五日目 編集さんと王子様2
さて、今回は前回の続き(後日談的なもの)ですが、視点は長谷川君でお送り致します。
それでは、どうぞ!
俺の注文したコーヒーが半分になった頃、戻ってきたのは倉橋の編集さんだった。
「あの、倉橋は?」
俺はカップを受け皿に戻し、編集さんへと視線を上げた。編集さんの風貌をまじまじと見ていなかったが、ハッキリ言って倉橋とは真逆だった。
黒色のフレーム眼鏡が聡明な印象を持たせ、その奥に光る瞳は、他人を静かに観察しているようにも見える。ナチュラルメイクなのか、はたまた化粧をしていないのか、地肌にしては白い肌と胸元に光るネックレスが印象的だ。髪の色は茶色だが、後ろでお団子にしており、前髪は右だけ長く垂らしたスタイルにしている。倉橋が「インテリ眼鏡」と称する理由がよく分かる。
目の前の編集さんは、俺の問いに軽く「ふふふ」と笑うと、自身のブラックコーヒーを一口含んだ。
「あの子なら、今頃自宅ですよ。」
「自宅?」
何故だろう?倉橋は先ほど「10分、待ってて!片を付けてくる。」と言ったばかりだというのに...。
「私が店を出た時に、ちょうど子猫を見つけましてね。あの子、可愛らしい動物に目がないから...。」
そう言うと、編集さんはまた、穏やかに笑んだ。充血した目や目尻の赤みから、一人で泣いていたのではないかと思わせた。だが、俺も編集さんもそのことについては何も言わなかった。
「...そういえば、倉橋は犬を飼っていませんでした?」
「えぇ。...知ってます?あの子の飼っているゴールデンレトリバーの名前。」
「...有名でしたよね?確か...」
「『画竜点睛』」
二人同時に倉橋の愛犬の名を言い当てたこともそうだが、何より、彼女のネーミングセンスにもツボがあったようで、二人して暫く笑い続けた。
画竜点睛、「睛」は瞳のこと。寺の壁に竜を描いていたところ、最後に瞳を入れた途端、描かれた竜が中国に飛び去ったという中国の故事からできた四字熟語だ。わずかなことではあるが、それを書き加えることによって作品や物事が完成、成就することのたとえ。彼女曰く「あの子、なんだかポヤンとしてて、ちょっと抜けてるとこがあるのよ。だから、この名前がピッタリだと思って!」と。
「作家って、どこかおかしいところがあるのよね。」
穏やかな表情はそのまま、編集さんは言った。倉橋の話をする時の編集さんは、凄く楽しそうだ。見ているこちらも楽しくなる。
「でも、彼女らしくて良いんじゃないですかね。俺は好きですよ?」
俺は視線をカップに戻し、呟いた。それは誰に対して言ったものではないので、そのままスルーされることを密かに期待していた。
だが、目の前の女性は違った。目を見開き口を少し開け、ぽかんとしていたのだ。
「...それ、自然体で言っているのね。」
その言葉はまるで、以前から俺のことを知っていたようなものだった。俺は驚いて前を向きなおす。俺の訝しむような表情に「しまった!」と言わんばかりの表情。
...何故俺ヲ知ッテイル?
「あぁ、そんな怖い顔しないで下さい?私はただ、あの子に聞いただけですよ。」
怖い顔...してたんだ、俺。気づかなかった。
「す、すみません。俺あまりそういうの好きじゃないんで。」
俺はまた、視線をカップに戻す。コーヒーに写る天井のライトがユラユラと揺れる。
「私の方こそ、知ったような口をきいてごめんなさい。...でも、」
そして、暫く俺達の間には、重たい沈黙が立ち込めていた。俺は編集さんの「でも...」の続きが気になって、その沈黙も気にならなかった。
「...何も言いませんから、言ってください。」
俺が静かにそう促すと、ようやく編集さんは決意を固めた瞳をした。
「貴方のことを話すあの子は、とても幸せそうなんですよ。」
しかし、その眼や声は、とても穏やかなものだった。
文章少し長くなりすみません。次回からはまた視点を六華さんに戻したいと思います。キリのいいところで、キャラクター紹介もつけたいと思います。お楽しみに!