神を辞めるまで
当時、俺の事は、ネット掲示板でもちょっと話題になった。
俺の元へ、苦しみ、迷える者たちがやって来るようになった。
そんな彼等を、俺は、ある時は行列を代わってやって救った。
またある時は、もう少しの間だけ耐えるように励まし、またある時は、彼等の魂の叫びを聞き、共に悲しんだ。
残念だったが、手遅れになったやつも居た。
俺は、取り返しのつかない事態になってしまった、あの若者の顔を、生涯忘れることは無いだろう。
そうやって過ごしていた俺に、俺のいない間にでも置かれたのか、洗面所にお供え物が置かれるようになった。
まんじゅう、酒、その他果物などがお供えしてあった。
お供え物に挟んであったメモには、「あなたのお陰で私は救われました」と書いてあった。
それ以降、洗面台に、以前行列を代わってあげた人たちからであろう、お供え物とお便りが置かれるようになった。
ある時は、「あの時、助けてくれてありがとう」と書いてあった。
またある時は、「あなたは、絶望の縁から私を救い出して下さった」等と書いてあった。
お供え物は、全部貰って帰った。
一度、「僕は、緊張するとすぐお腹が痛くなります。どうしたら治りますか」などと書いてある紙が有ったが、無視した。
そんな事をしているうちに、同業者が現れた。俺と同じ様に、行列に並び、急いでいる人に代わってあげる人が出てきたのだ。
潮時だなと、俺は思った。
ちょうどその時就職が決まり、俺はこの"ビジネス"をやめる事にした。
そして、最後の日。
洗面台に、手紙が置いてあった。
それには、こう書かれていた。
「トイレの神さま、どうかぼくのお父さんをたすけてください。
ぼくのお父さんは、だいちょうガンだとお医者さんから言われました。あと半年しか生きられないそうです。
お父さんは、もうトイレにも行けません。
トイレの神さま、どうか、お父さんがまたトイレに行けますように」
この手紙に、俺は返事を書いてやることにした。
最終日だし、適当に返事を書いても特に問題はないだろう。
だから、手紙の裏に、返事をこう書いてやった。
「私は、トイレの神様です。
あなたのお父さんの病気は、必ず治ります。
だから、心配しないで下さい。大丈夫だから」
……まあ、気休めだが、少しは役に立つだろう。
そして、手紙を置いた後、俺はトイレを去った。
トイレの神を辞めたのだ。
しかし、俺は今でも覚えている。
苦しみ、悩むオッサンたちを。
震える手に握りしめられた、あの千円札を。
俺は、決してこの時の出来事を忘れる事は無いだろう。
短い期間だったが、俺は確かに、神と呼ばれる程の存在となったのだ。
こうして、俺の神の期間は終わったのだ。
……しかし、あれは思った以上に収入があった。
また仕事が無くなったりして、金に困ったら、やっても良いかもしれない。
今度やる時は、また別のトイレでやることにしよう。
こうして俺は、神としての仕事を、新しくここでビジネスを始めた、見ず知らずの浮浪者風の男に引き継いだのであった。
次でおしまいです。