愛されない王妃と、元夫の異母弟
私の夫は王だった。
私、マリア・カットーシナと、バレット・スカフォル王子が結婚したのは共に十六歳の時。
スカフォル国の侯爵令嬢、加えて王子と同年代ということもあって、私は幼い頃からバレット王子の婚約者という立場だった。だからいずれ王子と結婚、この国の王妃になる事に対しても何も思わなかった。
愛のない家庭で育った私は、人の情というものには疎い方だと思う。父上は愛人に夢中で滅多に屋敷には帰ってこなかったし、母上も好き勝手に国中を旅行していたから、私と顔を合わせる機会も少なかった。幼い日より、大きな屋敷で一人、私は王妃になるために黙々と勉強をしていた。
バレット王子は典型的な甘やかされた王子で、我儘で高慢、プライドの高い人だった。彼は己の知識や剣の腕前を心の底から称賛して崇めてくれる女性がお好きだったようで、才女とか賢い姫君と言われていた私を疎んでいたようだ。王子よりも私の方が優れていると遠回しに言われることが耐えられなかったのだろう。
私に向ける「ちょっと苦手」の意識は、いつしか憎悪となり、バレット王子と私は婚約者という立場にあったにも関わらず全く交流を持たなかった。
私はどうやら人から嫌われる体質らしい。与えられた物事をさらりとこなしてしまう可愛げのなさからなのか。弱音を吐かないからほっといても問題ないと思われるのか。あまり表情を変えないから冷たいと思う人がいるからなのか。考えたところで仕方ない事だと分かっていても、もう少し私に好かれる要素があれば、バレット王子との関係も変わっていたのだろうか…と溜息が出ることがあったのは事実。
結婚してもバレット王子が初夜を無視するのは当然のことだった。完全に「白い結婚」である私達に、周りの者達は何を言っても無駄だと悟り、「早いところバレット王子が側室を迎えて子供を作るべきだ」といった声が大きくなりつつあった。
気付けば五年が過ぎ、私が二十一歳の時、事件は起きた。
前国王が崩御し、バレット王子が王へとなっていたわけであるが、バレット王は税金を好き勝手使って政治に参加することはなく、いつも遊んでいた。宰相や大臣たちが諫めるのも聞かず、王宮とは別に離宮を作らせ、そこに愛人達と入り浸っていたのだ。その愛人が貴族であったならば側室に迎えることもできたのに、よりによってバレット王が選んだ女が流浪の踊り子だったから、大臣達の反対が強く、未だ側室にはおさまっていない。
しかしバレット王と愛人の間には二人の子供がいるらしいので、いずれこの国を継ぐのはその子達になるのだろうか…と、我ながら他人事のように考えていた。他人事と言うより、諦めだ。私とバレット王はもう関係を修復することはできないだろうと。
遊び呆けるバレット王の代わりに、会議に私が参加することが数回あった。けれども私に出てこられるのは王にとって許しがたいことだったのだろう。私に仕事を押し付けて愛人と好き勝手やってくれていた方が私もやりやすかったのだが、生憎それは叶わなかった。会議に出席した私を、「私より前に出るな!」と言って王は私の頬を強く叩いた。あれはとても痛かった。
会議に出ても、自分に都合のよい所だけしか聞いていない。国や民の状態などには興味ない。大臣達の細かい報告は聞くのが面倒だと言ってしまう。しまいには会議自体をなくしてしまえばいいとか有り得ない事を言い出す。
そんな王にしびれを切らせた者たちが団結をして王を排除した。それが件の事件である。
バレット王の異母弟・シオン王子が中心となって王宮を掌握、バレット王は生涯幽閉されることとなり、愛人とその子供は国外追放。そしてシオン王子が新たな王へとなったのだった。
