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6. 透明の雫

「――ちょっと、聞いてるのん? 時間はないのよ。指示に従って動いて」

「わーってるよ。うるせえな。ちゃんと聞いてるっての」

 巨大モニターとキーボードの前で、俺は耳に通信用の携帯電話を肩で押し当てつつ両手を動かしていた。電話の向こうのシナは先程から俺に指示を出している。俺はその通りに手をキーボードの上に走らせていた。

「ボックスは?」

「全部消した。後は……ッチ、なんだこれ。ロックかかってんな」

「それ、さっきのパスで入れないかしらん」

「無理だな。ってか同じパスで入れたらセキュリティ弱すぎじゃねえか。探すしかねえか……」

「……今度ハッキング技術も覚えてもらおうかしら」

 こいつは俺のことを好きに使う節がある。ハッキングくらいてめえ出来んだろうが。何でもかんでも押し付けんなっての。

「てめえ人を良いように使ってんじゃねえよ」

 今の作業だって慣れてないことで時間がかかっている。誰かが来る前に急いで片付けなければいけない。電話口にイラッとして返し、モニターを見上げて進行度を確かめる。あとやることは片手で数える程度になっていた。

「あらいいじゃない。暗殺に偵察に情報処理までできたらあなたもう完璧よ? その上誰にも分からないまま好き勝手動ける。能力的にも――存在的にも」

「そりゃそーだろうな。何だって戸籍がねえんだからよ」

「それがいいんじゃないのー。誰もあなたが誰かなんて知らないんだから」

 俺みたいなヤツは他にもたくさんいる。社会的に存在してない俺らは言わば捨て駒だった。いくらでも代えは存在して、汚い仕事を受け続ける……気に入らねえがこの表現が一番合っているんだとよ。

「その上仕事もできるってなったらもうそりゃ使うわよ。好きなように。思う存分?」

「……報酬倍にしろ」

「あらーそれはちょっと無理ねえ」

 何でだよ。好きなことにしょっちゅう使われてんだし少し跳ね上がってもいいんじゃねえの。あれか、これがブラックなんとかってやつか。

 クスクスと楽しそうに笑うシナの声が聞こえる。チッ、と舌打ちを返せば作業を続けた。5分と経たないうちにやるべき事はすべて終了する。

「終わったぞ」

「ご苦労さま。じゃ、気をつけて帰ってきてねん」

 キーボードから手を離し、そして携帯電話を取ると通話を切った。

「やることきちんとやった上によぉ」

 息を吐いて後ろを振り返りため息を一つこぼす。

「……全員殺したってのに報酬倍にならねえなんて納得いかねえなあ」

 こんなことしなくても、こいつらはどっちみち死んでただろうけどな。

 俺の目の前には、たくさんの人間だったものたちが赤い色を伴って地に伏していた。





 外に出るともうとっくに日は沈んでいた。仕事に出かけたのが昼過ぎだったから、大分長い時間あそこにいたことになる。能力の影を使い廃ビルの前まで帰ってくる。中に入ると階段を上って二階の拠点としている部屋に入った。

「あ、おかえりー」

 見るとちょこんと床に座って湊は内職を続けていた。

 昨日の夜あれだけ叫ばしたのに出ていくつもりはないってか……。マジかよ。

 平然とした表情で作業を続ける彼女にはこっちが呆気に取られてしまう。頭をがしがしと掻くと、俺は手袋を外し上着を脱いでからソファに座った。

「ダメだよ、服はちゃんと畳まなきゃ」

「うるせえな。ほっとけ」

 ジト目で注意してくる湊を睨み返すと、息を吐いてそのまま寝転がろうとする、が。

「――リアさん待って。怪我してる」

「あ?」

「腕。真っ赤だよ」

 彼女の静止を促す言葉で動きが止まった。ソファに座り直して自分の体を見てみると、確かに腕に傷を負っていた。あー、仕事先で派手に暴れた時に作っちまったらしい。さっさと帰りたいという気持ちが高ぶって全然気が付かなかった。

