3. 掴みにくくなるパレットを
カーテンなんて代物はここにはない。太陽の光がこちらに直撃したおかげで目を覚ました。
起き上がると頭を左右に振る。そしてちらりと、湊のことを視界に入れた。
「……おい」
声をかけても彼女は動かなかった。……死んだか。頭を掻いて立ち上がり近付いてみると、首元の傷は既になくなっていた。規則正しい呼吸と共に肩は上下に揺れている。
「生きてんのかよ」
てっきり死んだとばかり。はあ、とため息をつくと足で何度かつついてみる。
「んぅ……」
微かに声が漏れるくらいだった。今気がついたが一般的に言うのであればこの状況は「監禁」ってやつなんじゃ。いや、彼女から入ってきたし俺は悪くねえ。断固として悪くねえ。
「クソが」
もう一回、今度は彼女の足を力を入れて蹴る。考えるとイライラしてきた。今すぐにでもこいつの歪んだ顔を見ないと気が済まなさそうだ。
「ったあ……!? な、なになに。え、朝? ってやめて蹴り続けないでっ」
無言で彼女の足を蹴り続ける。湊は目を覚ますと、痛い痛いと声を上げた。
「目覚ましの合図がこれだなんて酷いと思うんだけど。おはようリアさん」
不機嫌そうな顔をしてはこちらに声をかけてきた。不機嫌な顔をしたいのはこっちの方だっての。
「ピンピンしてんじゃねえかよ。死にかけた感覚はどうだ?」
ニヤリと笑えば問いかける。湊は不機嫌そうな顔を一層苦々しいものと変えて答えた。
「最悪。夢に出てきそう」
「ハッ。そりゃあ良かった。悪夢なら他にもいろいろ見せてやるよ」
期待通りの返事だった。なら次はそれを精神的なダメージのために使ってやろう。まだまだ苦しめられそうだ。
「え、夢とか操れるの? なら私ふかふかの毛布にくるまってごろごろする夢見たい」
ふかふかの毛布って……いやまあ、それもできねえことはねえんだけど。にしては大分軽い夢だな。もっと大きなものを見たいとは思わねえのか。
「トゲトゲの毛布にくるまってジタバタする夢?」
「違ーう。何であなたは何でもかんでも苦しい方にもっていくの」
「あいにく素直にてめえの望むもんを見せたいとは思わねえからな」
「リアさんの意地悪。った痛い痛い足踏まないで!!」
靴の裏でぐりぐりと彼女の足を踏んづけてから、俺はポケットの中の時計で時刻を確認する。とっくのとうに十一時を回っていたところだった。
今日はいろいろとやらなきゃいけないことが多い。意地悪ーと未だにぼそぼそ言う湊をよそに、ソファに戻るとその横にあるバックを手に取った。保冷バッグから一本紙パックのジュースを取り出すとストローをさして飲みながら部屋の出口に向かう。
「えっ、ちょ、ちょっと待って待ってどこ行くの?」
戸惑った声を出す彼女の方を振り向いて動きを止めた。
「あ? 用事済ませに街にだよ。ついでにシャワーも浴びる」
公共の施設のシャワーを借りて毎回済ませていた。が、それはすぐに失言だったと気が付く。その単語を聞いた瞬間湊の目が見開いた。
「シャワー!? 何それ私も浴びたい連れてって!!」
そういや女子ってこういうことに気を使うんだっけか。すっかり忘れていた。
「てめえ狙われてんじゃねえのかよ……」
「変装すれば大丈夫。あなたの言う通りにするし勝手にどこか行ったりもしないから」
「金はどーすんだ」
「えーとポケットの中にいくらか残ってたかと思う。ね、お願い。それともあなた女の子を監禁する趣味でもあるの?」
じーっと湊はこちらを見る。その目が連れてけと訴えていた。
このまま放置してこうと思ったが、そうしたらまたうるさくぎゃーぎゃー騒ぐだろう。それにこちらが監禁だのどうの言われるのは嫌だ。多分彼女からこちらに何かしてくることは……ねえな。させもしねえ。
ため息をこぼして俺は彼女のそばに行くと、縛っていた紐に手を触れた。紐は俺に触れられると姿を消す。途端に身動きが取れるようになった彼女はパッと顔を輝かせて起き上がった。
「うわ、腰痛い。もうずっとこの体勢で居たからだよ。手首にも紐のあとくっきりだし」
ふらふらと立ち上がりながら湊は腰をさすり、その後手首を見てうっわーと驚いた声を出した。
「文句言うならまた縛り上げて放置するぞ」
「何でもないですごめんなさい」
彼女を睨みつけると湊は早口で謝罪する。さっき変装するとか言ってたが、見た目手ぶらの彼女にそんな技術はなさそうに見える。一体どうするつもりだ?
