8. 夜更けの紺は一歩進んで
依頼日当日。夜遅い深夜。
座標が示す建物の中に到達すると裏口を探す。ぐるりと一周しきる前に裏口は簡単に見つかった。ドアの横には個人認証のためのパネルがあった。カモフラージュのためと着させられた白衣のポケットからIDカードを取り出すと、パネルにカードを押し付ける。ガシャンと音が鳴ってドアの鍵が開く音がした。ドアノブを押してドアを手前に引き、中に入る。
白く広い廊下、いくつものドア。辛うじてついている薄暗い電気が床を照らしていた。人の気配はしない。深夜だし当たり前か。
今回この仕事にはいくつか変更点があり――目標を殺した後にこの施設ごと爆破することになったらしい。それほどこの施設が目につけられていたということだろう。ひっそりと隠すよりかは大きくやった方がこの施設と同じようなことをしている者たちに知らしめる一つの脅威となるのかもしれない。同じことをしたらお前らもこうだ、というような具合か。しかしまあ、お偉い方も施設一つ潰すだなんて大きく出てくれたもんだ。
既に研究施設周りには時限爆弾が設置されているらしく、俺も仕事を早く済ませないとならなくなってしまった。もたついて俺まで木っ端微塵だなんて絶対お断りだ。こんなところさっさと出てやる。
ここに来る前に覚えてきた道のり通りに施設を歩き進める。薬品室は案外簡単に見つかった。入ってきた時と同様、カードをドアの横のパネルに押し付けて中に入る。
部屋の中はセンサーがついているのか、俺が入るとすぐに電気がついた。大量の棚に置かれる大量の薬品。瓶詰めのものもあれば箱に詰められているもの、いろいろだった。白衣のポケットに押し込んだ、目的の薬品名を書いた紙を取り出すと、それを見ながらそっと探し始める。
これだけ膨大な数があると探すのにも一苦労だ。こんなところで時間くうわけにもいかねえしさっさと済ませねえと。
「あー……、あったあった。これか」
しばらく探し続けると、小瓶に入った液状のものを棚から見つけ出す。一つ手に取りメモと小瓶を交互に見比べ、確かにあっていることを確認すると、腰につけているバックの中からケース箱を取りだしその箱の中に丁重にしまう。ケース箱をバックに戻すと再び顔を上げて棚を見る。
仕事目当てのものはこれだった。だがあともう一つ欲しい物がある。引き続き棚の中を探していくと、それは箱の中に入っていた。こちらは錠剤のものだ。小瓶に入っているそれを一つ持ち出すと、それはそのまま腰のバックに入れる。
これで用は済んだな。部屋から出る前に、一度シナに携帯電話で通話をかけた。
「あ、もしもーし? どう? 順調に進んでるかしらん?」
ワンコールもしないうちにシナの声が耳に入る。
「薬は手に入れたぞ」
「そ、分かったわ。じゃあ次は暗殺ねん。今薬品室にいるのでしょう?」
「ああ」
「そしたら廊下に出て右に進んで。しばらく行くと階段があるわ。階段上って最上階に目標はいる。そのカードじゃ最上階のドアは開けられないからねん。能力使うなりしてやっちゃって」
お気楽な口調の彼女の声は、この雰囲気に馴染まぬものだった。こっちが仕事中ってことも忘れるくらいだ。
「爆発までの時間は?」
「あと十五分もないかしらねん。あなたなら全然余裕よ」
十五分。相手を殺して引き返すまでには十分だ。
「目標潰したらまた連絡する」
「ええ、待ってるわ」
通話を切り、携帯電話をバックに入れる。ドアを開いて廊下に出ると、彼女が言っていた通り右に曲がって真っ直ぐに進んだ。途中誰ともすれ違わなかった。人が居るのかどうかすら知らねえけど、部屋にこもって研究でもしてるのか?
