文化の相違が招くもの
本公開しました。
アルティーア戦役終結から約10ヶ月後、七龍の一角を開戦からわずか1ヶ月半で降伏させた日本は、この世界において軍事的大国として認知されるようになっていた。
かつては日本から国交樹立のための使節団を積極的に送り出していたが、今や日本との友好関係を求める各国の使節が、大陸における窓口である総督府に頻繁に訪れるようになっていた。七龍を凌ぐ強大な力を持ちながら、友好を求める国々をその国力や技術力で差別せず、常に平等で対等な関係を求める日本の外交姿勢は、覇権主義が乱立するこの世界の国々にとっては一種のカルチャーショックを与えていた。
そして2026年12月8日、この日、総督府にこの世界の中枢であるジュペリア大陸からアテリカ帝国の使節団が来訪した。いつも通り相手が求める国交樹立のための交渉の開始に同意し、こちらからも使節を出すため、彼らの国の位置と日取りの確認を行う。そしてその10日後、日本国外交使節団がアテリカ帝国の首都ソマーノを訪問した。これが日本とアテリカ帝国との間で一触即発の事態を招きかねなかった「ある事件」のきっかけになろうとは両国の誰も想像していなかった。
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12月18日 ジュペリア大陸南部 アテリカ帝国 首都ソマーノ 外務局応接間
「アテリカ帝国」とは、中央世界に位置するジュペリア大陸の南部、“ウィッケト半島”と呼ばれる半島とその他の所属島嶼を領土とする中規模国家であり、非列強国の中では大きい国力を持つ国であった。その国の首都ソマーノに3人の外交官が派遣されていた。
外務局の応接間へと通された彼らの前に、アテリカ帝国の外交責任者が現れる。
「ニホン国外交使節団の皆さん、ようこそアテリカ帝国へお越しくださいました!」
アテリカ帝国の外務大臣であるラキム=ストローマが使節団に歓迎の意を示す。
「いえ、我々も貴国の国交樹立という此度の決断に感謝致します」
日本国使節団代表の新田昇が感謝の意を返した。彼の部下である遠藤和哉と子門葵はラキムに向かって頭を下げる。
「では・・・早速協議の方を始めましょうか」
挨拶を交わした後、両者は本題の国交樹立交渉に入る。関税やレートの大まかな設定、通商条約の調印式の日程などを協議し合い、交渉会議は特にこれと言った問題や亀裂は生じず、日が沈む頃には円満に終了した。
「では、以下の条件で協議を決した旨、日本政府に報告致します」
仕事を終えた新田は、テーブルの上に広げた書類を鞄の中に仕舞う。
「ああ、少しお待ちください!」
ラキムは席を立とうとした新田たちを呼び止めた。
「この後、皇帝陛下の居城にて使節団の皆様の歓迎晩餐会が用意されています。どうかご参加頂ければと思いますが」
ラキムが彼らを呼び止めたのは、皇帝が主催する晩餐会に彼らを招待する為であった。強国日本の外交使節に対してこのような接待活動を行う国は少なくない。ラキムの提案を聞いた日本使節団の面々は顔を寄せ、参加の是非を話し合う。
「・・・どうしますか?」
外交団の1人である子門が、新田に小声で問いかける。
「せっかく酒の席を用意して頂けたんだ。邪険にする訳には行かないでしょう?」
こういう場合はよほどの理由が無い限り参加するのが礼儀だろう。相手の好意を無碍にして悪い印象を与えてしまっては元も子も無い。結論を出した使節団は再びラキムの方へ視線を向ける。
「ええ、そういうことでしたら我々は喜んで参加させて頂きますよ!」
「ありがとうございます! では今しばらくここでお待ちを」
ラキムはそう言うと、懐に仕舞っていた“信念貝”を取り出して皇城に連絡を行う。その後、晩餐会の準備が出来るまで、使節団3名はラキムと共に応接間で待機することとなった。時間を潰す為、新田とラキムは他愛ない雑談を口にし合う。
だが、その最中にラキムが口にした言葉は、この友好的な状況を一変させてしまうことになる。
「・・・そういえば我が国の第二皇子殿下が、どこからか貴国出身の奴隷を手に入れられていたようで、とても気に入っておられましたよ。“生きが良い”、と」
「・・・は!?」
新田を初めとして、使節団員たちは目を見開いた。まるで世間話をするように、ラキムはとんでもないことを口にする。
「・・・何かの間違いでしょう。我が国の人間が我々の様な外交官を除いてこのジュペリア大陸にいるはずが、まして奴隷となっているはずがありません」
日本国民は入管と外務省の許可・命令を受けた者のみが、異世界の国へ足を付けること許可されており、それもノーザロイア、セーレン、極東洋の一部、ウィレニア大陸の一部地域に限られていた。ましてや、ジュペリア大陸への渡航を認可された一般人など1人も居ないのである。故に、日本人が他国で奴隷として囚われていることなどあり得ない筈だった。
「そうですか? あの顔立ちと名前の響きから、あの奴隷はニホン国の出身だと思っていたのですが」
「・・・名前の響き?」
「ええ、確かエミコとそう呼ばれていましたが・・・」
エミコという名前は、一般的に日本人女性の名前を連想させるものであった。その名前を聞いた使節団の1人である遠藤和哉は、驚いた表情で新田に耳打ちをする。
(3ヶ月程前、アルティーア帝国内で起こった青年海外協力隊員の失踪事件、失踪者の名前は確か山西恵美子と報告されています!)
