「うん、何か退魔師を勘違いしてるね君は……」


 弟子に退魔師としての教えを説こうとしたところに、何やらドンドンという音が聞こえた。

 うちのドアを乱暴に叩く音だ。

 来客だろうか。


「は〜い!」


 カエデが皿を磨きながら、トコトコとドアに向かう。

 教育の甲斐あって、来客対応もバッチリだ。


「夜分に失礼致します。レーベン・ストレイフ殿のお宅でしょうか……」

「……」


 そこに立っていたのは14、5歳ほどの細身の少女である。

 カエデは無言で僕の方を振り返る。

 まるで餌を食べる前に了解を得ようとする犬のようだ――これは決して悪口ではない。

 僕は頷く。


「ええ、そうです! そういうあなたは何様ですか?」

「……」


 皿を拭き拭きしながら元気よく応じるカエデに頭を抱える。

 この娘は言葉遣いに難がありすぎる。


「私は……リーヴェラと申します。レーベン殿にお願いがあってきました」

「私は弟子のカエデです。レーベンは奥に座っているあのひょろい優男です」


 ひどい言われようだが、とりあえず僕は退魔刀を机に置き、軽く手を降った。


「あはは〜、どうも」


 ふむ。

 あのリーヴェラと名乗った若い娘、随分身なりが良い。

 ストレートのブロンドヘアはつやつやと輝きを放っており、赤毛の無造作ショートヘアのカエデとは、果てしなく、大いなる違いがある。

 豪奢な模様が施されたワインレッドのドレスを着ているが、衣服に決して負けていない端正な顔立ちをしている。

 おそらく名のある貴族か。

 ひとまず家の中に招き入れ、事情を聞くことにする。


「私に——悪魔祓いをして欲しいのです。私は悪魔などになりたくない……!」


 ソファに座り、対面したリーヴェラは両手をぎゅっと結びながら、開口一番訴えてきた。

 僕はひとまず落ち着くよう両手のひらを見せた。


「え〜と……身体のどこかに呪印は出ていますかね? つまり、変な痣みたいなのができたとか」

「……」


 若い女性には聞きづらい質問だが、聞かないわけにもいかない。

 問われたリーヴェラはぎゅっと唇を結び、ドレスの襟元をひっぱり、鎖骨の下辺りまでさらけ出した。

 そこには今まで見てきた何よりも歪で、どす黒く、禍々しい呪印がはっきりと浮かび上がっていた。

 

 ——やばいな、と心のなかでつぶやいた。

 もういつ“発現”してもおかしくない。

 加えて、これはかなり上位の悪魔かもしれない。


「ここで“それが起きたら”うちが崩壊しちゃうかも」

「……え?」


 いつの間にか覗き込んでいたカエデが余計な事を言った。

 後で薪割り十倍を命じておこう。

 しかし、リーヴェラと名乗ったこの娘、体調や行動にまだ異変が起きていないようだ。

 僕は目を瞑り、頭を後ろにそらした。

 ――まだ助けられる。

 静かに深呼吸し、居住まいを正す。


「それでは――」


 リーヴェラに目を戻した瞬間、うちの扉がノックもなしに乱暴に開けられた。


「姫様ぁ!」


 甲冑を着込んだ騎士たちが乱暴になだれ込んでくる。

 騎士たちの甲冑に刻まれた十字と盾の紋章は、この礼儀知らずたちが聖堂騎士団であることを示していた。

 その中の隊長と見られる老騎士は、リーヴェラと僕を見つけるとすぐさま汚い言葉を叩きつけた。


「この下賤な呪いまじないしめ……即刻! 姫から! 離れよ!」

「離れよ、ったって……」

「ええい! 従わぬのなら切り捨てるまで!」


 老騎士が腰に下げた長剣を抜く。

 ――こいつ正気か?