「ねぇリアさん。ちょっとお願いが」
「んだよ。てめえ願いが多いぞ」
図々しいというか、警戒心が無いというか。うんざりして俺は返した。
「服が汚れてて気持ち悪いので何か貸してくれます? 変装も兼ねて」
湊は両手を合わせてお願い!! と言ってくる。もう嫌悪やら何やらを通り越して呆れの感情しか出てこなかった。でも街中で追いかけ回されるのも勘弁だ。仕方ねえ。――何だかさっきから仕方なく動いてることが多い気がする。
「変なことしやがったらすぐさま真っ裸にするからな」
「それは私が警察に捕まっちゃっ、わっ、びっくりした。すごいね!!」
片手の指を鳴らすと、地面の湊の影が蠢き、彼女の服にまとわりつく。驚いた彼女が瞬きをした瞬間、影は消え服は黒いロングパーカーと化していた。湊は驚いた表情を見せた後に、感嘆の声を上げて喜んだ。
ついでに彼女の頭をがっしりとホールドし、手を離すと黒いキャップが頭の上に乗る。まあこれでどうにかなるだろ。
「え、わ、ありがと、でも私UFOキャッチャーの景品じゃないよ?」
キャップをかぶり直しつつ湊は言う。掴み方に不服があるようだった。
「あ? 掴んでダストボックスに突っ込んてやろうか」
「掴めるの!? いやそこじゃない突っ込まないで!!」
いちいちうるせえヤツ。舌打ちをしてから、部屋のドアを開けて廊下に出た。後ろから湊も着いてくる。
「昨日みたいにワープ使うの?」
「まあな」
廊下を進み、一番影ができてるところまで行くと湊に手招きをする。足取り軽く彼女はこちらの方にやってきた。
「言っとくが、てめえがはぐれて捕まろうが俺には関係ねえ。探さねえからな」
「分かってる。だってリアさん、私のお願い聞いてくれたわけじゃないもんね」
なんてこと無いと言うように湊は平然と言う。
側において欲しい。確かにそれを許可した訳でもない。そしてこれから許可するつもりもねえ。面と向かってそんなこと御免だと言えば一発だ。だけど彼女は死なない限り自己再生で生き続けられる力を持つ。その力に興味がわいていた。どこまでそれが効くのか試してみたい気分だった。
すると湊はにやりと笑って俺の顔を覗き込む。
「サドスティックな性格してるしさー、きっとめちゃくちゃに虐めたいとか思ってるんでしょ」
「だとしたらどうすんだ」
「別に? そのくらいなら全然平気。あなたの側を離れるつもりは無いよ」
つまりいくら傷付けられても動くつもりは無い、と。……なんだこいつ。
出会ってまだ一日足らず。それでも彼女がこちらの調子を崩してくることはもう十分に分かってきた。
「ッチ。物好きめ」
「へへー褒められちゃったー」
「褒めてねえよ」
既に狂い始めているペースを更に乱される気がする。それがとても気に食わなくて、ぺちんと彼女の額にデコピンを一発かました。いたっ、と声を上げて額を押さえる湊を見てから足元に黒い穴を形成し、その穴に身を溶かした。
街に移動し、シャワーを済ませた俺は施設の出入口で湊のことを待っていた。未だ濡れてる髪の毛をタオルでわしゃわしゃと拭きつつも、ちょっと先にある賑やかな大通りを遠目で眺める。
「あらーこんにちは。久しぶりねえ、元気してたー?」
のんびりとした口調とともにこちらにやってきたのは一人の女性。黄色いタレ目にウェーブのかかった髪型が特徴的だった。
「あー、シャワー浴びに来たのね。ついでにあなたにピッタリなお仕事が二、三件入ってるんだけどどーかしらん?」
ウインクを飛ばしてくる彼女、シナの視線を軽く受け流しつつ、仕事という言葉に手を止めた。シナを見ると彼女はクスリと妖しげに笑う。
「興味ある感じかしらん。ふふふ、あなたにとっては容易いものよ」
そろそろ何か受けないと金銭的にもマズイところだった。ちょうどいいか。
「どんな内容だ」
内容も知らずに引き受けるなんて言えない。タオルを頭から離して問いかける。