「・・・何だと!?」
エミコという名前はアルティーア帝国で失踪した日本人女性の名前と同一のものであったのだ。それを聞いた新田は机を叩いて立ち上がり、ラキムに詰め寄った。
「どういうことですか! 我が国には奴隷という制度はありませんし、その所有も売買も存在も法で禁止されています。日本国民が奴隷として他国に存在するなどありえません!」
「なっ!?」
ラキムは突如激昂した新田の姿を見て、自身が口にした言葉が彼らの琴線に触っていたことを知る。さらに、彼はこの時初めて、日本国内に奴隷制度が存在しないことを知った。
「国交樹立の件、保留ということにさせて頂きます。失礼!」
新田は激昂したまま応接間を退出した。他の2人も彼の後に続いて部屋を後にする。ラキムはご機嫌取りのために発したはずの言葉が、交渉決裂の危機を招いてしまったことにただ呆然とするのだった。
皇帝の居城 皇帝の執務室
日本国との交渉が暗礁に乗り上げてしまったことは、協議の当事者であるラキムから皇城へと伝えられた。そして皇帝の執務室にて、3人の男がこの一件について話しあっていた。
「ラキム、お主一体どのような失敬をしたのだ!?」
アテリカ帝国の皇帝であるパリス=トローアス2世がラキムを叱責する。
「い、いえ・・・ファティー殿下がどこからか連れて来られていたニホン人奴隷のことを話しただけでして・・・、まさかあのように激昂なさるとは思いもしませんでした」
ラキムは協議の場で起こったことをそのまま説明する。
「相手はニホンの外交官だろう。そんな特権階級の者がそんなことでいちいち激怒する訳があるか!」
パリス2世はラキムの説明に納得せず、繰り返し彼を叱責した。
「い、いえ、新田殿の言葉に依るとニホン国には奴隷は存在しないようでして・・・」
「ばかな!それでは一体どのようにして国を成り立たせているというのだ!?」
皇帝はラキムの説明を聞いて狼狽える。彼も先程のラキムと同様の勘違いをしていたのだ。21世紀の地球よりも人権意識が希薄なこの世界において、奴隷とは多くの国で当たり前に存在する財産なのである。
「ラキム殿がおっしゃったことは本当です」
皇太子のサリード=トローアスが、父たる皇帝をなだめるような口調で話に入る。さらにサリードは見たことの無い文字で書かれた厚めの本を取り出して説明を続ける。
「これは外務局の情報部が入手したニホンの法律について書かれた書物なのですが、これによるとニホンでは奴隷的使役や拘束は禁止。それどころか、皇族を除いた国民の間には身分や階級そのものが存在しないようです」
「なんと! 奇怪な国だ!」
サリードが取り出したのは法律学の書物であった。彼の説明を聞いたパリス2世は驚きを隠せない。この世界において奴隷はほとんどの国で産業の維持に欠かせない労働力である。この労働力無くして国家を維持して行くなど思いつきもしないことだった。さらに階級制度が存在しないというのも到底信じられない。
「そのエミコというニホン人奴隷は今どこにいるのだ?」
パリス2世は事態の焦点である奴隷の行方を尋ねる。
「ファティー殿下が外遊に連れ出しておられます・・・」
ラキムは日本人の身柄が国内に無いことを伝えた。
「あの馬鹿者・・・今すぐ戻って来いと通告しろ! ニホン人の身柄を確保するんだ!」
「あの殿下が自らの“お気に入り”をそう素直に手放すとは・・・」
ラキムは第二皇子のファティー=トローアスの姿を思い浮かべて気が重くなっていた。少し自分勝手なところがあった第二皇子が、自らのお気に入りだと内外に語っていた日本人の身柄を素直に明け渡すとは思えなかったのだ。
「力ずくで取り上げれば良い!・・・が、そもそもその恵美子という者の身が万が一ということもある。最悪の場合、ニホンとの戦争をも覚悟しなければ・・・」
「いえ、まずは弁明を行うのが先決です! 彼ら使節団は、首都郊外に停めてある彼らの乗り物に戻っております。彼らに日本人の身柄を返還する意志を伝え、ファティーが帰って来るまでの猶予を認めて頂きましょう」
最悪の想定を持ち出すパリス2世に、サリードは机を叩きながら訴える。サリードの提案に皇帝はうなずいた。しかし、ラキムは未だ不安な様だった。
「申し訳が立つかどうか。相手は七龍の一角を一方的に滅ぼした強国、『新龍、日本国』!」
首都郊外
その頃、新田は首都郊外に停めてあった73式中型トラックの中で、衛星通信で本省との通話を行っていた。彼は今回の一件について上司からお叱りを受けていた。
『激昂して出て行ったのは不始末だぞ』
「はい・・・申し訳ありません」
『アテリカ帝国は非列強としては、大きな国力を誇る国。日本政府としても、彼の国と友好的な関係を築けることは利益になる』
通話機の向こうにいる上司は、日本政府の意向を説明する。
『・・・まずは事実関係を確認すること。本当に日本人が奴隷として所有されているのなら、それに至った経緯を明らかにしなければ。その上で相手側に問題があるようならば、その後にしかるべき対処を求めるべきでは無かったのか?』
上司は落ち着いた口調で新田をたしなめる。新田は少し間を置いて答える。
「・・・はい。承知しております」
『・・・とりあえず様子を見なさい。彼らからなにかコンタクトがあるかも知れない』
連絡を終えた新田は通信機を切った。その2時間後、上司が予想した通り、皇城から皇太子サリードが派遣した伝達係が彼らの元を訪れ、日本人返還の意志を伝えた。使節団は第二皇子が帰還する予定の5日後まで、首都ソマーノで待機することとなった。