「オーラン様、ちょっと、落ち着いて!」

「これが落ち着いていられるかぁ!」


 老騎士の隣で女騎士が止めに入る。

 女騎士はまだ若いが、利発そうな顔立ちで老騎士よりは冷静だ。

 一方、リーヴェラは口に手を当て、目を白黒させている。

 高貴な印象は受けたが、聖堂騎士団に護衛されているということはこの娘、正真正銘の王族だ。


「イズハ・ミツルギ、止めるでない! この者は恐れ多くもガラテア公ラーンスロー三世が第二王女である姫をたぶらかし、悪魔のささやきで大罪を――」

「ちょっと何言ってるか分かりません!」


 突然現れた老騎士と女騎士の問答についていけない。

 その時、傍観者だったカエデが僕の袖をぐいと引っ張った。


「師匠! ちょっとこの人……」

「ん?」


 正面に目を戻すと、リーヴェラが両手で胸のあたりを抑え、肩をガタガタと震わせていた。

 目の焦点はどこにも合っておらず虚空を見つめている。

 すでに――後戻りができない前兆が始まっていた


 『不安』や『不信』は悪魔の恰好の住処だ。

 一連のこの騒ぎで症状が一気に進行したのだ。


「……今すぐ全員ここから出て行け」


 僕は感情をむき出しにして言った――つもりだった。

 怒りもない、哀しみもない、ただ無感情な言葉。

 もう激しい感情は必要なかった。


 目的達成のための手段。

 悪魔を祓う為の唯一最短の手段。

 僕は立ち上がり、先程まで磨いていた退魔刀を手にし、構えた。


「もう、遅い。悪魔はこの娘と共に断ち切る」

「断ち切る?――な、何を言っておる!? こやつ……」


 老騎士は意味を計りかねるように目を細めて、僕の言葉をオウム返しにした。

 そう、もう――遅いのだ。


「……オーラン様、姫を連れ帰ります」

「あ、ああ……。頼んだぞ、イズハ・ミツルギ」

「失礼します、姫様――」


 女騎士は少し悩み、様子のおかしいリーヴェラを抱きかかえようとした。


「え?」


 次の瞬間、女騎士はまるで操り人形の糸がぐいと引っ張られたように宙に浮き、壁に叩きつけられた。

 リーヴェラによって、だ。

 その体格からはありえない膂力で、腕を振り回し、女騎士を吹き飛ばしたのだ。


「が……はっ!」


 そのままずるずると床に崩れ落ちる。

 お供の騎士たちはただただ呆然と、棒立ちのまま、その光景を見送った。


「貴様……これはいったいどういうことだ!?」


  ただ一人オーランという老騎士は状況を把握しようと僕に詰め寄る。


「すでに悪魔は“転生”した。これ以上進行する前に――」


 僕は両手で柄を握り、退魔刀の切っ先をリーヴェラに向けた。


「――断ち切るっ」


 リーヴェラはまだ完全ではない。

 僕は退魔刀をゆっくりと引き絞り、彼女の胸元を貫かんと突き出した。

 忌まわしい呪印を切り裂くために。

 しかし――


 ――刃がその無垢な肌を貫く前に、リーヴェラは変貌した。

 

 豪奢だったドレスは無残にはち切れ、中から青藍の体毛に包まれた獣のような肉体が露出した。

 頭部は可憐な少女のそれから、醜い山羊のような異形に変貌した。

 身長は元の倍ほどの大きさになっている。

 ここまで外貌が大きく変化するのは上級悪魔が転生した証だ。


 貫かんとした退魔刀はリーヴェラ、いや――悪魔に、ハエを払うかのように簡単に弾き飛ばされてしまった。

 もはや呪印など関係がない。

 完全に息の根を止めなければ、こいつは周りの人間を殺し尽くすだろう。


「師匠! お家が壊れちゃうよ!」


 すでに家の外に避難していたカエデは、ドアの外から何やら叫んでいる。


「ヴオオオオオォォォ!」


 腹の底に響く、とてつもなく冷たく重い狂気と絶望の音。

 悪魔は咆哮し、見境なく周囲のものを破壊し、暴れ始めた。

 作業机は簡単に吹き飛ばされ、退魔に用いる聖水が入った瓶たちが激しい音を立てて割れ、天井の照明は砕け散り光は失われた。

 お供の聖堂騎士たちは、しかし金縛りにあったように固まってしまっていた。

 ――このままでは多くの被害が出てしまう。

 僕は退魔刀を握り直し、自らに封印した悪魔の力を呼び起こした。

 

 「――ベルフェゴール」


 ドクン――

 心臓の鼓動がうるさいほど響く。

 身体の芯が熱湯を飲んだかのように熱くなり、異常な量の汗をかき、指先に震えが起きる。

 暴力的な思考に頭が支配される。


 ――やつを滅せよ。やつを滅せよ。やつを滅せよ。やつを滅せよ。やつを滅せよ。


 うるさい黙れ、お前は力だけを貸せ――。


 僕はベルフェゴールのささやきを無視し、跳躍した。

 悪魔の頭を飛び越し、身体を捻りながら、退魔刀を首筋に突き刺す。

 漆黒の刃は深く突き刺さり、やつの青い鮮血が吹き出る。

 悪魔は竜巻が起きそうなほどに、その豪腕で即座に殴りつけてきた。

 それを目の端で捉え、やつの頭を踏みつけて拳を躱し、空中で反転、今度は目を狙って刀を突き刺す。

人間離れした驚異的な身体能力を示した僕に、騎士オーランは目を丸くし口をあんぐり開けてしまっていた。


「グゥオオオオオォォォ!」

「師匠! やったッ!」


 外からカエデの歓声が聞こえた。

 しかし――。

 着地した瞬間、身体がガクッと沈み込んだ。

 頭が急激に冷えていく。

 それと同時に全身がバラバラに引き裂かれるような痛みが湧き出てきた。


「――も、もう……限界か」


 僕は膝から崩れ落ちるように倒れた。

 視界がフェードアウトする。

 ベルフェゴールはもう“降ろさない”――と胸に強く誓った。




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