そのまま突き当たりの階段を上り、何のアクシデントもなく、俺は最上階にたどり着く。なんか呆気なく着いちまったな……。でも早めに片付けられんのはこっちにとって好都合だ。
つけていた手袋をきちんとはめ直すと、最上階にただ一つだけあったドアの前に立つ。
能力で作った円形の影に潜り込み、目を開くと部屋の内部にきちんと侵入ができていた。消毒に使うアルコールの匂いが鼻をつく。嫌な臭いだ。部屋の内部も研究室というような具合でテーブルの上には薬品やら顕微鏡やらが置かれていた。
咄嗟に棚の陰に隠れて様子を伺うと、目標はこちらに背を向けてテーブルに向かっているのが見えた。迷う暇も躊躇う必要もない。すぐさま俺は影で彼の首を絡めとった。
「……っ!?」
息を呑む声が聞こえた。このまま絞殺したら首に痕が残ってしまうかと思ったが、まあどうせ建物ごとドーン、だ。どんな殺し方でも良いだろう。そのまま影を彼の首に強く絞めつけると、四肢は痙攣し始め、やがて動かなくなった。
頃合いかと見て首を絞めていた影を消す。目標はどさりと床に落ちた。年のため近づいて確認すると、確かに息の根は途絶えていた。
これで与えられた仕事はすべて完了。シナに再び連絡を取ろうと携帯電話を取り出して通話をかける。
「はーいもしもし、終わったー?」
先程同様、ワンコールもしないうちに彼女の声が耳に入った。変わらずそれは小学生が友達に「宿題終わったー?」と話しかけるような軽い口調だった。未だにこの温度差の違いに慣れねえ。
「終わったぞ。残り時間はどんくらい――」
言い切る前に、ビーー、というけたたましいサイレン音が部屋中に鳴り響く。は? なんだこの音。辺りを見渡した後、膝をついて足元の遺体をよく観察すれば、遺体の手に何かが握られていた。
「ちょっとちょっと。警報鳴らしちゃった?」
シナの声を聞きつつも俺は手に握られていたものを片手で掴む。それは手のひらサイズで筒状の形をしている機械だった。先端部分にボタンがあるのが分かる。原因はこれか。多分この警報を鳴らすためのスイッチだな。いつの間に手に持っていたんだか。
でも最後まで足掻くやつは嫌いじゃねえ。薄く笑うと機械から手を離し、立ち上がるとそれを思いっきり踏みつけてやった。
「どっちにしろ監視カメラの動きで見られてはしただろ」
「遅かれ早かれって所かしらん?」
「そういうことだな。改めて聞くけどよ、後何分残ってる?」
BGMと処理できないサイレン音はうるさいばかり。必死にシナの声に耳を傾ける。
「あと十分。さー急いで急いでん。……やること全部やって逃げ切るのよ」
「わーってるよ。任せろ」
言葉を返すと通話を終了させ――俺はドアを蹴り飛ばすと一目散に廊下を走り出した。一階分階段を降りたところであちこちのドアから同じような白衣を着た人々が廊下に出ていたのを見て、立ち止まろうとした足を再び動かす。そりゃこんな音鳴ってりゃ廊下に出るよな。ここにいる研究員全員に俺の存在がバレる前にさっさとこんなところから出てやりてえところだが、一つだけやり残したことがある。これは仕事としてじゃなく、俺の目的として。
三階まで降りると、廊下に出てきている白衣に紛れて走り出す。他の研究員たちもパニック状態になっているのか、走っている俺を見ても誰も止めはしない上に、それどころかお互いにどうすればいいと聞きあっているくらいだった。甘えセキュリティ。鼻で多少笑ってやり、とある部屋の前まで来ると足を止めてメモを取り出す。部屋番号は「37010」。メモの番号と一致していた。
少しながら息を切らして、カードを押し当てるとドアを開けて中に入る。
その瞬間――室内のベットで身を起こしていた、一人の少女と目が合った。んだよピンピンしてんじゃねえか。