このシオン王子と私は全く交流がなかった。母親の身分が低かったことから王宮内では冷遇されて育ち、幼い日々を王宮ではなく、母親の故郷で暮らしていたとか。
多少なりとも知っていることと言えば、シオン王子、いやシオン王はとても綺麗な青年だということだ。
私より三つ年下であるから、十八歳なはず。濃い茶色の髪は緩いカーブを描いて風にさらりと靡くと、一枚の絵になる。どちらかと言うと細身で剣を振り回すよりかは、頭を使う方が得意だという噂も耳にした事がある。
事件後初めて会ったシオン王子は、とても頭が切れて決断力のある方だという印象を持った。加えて人望と人脈もあり、宮廷に出入りする貴族や商人達の協力もあってバレット王の排除に成功したとか。
さてさて、私はどのように処分されるのかとこれまた他人事のようにぼんやりと考えていた。バレット王は生涯幽閉、だとしたら私も似たような処分を下されるのか。まあそれでも良いか。どうせ無能なバレット王を止めることも諌めることも出来なかった、役立たずの王妃だ。排除されても仕方ないと小さい溜息をついたものだった。
が、私に下された処分は予想もしていなかった。
曰く、「シオン王の王妃になること」だった。
最初聞いた時は何の冗談かと思った。
私が大臣達や他の貴族達と良い関係を築いていたから、もしかしたら彼らがシオン王に私の救済を願い出てくれたのかもしれない。それともあの愚王のバレットでも支持している貴族がいたから、彼らを抑えたい為に私をそのまま置いておくとか?いや、そんな事をしても意味がない。所詮私はお飾りの王妃だったのだし。
しかし私の意思など関係がない。決定された事に従うのみで、あっと言う間に、私はシオン王の王妃へとなった。
二度目の結婚式は、王と王妃のそれにしては質素な方だったと思う。シオン王はできるだけ金をかけたくなかったらしいと後で聞いて、思わず納得したわけだ。何しろ、バレット王が散々税金を無駄遣いしていたからね…。
シオン王も、私みたいなお下がりをもらって大変だこと…などぼんやりと考えて迎えた結婚式の夜は、少しばかり緊張しているのが自分でも分かった。バレット王とも肌を重ねていないので、私は二十一にもなってまだ処女だったから。
「……待ちましたか」
部屋で待っているとシオン王がやって来た。ちらりとその表情を見て、少しだけ意外な感じがした。どうやらシオン王も緊張しているらしく、表情が硬い。そうか、考えてみれば彼は私よりも三つ年下だった。いくら大人びているからと言っても、まだまだ十代だ。
それに気付いた時、自然と身体の力が抜けた。幼少の頃からつい最近まで王宮の外で育ったシオン王子よりも、私の方が王宮にいる時間は長いはずだ。それに私は一度結婚をしている。まあ、白い結婚だったけれど。
「シオン様、どうぞこちらに」
ゆっくりと優しくそう言って手を差し伸べれば、戸惑ったような、途方に暮れたようなシオン王がそこにいた。王と呼ばれるようになったとは言え、彼もやはり十八歳の青年だなとついつい笑ってしまった。
自分の手の上にシオン王子のそれが乗せられると、私は彼の手を引いてベッドの隣へ座らせた。頬が少し赤いのは気のせいではないだろう。ボリボリとシオン王は自分の頭をかいて、「こんなことになって…」とポツリと呟いた。
「あの…今までちゃんと話せなかったのでここで少しだけ話したいのですが」
「はい、勿論です」
ほっとした息を吐いたシオン王に、私の心が少しだけきゅんっと締め付けられる。予想していた以上に、シオン王が可愛く見える…!
