10. 夜の名前と涙の色
「おいタレ目野郎」
「何かしらー」
「なんで俺がこの内職してねえといけねえんだよクソ」
携帯電話を肩と耳で挟みながら、俺は必死に資材を組み立てていた。廃ビルに残していった湊の内職を、代わりに俺がやっているところだ。あいつと最後に会ってからもう二週間も経っていた。何でも明後日が納入日らしく、シナから催促の電話が来たところだった。
「納入日明後日なんだもの。にしても良かったわー携帯持っててもらったままで。連絡つかなかったらどうしようとか思っちゃったわよん」
「それはてめえが逆にクライアントに叱られるからだろ!!」
「その通りっ。はいはい頑張って手を動かしてねー」
プッツリと通話は切れる。ああクソ、何で俺が。携帯をソファに向かってぶん投げては手を動かし続ける。
あの後湊がどうなったか俺は知らない。彼女をシナに渡してそれっきりだった。上手いこといってりゃいいが……って今はそんなことどうだっていい。目先の資材で頭がいっぱいいっぱいだった。
「くっそあの野郎、仕事は全部片付けろっての……」
舌打ちをしながらがちゃがちゃと手を動かし続けた。
そんな時。廃ビルの扉が開く音が聞こえた。こんなボロい廃ビルにやってくるヤツなんて泥棒くらいだ。盗むくらいなら何か置いてけってくらいだけどな。とりあえず今この作業を邪魔しようってもんなら誰だろうとぶっ潰す。じゃねえと俺がシナに潰される。
足音は段々と近くなり、まっすぐこちらの部屋に向かってくるような気がした。俺は気にしないふりを続けて手を動かす。この部屋のドアに背を向ける形で床に座っているので、ドアを開けられても誰かは分からない。……変なことを言うようであっても潰そうか、と考えていた時。ちょうど後ろのドアが開く音がした。
「見つけた」
――聞き飽きたくらいのあの声が耳に入る。続けて聞こえるドアがしまる音。俺は手を止め、振り返らずに資材を見続ける。
「もう全く。酷くない? 散々あれだけ脅しておいて、殺してないなんて。私目を覚ましてびっくりしたんだからね!! 天国にいるかなって思ったら思いっきり生きてるんだから!!」
背後の少女の声は、怒ってるのか笑っているのかよく分からない声色だった。
――俺は決してあのガキを殺してなんていない。
あの時彼女に飲ませたのは毒薬でも何でもない、ただの睡眠薬だ。飲んだ彼女が深い眠りに落ちた後、彼女をシナに渡したのだ。「二度と俺に近付くな、って伝えてくれ」という言葉と一緒に。
それなのに何で彼女が後ろにいる。どういうことだ。話が違うじゃねえかタレ目野郎。
「……話はシナさんから聞いたよ。シナさんが提案してくれた慈愛施設にも行った。けどやっぱ私施設とか合わないみたい。どうしても馴染めなかったんだよね」
足音が聞こえる。気がつけば、彼女は俺の真後ろに立っていたようだった。
「……てめえよぉ。なら聞いたよな。『二度と俺に近付くな』って」
「うん。聞いたよ」
「じゃ何でここにいんだよ」
決して振り返らずに前だけ見て続ける。ふはっ、と少女が吹き出したのが聞こえた。
「私、『側に置いてくれたら言うこと聞く』って言ったよね? でもあなたはそれに頷かないまま離れていった。だからあなたの言うことは聞かないよ」
こいつ。仕返しだとばかりに意地悪っぽく少女は言うと、座ったのか俺の背中に寄りかかってきた。
「でもやっぱり騙したのは許せない」
むくれたような彼女の声。顔を見なくてもすぐに感情は読み取れた。
「うるせえ。騙してなんかねえよ」
「嘘つきー。だって私生きてるよ?」
「思い返してみろ。俺があの時一度でも『てめえを殺す』なんて言ったかよ?」
薬に関しても「死なす」としか言っていない。一度も俺はそんなことを口走った覚えはねえんだがよ。
少女はしばらく黙ってから、困惑したような声を出してくる。
「え……? 待って、じゃあ何。どういうこと。一体あなたは私の何を殺したの?」
『何を殺した』、か。いい質問じゃねえの?