「ちょっと見せて」

 気が付くと湊は俺のすぐ近くまで寄ってきていた。いつもとは違う、真剣味のある口調で彼女は言う。

「んだよ。別にこんくらいどうってことねえって」

 手の甲に向かって伸びる一本の傷は、痛みはあまり感じない。ザックリと深々と負った感じもしないし、放っておいてもきっと治る。というか今までも重傷を負わない限りはそうしてきた。別に何かを気にする必要はねえ。

「ダメだよ。バイ菌入っちゃったらどうするの」

 しかし彼女は一向に俺の言葉を聞こうとしない。そしてむすっとした表情になると腕を組む。

「てめえはどこの医者だよ……」

 顔に出すぎなんだよ。何でそんな不満そうにしてんだ。

「いいから見せる、ほら!!」

 彼女はもう待てないとばかりに俺の腕を引っ張った。

「てめっ何して」

「うわ、これほっといたら大変だよ!! リアさんこういうのはちゃんとしなきゃ!!」

「だから別にどうってことねえって――」

 ああもううるせえ。うんざりして俺が返し切る前に、彼女はもう片方の手でその傷に触れる。軽くこちらに痛みが走り、そして次に傷を受けた部分が徐々に暖かくなって来るのを感じた。

 すると同時に傷も徐々に塞がり、ゆっくりと治っていく。最終的には腕には傷の跡形もなくなっていた。

「はい、終わり」

 彼女がパッと俺の手を離す。俺はまじまじと腕を見た。元々そこに傷があっただなんて分からないくらいだ。てっきりこの力はこいつ自身にしか使えねえのかと思ってたが――。

「……てめえ他人の傷も治せるのか」

 問いかけると、治せるよ? と彼女は答える。

「リアさんも死なずに私と会えたら治してあげられるからね」

「何だそりゃ。調子乗ってんじゃねえぞ。第一んな重傷負うかっての」

 俺のことをなんだと思ってんだか。湊は俺の言葉に笑いを見せた。

「あはは。そうだね。リアさん何あっても死ななそうだもん」

 何とかして生き延びてそう、と彼女は言う。変わらぬ笑みで、明るい声色で。

 ――どうしてそんなにヘラヘラできるんだよ。

 苦しめた張本人の傷を治して、尚笑みを見せられるのかが分からねえ。普通なら恐怖するものじゃねえのか?

「てめえ何でそんなヘラヘラできんだ?」

 考えたって分からない。単刀直入で聞くことにした。

「え? あ、えーと。何でだろね」

 湊はキョトンとした後に、目を瞬かせて首をかしげてみせた。分かってねえのかよ、おい。

「普通傷つけた相手の傷なんて治さねえだろうが」

「じゃ私きっと普通じゃないんだね」

 開き直ったように湊は言った。何でそうなる。

「そういうことを聞きてえわけじゃねえんだよ」

 チッ、と舌打ちをすると、湊は一泊置いた後に口を開いた。

「……リアさんは私を人間扱いしてくれるから」

 ……は?

