2. 恐怖の黒と弾ける赤
「もう一度問おうじゃねえの。てめえ頭大丈夫か?」
「頭は平気。正常だよ」
「そうか、なら質問を変えるか。……てめえ正真正銘の馬鹿だろ」
「それ質問じゃなくなってる!! 確定事項みたいになってるよ!!」
廃ビルの中、部屋の一角で、俺は少女の手足を縛って床に放置していた。俺はボロボロのソファの上に座って、膝に頬杖をついて彼女を見る。
「ねーそろそろこれ痛い。外してくれない?」
「却下だ。中に入れただけでもありがたく思えよガキ」
もぞもぞと動く少女を見下しつつそう言い捨てる。すると少女はがっと顔をこちらに向けた。
「私の名前は天羽湊!! てめえでもなければガキでもないよ、あなたと同じくらいなんだから!! 多分一つか二つあなたの方が年上くらいで!!」
「あーそうかいガキ。うるせえ。喉元引っ掻くぞ」
「わーわー待ってーいくら再生できても痛みはきちんと感じるの!!」
ジト目で言い放つと変わらず少女、湊は不自由な足と手を動かそうとしてもぞもぞとしながら言い返してきた。
「っつーか今何時だと思ってんだ」
「夜の……何時?」
「深夜二時。俺は寝る」
ソファに横になると彼女に背を向ける形になった。こっちは疲れてんだ。さっさと寝てえ。
「……はぁい。え? えっ待ってこの紐解いてくれないの!?」
一度大人しくなった彼女だが、すぐにまた声を上げた。ああくそ。うるせえんだよ。
「うるせえっつてんの聞こえねえのかよ」
「解いてくれたら大人しくします」
「いきなり側に置いてくれなんて言ってきた正体不明のガキを野放しにすると思ってんのか」
「でも中に入れてくれたじゃない」
「あのまま放っておいてもてめえ中に入り込むだろ」
「だってここ鍵ついてないんだもの」
何だこいつ。刺してきた本人を前にして何でこんなに明るく接してこれるんだ? 訳が分からねえ。
「あ、じゃあ私のことを話したら安心してくれる?」
そんな安直なことあるわけねえのに。その質問には答えなかった。
「えっとねー、私こんな能力でしょ。だからいろんなところから狙われてるわけ。非人道的な実験の道具にしたいみたいなの。だって死なない限り壊れても治せるんだもの」
と、答えなくても勝手に話し始めた湊。遮る必要もなかったので黙り続けることにした。
確かに彼女の言う通りだ。実験体としては喉から手が出るほどの価値がある。それほど自己再生能力の価値も高いってわけだ。
「だから考えたんだ。どうやって上手く逃げられるかって。そしたら思い付いたの。強い人の側に居たらうまくやり過ごせるんじゃないかなーって」
……おい待て。その言葉だとハナから俺を狙っていたかのように聞こえるぞ。
「いろんなところを回ってどの人が一番強いかなーって見て回ってたの。今日もたまたまあの路地の前を通ったところにあなたがいたからびっくりしちゃった。あれだけの人を倒して平然と歩いていこうとしてるんだもの。倒れた人を見て息を呑んだのも、演技でも何でもなかったの」
なるほど、狙っていたわけではなく偶然たまたまってことか。とまあこの言葉を簡単に信じられるわけでもねえんだが。
息を呑んだのは演技ではない。っつーことは、だ。
「その後傷付けられても能力を使わなかった。あれはワザとか」
腹部を刺した直後、能力を使って傷を塞ぐことも出来たはずだ。なのにそれを彼女はしなかった。それどころか、無抵抗で苦しむ様を晒し続けた。
「え、あ……。えーと、うん。それはわざと。でも本当に痛かったの!! 血はダラダラ出るしあなたは容赦なく蹴り飛ばしてくるし!!」
口を開いた俺に驚いたのか、一瞬間を置いてから彼女は答える。
「最初っからついてくる気満々だったんじゃねえかよ。ドMが」
「Mじゃない!! 痛いのは本当に嫌いなの。でも我慢するしか私は生きる道を見つけられない。一瞬の痛みで生きられるなら我慢できるよ」
俺は寝返りをうって湊の方を見る。彼女はじっとこちらを見たままだった。
「……どーにもな。俺はその青い目が気に入らねえ」
ボソリと呟いた。青という色自体が好きでは無かった。青い目に水色の髪の毛をしたアイツが嫌でも頭に蘇ってくるから。