「よう、ガキ。生きてるか」
まだ少しながら荒い息を落ち着かせつつニヤリと笑って俺は問いかける。ベットの上に座っている、驚いた顔をした湊に向かって。
彼女の体はいくつもの細い管が入っており、ベット横に置かれている機械に繋がっていた。部屋自体も実に簡粗……と言えばまだ聞こえはいいか。むしろ何も無い。ベットと機械が置いてあるくらいで他には何も置いてなかった。
湊は口をパクパクと動かしてから言葉を発した。
「リ、アさん……!? どうしてここに……!? だって、だって私が居なくなっても探さないって」
「時間がねえ。逃げるぞ」
彼女の言葉を遮って俺は言う。グダグダしてると間に合わねえ。ベットに歩み寄りよく彼女の顔を見てみれば、どこか疲れたような顔をしていた。それでもその目はこちらを見上げている。驚きと、微かに嬉しそうな色を浮かべて。
ハッと我に返った様子を見せると彼女は自分の体に取り付けられている管を抜こうと動き始める。
「ごめんリアさん手伝って」
一人じゃ時間がかかると思ったのだろう。俺にそう言いつつも彼女は手を動かす。俺も反対側に回って別の管を取り外し始めた。
「んだよこの量。病院でもこんな量受けねえだろ」
細い体に幾重にも繋がる管。何を入れられているのかは知らねえし、管の数の「普通」なんて分からねえけど、素人の俺でさえこれは異常だと感じる。
「リアさん入院したことあるの?」
「ねえよ。病院にすら行ったことねえ」
「か、風邪ひいた時とかどうするの!?」
「気力で治す」
「なにそれすごい」
適当な俺の返事に湊は間髪入れずに返してくる。
正しくは「行ったところで処置を受けられない」だけれども。まあいいだろう。
「全部外れたか?」
「うん、外した」
こちら側の管を全て外し終えると、ちょうど湊も手をつけていた管を全て外したところだった。返事を聞くと頷いて携帯電話を取り出して見る。
時間はあと五分も残されていなかった。
「あと五分か……。走れるか?」
「え、あ、うん。多分」
ベットから立ち上がった湊は履いたスリッパを脱いだ。素足で走る気かよ。……確かにスリッパだと走りにくいか。
そのまま俺がドアに向かうと、彼女は裸足のままペチペチと音を鳴らして後をついてくる。
「っていうかさ、いろいろ聞きたいことがあるんだけどまず何でリアさん白衣着てるの? このサイレン音は何? 何が起こってるの?」
「身体粉々にぶっ放されたくなかったら大人しくついてこい」
説明してる暇もねえんだよ。
「よく分かんないけどとりあえずマズイって事はよく分かったよ」
よーし、と湊は着ている簡易的な病院服の紐を結び直した。まるでこれからかけっこをする子供のような気合の入れ方だった。
そっとドアを開けて廊下の左右を見渡した。幸い人は皆退避したのか誰ひとりとして居ない。確認をしてから大きくドアを開け、湊を廊下に出す。
「外に出るんでしょ」
「一階まで行ければこっちの勝ちだ」
階段に向かって走り始め、湊も俺のあとをついて走ってきた。その途中で俺は彼女に問いかける。
「一応念の為聞くけどよ、裏道とか簡単に外に出れる方法ねえの?」
「わっかんない。この施設の廊下初めて歩くの。窓からは出れないよ。何か加工してあるみたいで簡単に割れないから。リアさんについてくね」
「ちゃんとついてこいよ」
馬鹿正直にまた裏口の方に向かうしかねえか。それでも階段を降りて廊下を走れば裏口なんてすぐそこだ。湊のことを気にしつつ、階段を降りて二階に降りたところだった。
「居たぞ!!」
廊下から複数人の足音とともに声が響いてくる。その方角を見ると、何人かの白衣がこちらに向かって走ってきていた。