俺はそこで振り返る。うんざりするほど見てきた、少女の――湊の顔が目に入った。あの青い目がこちらを見ている。黒いポニーテールも、何もかも初めにあった時と変わっていなかった。湊は何故か正座をしてその場に座っていた。
「存在だよ。てめえという存在を、この世から殺した」
「……はい?」
あのタレ目野郎、どうやらこの話はしていなかったらしい。困った顔をして首を傾げる湊に、俺は淡々と説明する。
「情報操作だ。あの研究施設の爆発で、てめえはそれに巻き込まれて死亡したってことになってんだよ。身元不明の遺体なんてそこらにあるからな。てめえと同じくらいの遺体を偽装して仕立てあげたんだ。身寄りもねえてめえには好都合でよ、そのまま遺体は教会の裏の墓場に埋められたってよ。眠ってもらったのはその間てめえに外に出られちゃ困るからだ。タレ目野郎にも言われただろ。『自分がいいというまで外には出ないで欲しい』って具合によ」
一連の流れは初めにシナに交換条件として提示したものだった。情報操作も偽装も俺一人でできることではない。シナやお偉い方の協力と圧力の上でできたことだった。
――それでそのまま彼女とはサヨナラしようと思ったのにまさか帰ってくるなんてよ。
ふんふん、と真面目な顔をして湊は説明を聞き終えると、少し間を置いてから、首を傾げる。
「えっと、つまり」
「今のてめえは社会的にはもう死んでるってことだ」
「リアさんが言ってたのは」
「偽装して死んだように思わせるってことだよ」
「……最初から殺す気は」
「なかった」
区切り区切りの彼女の言葉に返していくと、ようやく事態を飲み込めたのか、へー、なるほどね、と彼女は言う。が、その後すぐに彼女は口を開く。
「って最初から殺す気は無かったの!? じゃ何でわざわざ殺すって死なすって!!」
「嘘はついてねえだろうがよ。ぼかして言った方がてめえが苦しむと思ってな」
「ひどい!! リアさんひどいよ!!」
「敵を騙すなら味方からってなぁ。てめえは味方でも何でもねえけどよ」
外に出て薬を飲ますまでは見ててすげえ楽しかった。本当にこいつは反応が豊かすぎる。
不貞腐れたような顔をして湊は少し頬を膨らませる。
「なんでそんなことしたの」
「……てめえのその目を俺の手で歪ませるって言っただろ」
以前何で殺さないの、と聞かれた時に答えた言葉だった。
殺してしまったら、それすらもできなくなる。だからそれが果たすまでは俺から手をかけることはねえ。そうと決めているからだ。
「歪ませて、俺の興味が無くなるまでは殺しやしねえよ」
「保証はないのね」
「そりゃあな」
「何それー」
湊ははあ、とため息を付く。それでも、嬉しそうな顔をしていた。
「で、何でてめえは帰ってきた?」
慈愛施設はシナの提案だった。俺の側に居させたくないのなら、それ以上生活の質がいいところを紹介してみればいいんじゃないかしら、と。
そういう理由で探した施設だ。今までの施設と違い、普通に、もしくは並以上の生活を送れるはずだったに違いない。彼女が願っていた「普通の人生」だって歩けていたのかもしれないのに。
「……内職終わってなかったなって思って」
「本当にそれだけか?」
確かに仕事は終わってねえけど。
するとゆるゆると彼女は首を横に振る。
「んーん。さっきも言ったけどね、やっぱ馴染めなかったの。無理だった。あ、みんなすごく良い人たちばかりだったんだよ。施設のスタッフさんも、そこに住んでる他の子たちも。私を暖かく迎えてくれたし、あそこで過ごした時間は楽しかった」
けどね、と彼女は言う。
「やっぱ私ここが好き。自由に過ごせるし、私が私で居ることができた最初の場所だもん」
ここなんてその施設に比べたら酷いもんだろうに。物好きにも程があるだろ。