「その…えっと…。あなたには申し訳なく思っています…。政略結婚だったとは言え、夫である人を奪ってしまって…。そして奪った張本人の私が、今度はあなたの夫になるなんて…。でもこれはどうしても必要だったのです。バレット王がこのままこの国の頂点にいれば、いずれこの国は駄目になってしまうでしょう。ですから私達は決断したのです。あなたを巻き込んでしまって…その点は申し訳なく思いますが」
比較的早口で己の想いを告げてくるシオン王子の姿は、昼間の堂々としたそれとはかけ離れていた。けれど真摯に語ってくれている姿はとても好感が持てるものであったし、バレット王とは比べ物にならないくらい良い人だと感じた。
「シオン様、何も気にしないで下さい。私もこの先の事は心配だったので…。バレット様の事は残念だとしても、シオン様達の決断は何も間違っていないと思っておりますよ」
にっこり笑えば、シオン様はへにゃりと笑った。
「そう言ってくれると助かります…。あなたを私の妻にしたのは色々な理由がありますが…。実はあなたの事は、前々から知っていたのですよ」
「……そうなのですか?」
「……はい…。とても聡明なご令嬢だと噂だったので。あなたならば、バレット王が多少足りなくても、きっと大丈夫だろうと…皆がそう言っていたので」
「……ご期待に添えず申し訳ございません。私ではバレット王は止められませんでしたわ」
「いや、あなただけのせいではない。我々全員の責任です」
シオン王は私の頬にそっと触れた。その顔は厳しく、一体どうしたと思えば
「バレット王に殴られたと聞いておりますが…。可哀想に。女性に手を上げるなんて、男としても最低ですね」
低い声で唸った。ああ、私の事を心配してくれたのだと分かったら、ついつい嬉しくなって笑みがこぼれた。思えば私は父母からも、そして夫からもこのように心配されたことはない。常に一人で生きて来た。
「マリア。私とあなたは出会ったばかりだ。しかしこれからは、良い関係を築き上げていきましょう?私も努力します。そしてこの国の為に、尽力しましょう」
寝所には相応しいとは言えないその台詞。まるで仕事をする時の挨拶ではないかと思わず吹き出しそうになったが、悪い気は全くしなかった。「こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」と明るい声で返答すれば、シオン王もようやく肩の力を抜いて笑ってくれた。
シオン様はやはり優秀だった。ただ、テキパキと公務をこなし、きりっと背筋を伸ばして堂々としている姿はまさに「王」そのものだが、彼は決して器用な人間ではなかった。複数の事は一度にできないし、何かに集中すればそこばかり見つめてしまう。また変に人がいいところがあるから、腹の中が真っ黒い人物を見抜けないようでもあった。
そんな彼を助けようと宰相や大臣は奮闘するのだ。彼は人に好かれやすい性質を持っており、彼自身が望まなくても、周りの人たちが手を差し伸べてくれるのだから凄いと言うべきだろう。私と初めて会話をした夜の時からも彼の人となりは窺い知れたものだが、これは他の人にはない利点だろう。
「シオン様は凄いですね…。万人に好かれるところは…羨ましいです」
ある昼下がり、執務室でシオン様の仕事を手伝っていて二人きりになった時、ついついポツリとこぼした。私は元夫だったバレット王にもひどく嫌われていたし、父母にも可愛がられたことはない。親しい友人もいなければ、侍女にだって距離を置かれている。私の周りには誰もいなかった。
だからこそ、シオン様のことを羨ましくも思う。彼には信用できる宰相や大臣がいて。幼い頃からの友人たちも多いと聞く。さらに騎士団や使用人達もシオン様を慕っている者がほとんどだとか。シオン様が何か失敗しても、彼らが盾となり助けてくれるのだろう。
そんな事を洩らせば、キョトンとした顔のシオン様が私を見つめていた。
「私が羨ましい?どこが?」
「どこが…って。万人に好かれるところです。私はあまり人に好かれる要素を持ち合わせていませんから」
「………そんな事ないよ」
「そんな事ありますよ。可愛げがない…と言うのでしょうね、私みたいな女は。大抵の事は一人でできてしまいますし、誰の手も必要とはしてこなかったのです…。だから周りの者達は私に寄って来ないですしね」
「………自立しているっていうことでしょう?何も悪い事ではないでしょ」
「勿論、悪い事ではないですし、こんな自分の事を嫌だなんて思っていないですよ。ただシオン様を見ていると、いいなぁって思うことが時々あります」