うわめんどくせえ。マジかよ。俺一人なら何とかなるが、今は隣に湊がいる。無理な動きはできないし迎え撃つ時間もねえ。さっさと逃げるか。
「ッチ、おいガキ」
「え、何……っわぁ!?」
湊を呼ぶと俺はしゃがんでから彼女の足と背中に手を回してから立ち上がる。俗に言うあれだ、お姫様抱っこってやつだ。素っ頓狂な声を上げて驚く彼女は、予想以上に軽かった。
「暴れたら手ぇ離すからな!!」
そんな湊をよそに俺はそう言い、彼女を抱きかかえたまま、階段を駆け下りる。一階に降りて直線の廊下を一気に走っていく。
後ろでドタドタと足音が聞こえた。背後を振り返ろうとも思わなかった。角を曲がり、次の角を曲がれば裏口だ。よしいける。必死に足を動かしていた時だった。
バン、と。一つの乾いた銃声と、抱えている湊の小さな悲鳴が聞こえた。
「――ッリアさん!!」
俺を呼ぶ声が耳に入り、同時に足のふくらはぎが熱く感じる。それはすぐに鋭い痛みに変化した。――撃たれた。そう自覚した瞬間、痛みは更に激しいものへと変わっていく。
「っあ……ッ」
やべ……っ。大きくふらついた。それでも更に撃たれたらまずいどころの話じゃねえ。咄嗟に自分の影で通路を塞ぐくらいの巨大な壁を背後に作る。設置した瞬間、銃声音は数を増やして耳に飛び込んできた。
これで逃げ切るまでの時間は稼げるだろう。体勢を持ちこたえると、再び裏口に向かって足を動かした。痛みはひどい。けれど立ち止まってる暇はない。
「待ってダメ。動いちゃダメ!! 治すから、今治すから、一度降ろして!!」
足を動かした俺に、湊はすぐに俺のシャツを握りしめて叫んだ。暴れたら手を離すと言った為か暴れずに律儀に口だけで訴えてきた。
「は……、うるせえよ。っ、時間ねえんだよ。治すのなんて、後ででいい。そんなこと言ってる暇があんならよ、痛みだけでも抑えてろよ」
切れ切れと言うと、湊はそれでも何か言いたそうな顔をしてから、俺の身体に更に身を寄せてくる。すると身体が段々と暖かくなってきた。同時に痛みも心なしか弱くなってきたように感じてくる。これならいけそうだ。
息を一度深く吐き、スピードを徐々に上げていく。角を曲がり、見えた先の裏口で能力を使って影に溶け込み、外に出た。それでもまだ安心はできない。また同じように能力を使って建物から距離を離す。
ある程度の距離を置くと、路地の一角に入り、湊を地面に下ろした。その流れで俺は地面に腰を下ろす。緊張の糸がプツンと音を立てて切れた気がした。
「すぐに治すから――」
湊は地面に膝をついて、暗い中で俺の足に触れる。ちょうどその時、俺達の後ろの方で爆発音が響いた。
驚いた湊が通りに出る。腰のバックが振動しているのに気が付いた俺は、着信でバイブを鳴らす携帯電話を取り出して応答する。
「ご苦労さま。無事脱出できた?」
「何とかな」
「それは何より。一緒に吹っ飛んじゃったのかと思ったわよん」
電話の向こう側のシナが息を吐く音が聞こえた。なわけねえだろ。吹っ飛ぶなんてお断りだ。
それにしても十分に距離を置いたというのにこの音。やべえだろ。一体どんくらいの爆弾積んだんだ?
「派手にやりやがったな」
「私も今映像で見てるんだけどこれはすごいわねえ」
なんて話をしていると、湊が呆然とした顔のまま戻ってくる。俺が通話中だと分かると湊は研究施設があった方角を指差し、「あれリアさんがやったの?」と言わんばかりに首をかしげて見せた。変な顔。適当に一つ頷くと、彼女はぎょっとした顔をして、うわぁあ……と声を出した。
「じゃあ仕事はそれでおしまいねん。また連絡してちょうだいな」
「ああ」
プツリと通話が切れる。壁によりかかり、息を吐くと湊が寄って治療をし始めた。