「勝手に人の住処をお気に入りにしてんじゃねえぞ」
「何度だって言うよ。ここが好きー」
にっ、と笑みを浮かべる湊。ちょっとイラッとしてその額にデコピンをした。
「痛っ、あーもう。……あ。でもさでもさ、待ってよ。リアさん何でそんな大がかりなこと私にしてくれたの? 私がどうなったって良かったんじゃなかったの?」
「てめえは何度同じことを俺に言わせりゃ気が済むんだぁ……?」
ぐぐぐ、と俺はそのまま湊の頭を掴んだ。痛い痛い!! と彼女は声を上げる。
「てめえが他の奴に苦しまされてるのは気に食わねえんだよ」
目を歪ませるのも、心壊れる寸前まで苦しませるのも。俺以外の誰かにやられるなんてそんなこと許さない。だから交換条件までしてここまでやったんだ。サヨナラしようとしたのは、俺以外の誰かから苦しみがない場所に行かせたかったから。別に苦しまなければどうでもいい。死んでることになった今、もう彼女を追う者はいないだろうし、むしろ――シナの話を聞いて、それと逆方向のものが溢れるところに行けるのなら、それは彼女的にもいいことなんじゃねえのって思った。重ね重ね言っていたように、彼女は痛いことが好きなわけでも、苦しいことが好きなわけでもないのだから。
だからそれでどうにか手を打とうと思った。忘れようと思った。またこうして帰ってきてしまうと――俺が手放せなくなりそうだった。こんな面白くて、苦しめがいがあるヤツを。簡単に手放せるわけがなかった。
「……リアさん以外のところなんて行かないよ」
きょとんとした後に、湊は平然とそうのたまう。俺は彼女の頭から手を離した。
「私は行かないよ。離れないよ。ただ、あなたが認めてくれるかどうかの話だよ。だからもう1回だけ聞くね?」
彼女は座り方を直して、真正面から俺を見る。そして言う。あの時と同じセリフを、同じ口調で。真っ直ぐすぎる青い目をこちらに向けて。
「私を側に置いてくれない?」
あの時はyesともnoとも言えなかった。なんだコイツ、としか思わなかった。けど今は――今は、答えが出せそうな気がした。
元は目の色が似ていた、それだけの理由だった気がする。それでもこんなガキに固執するなんて。馬鹿みてえなのは俺の方だ。
口端を歪めて自らを嘲笑う。自虐じみた笑みを浮かべて、喉の奥で笑った。くく、と乾いた笑い声が出る。不思議そうにしている湊を見ては、その笑みのまま言ってやった。
「分かってんだろ? てめえがその気なら……どん底まで苦しめてやる。覚悟しとけよ、湊」
その目の色を汚すのは、心を苦しめるのは俺だけだ。
他の誰にも許しはするものか――。
「っ……!! うん、うん!!」
直後、湊が俺に抱きついてきた。危うくバランスを崩して後ろの資材に背を打ち付けるところだったが、後ろに手をついて何とか資材を守りきった。危ねえ!!
湊は両腕に力を込めて抱きしめてくる。
「絶対離れない。あなたの側から逃げたりしない……!! やっと、やっと名前を呼んでくれたね」
涙声で彼女は言った。離れないなんてよく言う。そんなに苦しみてえのか。……なんて、言ったって今の彼女には通用しねえか。
「おう調子に乗んなよガキ。てめえは何があってもどこにいようとガキだからな」
「さっきのいい雰囲気は何処に!?」
「ガキはガキなんだよ」
表情を緩めて言ってやると、湊は不満げな顔をして、それでも腕の力を弱めずにいた。
さあ次はどう苦しませようか。今すぐにでもやってやりたいところだが……まあでも。動けねえし。しばらくこうしてやってもいいか。
――歪な形で始まった関係だった。やはり最後も、歪な形で終わりを迎えて、次に進もうと前を向く。
そういうのも悪くはねぇな。
口に出しそうになるのを何とか飲み込み直して――俺は静かに笑ってやった。