書類仕事が終わったのでそれを手に持ち、長椅子から立ち上がる。シオン様の前にそれを差し出すと、彼は椅子から立ち上がって私の横に立った。
「シオン様?」
シオン様は更に私の背後に回り込むと、後ろから腕を回して私を抱き締める。そして右肩に自分の頭を乗せて軽く縮こまった。
「シオン様…?」
彼は時々こうして「甘えて」くる。背後から私を抱いて、肩に頭を乗せるのが好きなようだ。まるで猫みたいだな…と思ってしまうその行為は、嫌いではない。片手で私の肩に乗せられた頭をポンポンと撫でると、シオン様は唸るように声を洩らした。
「私からすれば、マリアの方が凄いよ…。忙しい毎日を、平然としてこなすんだもの」
「…公務のことですか?まあ…慣れていますから…」
「私はまだ慣れないよ。王なんて所詮国の奴隷だよ。ああ、もう嫌だーって投げ出したくなる時があるんだよ?それなのにマリアは文句も言わずに、誰の手も借りずにちゃんとこなせているし…」
「……」
「私なんてまだまだだよ。自分でバレット王を倒すって決めたくせにね…。つい昨日、宰相達から‘もうちょっと王らしく’なんてお小言をもらったし」
「あら、そうだったんですか」
「お小言はいつものことだよ。もうちょっとしっかりしたいと思っているんだけれど…。だからマリアは凄いって思うよ…。マリアが男だったら、私はきっと負けている」
その評価は喜ぶべきところなのかどうか迷うけれど。
シオン様は私から少し離れ、私と向き合うように立ち位置を変える。まっすぐな目が私を見つめ、真剣な表情に私は少しだけ怖気づく。
さらりと私の髪を手の甲で撫でながらシオン様は切なげに笑った。
「…愛しているよ、マリア」
突然言われた台詞に返す言葉がとっさに出て来なかった。嫌われていないだろうとは思っていたけれど、愛してくれているとは思ってもいなかったから非常に驚いたわけで。
「万人に好かれなくてもいいじゃない。私一人がマリアを好いている…愛している。それだけでは不満?」
みるみる身体が熱くなるのを感じる。パクパクと何も言えなくなった私を、シオン様は面白そうに眺めていた。
「私には私のいいところがあるように、マリアにもマリアのいいところがあるよ。真面目なのもマリアのいいところの一つだけれど…欲張りなのは良くないなあ」
「よ…欲張り、ですか…」
「欲張りだよ。頭が良くて常に冷静で王妃に相応しい女性ということに加えて、誰からも好かれたいなんて…贅沢な欲望だよ。それに、マリアが誰からも愛されたら、私が安心できないじゃないか」
「………」
「だからいいんだよ。マリアは今のままで…。そのままで、私を支えて欲しい。私の隣にいて欲しい。それでは駄目?」
捨てられた子犬のような目で訴えられると、思わず笑いがこぼれる。何て可愛いのだろう、この人は…。
シオン様の言葉はゆっくりと私の心に染み渡り、幸福感で満たしていく。幼い日より感じていたもの―きっとそれは寂しさ―を忘れさせてくれるほどに。
「だからマリア、私に愛想を尽かさないでね…?私は決して要領のいい人間ではないから…。えっと…」
「はい、勿論ですよ、シオン様。私はあなたの隣にいて、あなたを支えます」
シオン様の顔を両手で包みこみ、そっとその頬にキスをする。シオン様は顔を赤くさせるも、嬉しそうに微笑むから、ああ可愛いなあってまた思うのだ。
「ところでシオン様。いつから私のことを想ってくれていたのですか?結婚してからどのくらい経ってからですか、そのようなお気持ちになったのは」
愛しているなんて唐突に言われた事はやはり驚いたので。突っ込んで聞いてみれば、シオン様は片手で口元を押さえ、ふいっと顔を横に背ける。その顔はやはり赤い。
「それを聞く…?聞かなくてもいいじゃない…」
「……え、駄目ですか…?気になりますし…嬉しかったのに……」
「……ああもう…!分かった、言うよ…。ええと、私があなたを気にしたのは…その…十五歳くらいの時だったかな。王宮に足を運んだ時に、バレット兄上の奥方だと知った時からで…」
私がバレット王からシオン様の王妃になったのは、他ならぬシオン様の要望だと知ったのはこの時だ。並々ならぬシオン様の執念深さに宰相や大臣は呆れた様な、それでいて微笑ましいものを見るかのような視線を寄こしてきたとか。顔を赤くさせて告白したシオン様に愛しさを感じ、私は彼をぎゅっと力の限り抱き締めたのだった。
誤字脱字報告、いつもありがとうございますっ!めっちゃ助かります!