 顔を上げると彼女はどこか照れたように、それでも優しく微笑んでいた。

「昨日のあれもすごい辛かったけどね。でもそれ以上に嬉しいんだ。道具じゃなくて人間として居られる。私それがすごい嬉しい」

 青い目は笑う。そして、続ける。

「あなたは私を傷付けるけど道具としては使わないもの。怖いものは怖いし、痛いのは痛いけど。でもリアさん――私を殺そうとはしないよね」

 彼女の手が頬に触れる。誰かにこうして触れられるなんて初めてだった。

「昨日もそう。その前だって。いくら傷付けてもあなたはトドメを刺さない。あなたにとって殺すなんてことはきっと簡単なこと。私、それが不思議で仕方ないんだ」

 湊は儚げに笑うとゆっくりと問いかけてきた。

「どうして私を殺さないの?」

 ……そんなの。そんなのただ。

 ただ、目の前の彼女の苦しむ様を見たい、ただそれだけだ。

 殺してしまうのは一瞬だ。けどそんなのつまらねえ。殺さなければいくらでも苦しむ様は見られる。それに、だ。

「……その目を俺の手で歪ませるって決めたからだ」

 昨日の一件で完全に歪みきらなかったその目を。気に入らねえ青い目を。何としてでも歪ましてやりたかった。

 真っ直ぐに目を見て言ってやると、湊は驚いた顔をした後に、変なの、と呟いた。

「そんなに気に入らない?」

「クソ気に入らねえ。っつーか逆にまだ分かんねえのか?」

 鼻で笑ってやる。湊の反応を見る前に俺は口を開いた。

「俺はてめえの苦しむところが見てえんだよ。てめえが死にてえって言っても絶対に死なせてやらねえ。望むもんを簡単に渡すわけねえだろ」

 ややあって、湊はぷっと軽く吹き出してから、必死に声を殺して笑い出す。は? 何笑ってんだこいつ。ついに頭のネジ二、三本外れたか? いやこいつの場合元から三本くらい外れてそうだ。

「っはー、ごめんごめん。ううん違うの。おかしいとかそういうのじゃなくてね。リアさんってばやることは歪んでるけど真っ直ぐだなって思って」

「はあ?」

 ……俺をそんな風に言うなんてマジで頭イカれてるんじゃねえの?

「決めたことに真っ直ぐなんだね」

 笑いを抑え、顔を上げる湊。

「そういうの嫌いじゃないな。ううん、どっちかっていうと好きかも」

 彼女は、そのままもう片方の腕をこちらに伸ばして――俺の首の後ろに回すと、ぎゅうと抱きついてきた。

 ……待った何でこうなってんだ。え? 一瞬、頭の中が驚きで真っ白になる。

「何、してんだよ」

「抱きついてる。あ、体勢キツいんで上に乗らせてもらうね」

「は? おいやめろ何も言ってねえだろーがよッ!!」

 なんとも自然な動きで湊は俺の上に乗っかってきた。子コアラが親コアラに抱きつくような形になる。

 ッチ何でこんなことに。くそ。

「離れろ」

「やだー。そう言うのなら突き飛ばせばいいじゃん」

 えへへーといつになく甘えた声を出す湊。自分の顔のすぐ近くに彼女の頭があった。心臓の鼓動が嫌でも伝わってくる。なんだよ。なんだよこれ。どういうことなんだよ。自分から傷つきにきてんのか? それともなんだ、ナメてんのかよ。背中ぶっ刺してやろうか。ああもう、イライラする。癪に障る……!!

「てめえ調子乗ってっと本気で」

「怒っていいよ」

 湊は俺の首から手を離すと、代わりに俺のシャツを掴んだ。

「……怒っていいよ。私の背中刺してもいいよ」

 思ってたことを先に言われた。こつん、と彼女は俺の胸板に頭を寄せる。

「あなたの目に私が映るならそれでもいい」

 その言葉は彼女らしくない、寂しげで悲しげなものだった。……何だよそれ。意味が分からねえ。

 彼女の頭から目を逸らして、窓の外を見る。やけに、やけに月明かりが部屋に差し込んでいた。

「リアさん」

「んだよ」

「……名前を呼んで」

 一瞬の静寂が訪れる。

 昨日も言っていたことだった。しかし面としてこう言われたのは初めてだった。どうしてこうもそれにこだわるんだ。固執してるんだ。……ああでもそれは、きっと俺も同じか。

「……うるせえよ」

 ボソリと返す。湊は、そっか、と、今にも泣きそうな声で言ってからは、その場から動こうとはしなかった。





 それからたった2日後のことだった。

 ――湊が、俺の前から姿を消した。

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