9. 花緑青は目を閉じる
「言おうと思ったんだけど、リアさん白衣意外と似合ってるよ」
「そーかよ。俺は慣れねえな」
いつも黒い服ばっか着てるからな。
足の傷は瞬く間に塞がり、跡形もなくなっていく。治療を終えると湊はホッとしたような表情を浮かべた。
「で、何で私のところに来たの? 逃がしてくれたのはありがたいんだけどさ。探さないって言ってたじゃん」
彼女は俺の横に座り直すと問いかけ、でも爆発に巻き込まれるのは絶対に嫌だった、と続けて零した。
俺はバックから一つの小瓶を取り出す。薬品室で取ってきた、中に錠剤が入っている小瓶だ。湊は俺の手元を覗き込むときょとんとした顔を浮かべる。
「……何それ」
「薬」
小瓶を見たまま俺は答える。
「ううん、それは見れば分かるの。何の薬?」
「てめえを死なすための薬だ」
そう言い、顔を上げて湊を見る。彼女の青い目は見開いてただこちらを見つめていた。
「……。殺しに来たの?」
「あぁ」
絞り出したような声で彼女は問う。俺が頷き返すと、彼女は一度二度視線を泳がせてから、再び俺を見た。
それはどうしたらいいのか分からないと言うような目をしていた。
「そ……っか」
彼女はそうなんだね、と無理に納得しようとするかのように、何度か頷く。
「それもお仕事のうちなんだね」
……別に仕事の内じゃねえよ。俺がしたくてやってんだよ。
その声は震えていた。青い目には涙が溜まり始めていた。
死に対しての恐怖か、それとも別の何かか。それは俺には分からなかった。
「……俺はてめえの望むもんを簡単には与えねえっつったよな」
「うん、うん。もちろん。覚えてるよ」
「てめえが生を望むなら、真逆のものを与えるのが俺だ」
湊はややあってから頷いた。なら死にたい、と言葉を出すことは無かった。
「眠るように死ねるってよ。んな怖がる必要もねえよ」
溜まった涙が彼女の頬に伝うのを見ると、俺はそう呟いて小瓶の蓋を開ける。
「怖いんじゃないよ。リアさんってば分かってないなあ」
明るく彼女は言って大げさに肩をすくめた。
「じゃ何だよ」
確か水も持ってきてたはずだ。バックの中に手を入れると、小さめのボトルに入った水を手探りで探して取り出した。
「……寂しい」
たった一言。その言葉で俺は彼女を見た。一言言うと湊は俯いて肩を震わせる。
「死ぬのは嫌、だよ。生きたい。けど、けどそれでも死ぬのなら、寂しいのは嫌」
声を震わせて彼女は続けた。一度小瓶を横に置くと頭を掻く。やっぱ分からねえ。
「そういうのよく分かんねえんだけど」
「……もうちょっとこっち来て」
すると湊はこちらに手招きをした。仕方なく彼女の言うとおりに体を寄せる。ピッタリと俺の腕と彼女の腕がくっついた。
「……これでいいのかよ」
「うん、うん。大分落ち着く」
「安直なヤツ」
えへへ、と彼女は笑った。子供かよ。
腕に彼女の体温が伝わってくる。小瓶を手に取ると、それを隣に渡した。
「二錠な」
「……あーあ。風邪薬なら良かったのにな」
少し口を尖らせ、肩を落とす湊。そんなちゃちなもんじゃねえよ。残念だったな。
「てめえ風邪ひいてんのか?」
「冗談だよ」
湊は小瓶から二錠取り出し掌でそれを転がした。続けてボトルも手渡すと、彼女はもう片方の手でそれを持った。
しばらく彼女は黙り込む。俺も何も言うことは無いので黙った。施設から出たのに死ぬだなんて、とでも思ってんのか。勝手な憶測をして時間を潰す。すると湊が口を開いた。
「……リアさんの迷惑になりたくないし、飲むね」
抗わず、彼女は静かにそう言った。
嫌だって言わねえのかよ。最後だし言うだろうと思ったのに。
どこまでもどこまでも、彼女は変わっていなかった。
「おう」
「ああでも待って、最後に」
「……名前か?」
夜風が頬を撫でていく。彼女の目を見ると、ハッとしたような目をした後に、ゆっくりとまぶたは閉じられていく。
「よく分かったね」
「うるせえくらいに言ってたからな」
固執する理由は未だに分からないまま。それでもこいつにとってはそこまで大事なもの、なのかもしれない。
「最後だしいいでしょ?」
ボトルのキャップを捻りながら彼女は言う。俺は舌打ちを一つし、彼女の行動をじっと見ていた。
息を吐いた湊は、掌の上の錠剤を口に入れ、ボトルに口をつけて水を飲み込んだ。自然な動作に見えたが、手は細かく震えていた。
「……ねえこれ、即効性?」
「時間はかかるってよ。大体……三十分くらいか」
携帯電話を取り出し時刻を見ながら俺は答える。ボトルのキャップを締めていた彼女は顔を上げてきた。
「えっ? 長くない? そんなに長いの? 今覚悟決めて飲んだのに? 何その三十分て。そんなに時間余っちゃったら……死ぬに死ねないじゃない」
困ったように彼女は笑う。その笑みが強がっているのは見て取れた。
「最後三十分思い出に浸れってことじゃねえの?」
効き目が強いんだから仕方ねえ。全身に行き渡るまで時間がかかるんだ。
「そんな思い出して楽しめるような思い出はあんまりないよ」
「だろうな」
湊はぼーっと空を見上げる。真っ黒で、何も見えない空だった。今日の月はいつもより何だか小さく見える。
「死んだら星になるって本当かな」
満天の星空とか見てみたかったなぁ、と彼女はぼやく。
――それからぽつりぽつりと話す彼女の言葉に、俺は適当に返してやった。小さい頃は空に手が届くと思ってた、とか。曇ってワタアメみたいに食べられると思ったんだよね、とか。それ水蒸気だぞ、と言ったら夢を壊さないで、とジト目で言われたのでその話題に関しては黙ることにした。本当のこと言っただけだろうが。
十分、二十分も経った頃だろうか。湊の声が急にか細く弱々しくなった。
「……眠くなってきたかも」
ボソリと彼女は呟く。その目は確かにうつらうつらし始めていた。
「寝ちまえよ」
「あはは、簡単に言うね。寝たら死ぬって分かってて寝るのは辛いよ」
こつん、と湊は俺の肩に頭をもたれさせた。
「……リアさん」
「んだよ」
「来世は真っ当な職についててね」
何で来世の心配をこいつにされなくちゃならねえんだよ。鼻で笑うと、気が向いたらな、と返してやる。
「……私も普通の女の子がいいな」
顔を覗き込むと、彼女は目を閉じていた。微かに目元に涙が見える。俺は答える。体勢を元に戻して空を見上げた。
「普通の女の子で……普通の人生歩けますように」
静かに手を握られる。……黙って俺も握り返した。
「どこかでまたあなたと会えますように」
小さな願いはか細い声で呟かれる。
「……もうそん時には、お互いのことなんて分かってねえだろ」
来世とか、そういうものは詳しくねえけど、記憶の継承はねえだろうと思う。だからきっとお互いがすれ違っても分からねえままだろう。
「んなすげえ先のこと考えてどーすんだよ」
肩に感じる重みを、手に感じる暖かさを。もう最後になるこの確かなものを噛みしめた。
「そんなことより今は」
既に言葉を発さなくなった彼女を横目で見る。
「……いい夢見ろよ。湊」
――握り返さなくなった彼女の手を、しっかりと握って俺は囁いた。