「一つは偵察、もう一つはあれ。でもどっちも依頼主は同じなのよ。何でも、お偉い方の不安要素を排除して欲しいってことらしいの」
あれ、という言葉で彼女は自分の首を親指で横に斬る動作をした。……殺せってことだろう。
「逆らってくるかもしれないっていうのが怖いんじゃないかしらん」
「そんなやつらを力でしか止められねえなんてお偉い方も腐ってんな」
「まあそういう人たちじゃない。汚い仕事なんてぜーんぶあたし達に回すんだから。まあいいけどねん」
報酬は良いし? と悪戯げにシナは笑ってみせる。それを見た俺も皮肉げに笑った。
「金で動くなんて汚ねえ女」
「あらーあなたに言われたくないわよー。で、どうするのん。受ける?」
偵察なんてあまりガラでもなかった。けれど仕事を選べる立場でもない。
じわじわと殺せねえのは面白くねえけどこっちも生きるためだ。
「いいぜ。やってやるよ」
「じゃ、決まりねん」
ぱちん、と両手を合わせる相手を見て頷いた。すると俺の横にある施設の出入口が大きく開く。
「ただいまっ。遅くなってごめん」
既に髪もドライヤーで乾かしたのか、キャップを被った湊が出てくる。
「遅ぇよ。何分待ったと思ってんだ」
「その間に髪の毛乾かせたでしょー?」
こちらの言葉をさらりとかわした湊はシナの方に気が付いたのか、さっと俺の後ろに身を隠した。
誰か分からない奴を警戒する心がけはきちんとしているのだろう。じゃあ何で俺の事は警戒しねえんだ。こいつほんと馬鹿なのかもしれねえ。
「……あら? あらあらあらー? ちょっとーこれは聞いてないわよー。いつの間に彼女なんて作ったのかしら。あなたこういうの一切興味ないというか嫌いな方じゃなかったー?」
しかしシナは湊のことを見逃さなかったらしい。黄色の瞳を興味津々に輝かせながら俺に近寄ってくる。と、同時に背後の湊は俺のシャツを両手で握りしめているのか何だか後ろに引っ張られてる感じがした。
「うるせえ。そんなんじゃねえよ」
「あらぁそうなの。ざーんねん」
舌打ち混じりにそう返せば、シナは大人しく引き下がった。こいつにしては珍しい、呆気ない引き下がり方だった。
「じゃ、私はもう行くわねん。帰り際に寄ってちょうだいな。その時までに準備しておくわ」
軽々と彼女は手を振ると、こちらに背を向けて去っていく。完全に彼女の姿が見えなくなってから湊は俺の横に出た。
「あの人誰? リアさんの知り合い?」
シナが通っていった道をずっと見ながら湊は俺に問いかける。
「仕事を紹介してくれる奴だ」
「リアさん仕事するの!?」
「当たり前だろ金どうやって稼いでると思ってんだよ」
どうやらニートだと思われていたらしい。金ねえと生きていけねえじゃねえかよ。馬鹿言え、と彼女を睨みつけた。
「ふぅん……あ、仕事を紹介してくれるって事は、私でも頼んだら何か紹介してくれるかな?」
「は?」
仕事と言えども真っ当なものなんて全くない。それを知らぬが故の期待を込めた湊の言い方に俺は間抜けな声で聞き返してしまった。
「『働かざるもの食うべからず』、でしょ?」
ニッと笑う彼女に、俺は視線を逸らして考えを巡らせる。シナがこんなガキに真っ当な仕事を紹介するとは思えなかった。かといって、湊は大方こちらが面倒を見ないことも分かった上で言っているんだろう。こいつ入り浸る気満々だぞ。
「ねっ、私お腹空いちゃった。何か食べに行かない?」
「てめえ今さっき働かざるもの食うべからずっつったばっかじゃねえか」
「まだお金は残ってるもん」
黒いキャップの合間から見える青がこちらを向く。その青を見返す前に、俺は歩き出した。パタパタと後ろから着いてくる音が聞こえる。
「……馬鹿みてえ」
ふと口に出た言葉は自分自身に対してか、それとも後ろの湊に対してか。
それは自分でもよく分からなかった。