「青嫌いなの?」
「好きになれねえんだよ。見ててむしゃくしゃする」
かつて自分の表として立っていた彼女は今どこで何をしているのだろうか。そんなこと、俺に知る術もなかった。
「そっかーそれは残念。目の色はどうにもならないからねー。あ、ところで名前を聞いてもいい?」
俺は起き上がるとしばらく彼女を見る。その後にゆっくり立ち上がって、港の方へ歩きつつ、名前を告げる。
「……リア」
英語のrearから取ったものだ。それは後ろ、という意味を持つ。裏でもなく影でもなく後ろに――そう言ってついた名前だった。
湊はきょとんとしてから、パッと顔を輝かせて言う。
「リア? へー、綺麗な名前ね」
「綺麗、ね」
鼻で笑った。……今となってはもう意味も持たないのにな。しかし名乗る名などこの名前以外にない。自分で自分の名前を決めるのも、誰かから再び決められるとしても、名前というもので自分を縛ってしまう気がして嫌だった。
「で、えーとリアさん。あなたはいつからこんな場所に住んでるの?」
「さあな。気が付いたらここにいた」
湊のそばに腰を下ろすと、俺は彼女の目をじっと見る。
「えっ? お家は? 家族は? いないの?」
「それ全部てめえにブーメランで返すぞ」
そう言うと、彼女は一瞬顔を曇らせ、俺から視線を逸らした。
「……居ないよ。みんなどこか行っちゃった。私親戚の家をたらい回しにされたの。施設にも行ったよ。でもどこも馴染めなかった。さっきも言ったけど、能力のこともあって、誰かにいつも狙われてたから」
……よくまあ、こいつは自分のことをペラペラと喋るもんだ。その上表情や言葉に全部感情が出てる。わかりやすいにも程があった。
「死んじゃおうかなって何度も思った。でも死ねなかった。怖いの。真っ暗闇で一人が怖いの」
「そうか」
「死ねないなら死ねないなりに足掻いて生きるしか方法は――」
俺はその言葉を聞き終える前に、湊の首元に両手をかけた。徐々にその両手に力を込めていく。
「……これで首に触るのは二度目だな」
「っ……」
湊の目が見開く。自分で今どんな顔をしてるかなんて分からないが、きっと無表情なんだろうと思った。
「てめえはきっと死ねない。不意打ちの即死じゃねえと死ねねえよ。こうして首を絞めても、一瞬の隙でてめえは回復しちまう。それは分かってんだろ?」
力を込めても彼女は苦しそうに表情を歪めるだけ。手足を縛られているせいで、うまくもがくこともままならない。
「俺にてめえを守る義理もなければそんなことをする気も起きねえ。狙われてる? 逃げたい? 死にたくない? ハッ、そんなもん知るかよ。てめえの勝手だろうが」
勝手に理由をつけられてつけまとわれるなんてたまったもんじゃねえよ。死のうと思ったんだろ。自分でできないというのであれば。
「……殺して欲しいなら殺してやる」
俺にとっては簡単なことだ。
力を込めた手を離すと、彼女は激しくむせ込んだ。地面に出来た影が俺の手まで伸びて、それは一つの銃となる。しっかりとそれを握ると、俺は彼女の首元にほれを突きつけた。湊は身動きひとつ取らずにその銃口を見つめていた。
「辛いんだろ。一瞬で全部終わらせてやるよ」
「わ……私っ」
湊から声が発せられた次の瞬間に、俺はトリガーを引いた。乾いた銃声音がビルの中に響き渡った。
しばらくもすればじわじわと地面に赤い水たまりが出来てくる。彼女は、目を開けたまま動きを止めていた。
「…………」
しばらくその様子を見てから、銃を影に戻してソファに戻る。
死にたがりほど生に執着しているというのはよく知っていた。真っ暗闇で一人が怖い。そこまで言って生きたいと言うのなら出来たもんだと思う。そんな彼女に死ぬ直前の感覚を与えたらどうなるだろうかという好奇心からトリガーを引いた。理由はそれだけだった。
これで本当に死んでも別にどうとは思わねえ。もし生きていたら――、一度覚えた恐怖は忘れないだろう。もっとまた別の歪むものが見れるかもしれない。
俺は目を閉じると深い眠りに落ちる。鉄臭い、この匂いを感じながら。