最遠の魔女
ロトム亜大陸 地下大空洞
村田は目の前に立つ女性の正体に驚愕する。なぜなら彼女は今から約500年前に存在した人物だからだ。サクトア学術区域の魔法研究歴史資料館にあった肖像画の人物、サクトア学院の第1期首席卒業生であり、卒後突如として行方知らずになったという伝説の学徒の登場に、村田は腰を抜かしそうになる。
「・・・ああ、私の名前知っていたのね。大丈夫、私は幽霊じゃないわ。それより貴方・・・ニホン人なのね。道理であまり見ない顔立ちだとは思ったわ」
ジェラルは優しい声で、呆気に取られた様子の村田に語りかける。彼女の言葉を聞いた村田は、少し落ち着いた様子で彼女に尋ねる。
「で、でも何故・・・? それに、我が国のことをご存じで?」
彼女が生きていることもであるが、村田は未開地域で世捨て人の様な暮らしをしている彼女が、日本のことを知っていたことを疑問に感じていた。
「もちろんよ。世俗の情報は知るようにしているし、ニホン国といえば最近随分とご活躍のようだし・・・」
彼女が述べているのは「日本=アルティーア戦争」と「リヴァイアサン討伐作戦」のことである。不意に村田が目線をテーブルの方に向けると、そこに「世界魔法逓信社」の日刊紙が置いてあるのに気付いた。なるほど、そういうことか・・・そう思いながら、村田は彼女が日本の情報をどうやって得ていたのかを理解する。
「それに、ロトムに行く途中の海の上でも会ったじゃない」
「・・・それは、一体どういう・・・」
村田は「海の上で会った」というジェラルの不可解な言動に首を傾げる。その時、ジェラルが突如、虚空に向けて叫び出したのだ。
「・・・こら! 落ち着きなさい!!」
「!?」
彼女の様子を見れば、床の上にしゃがみ込み、空中に浮かぶ何かを握り潰すようなポーズをとっていた。その指の隙間からは微かな光が漏れだしている。
「よ〜し、落ち着いたら持ち場にお戻り・・・」
ジェラルは幼子に言い聞かせる様な口調でそう言うと、握りしめていた手を開く。すると手の中から現れた淡い”光の玉”が、部屋のドアから出て行く様子が見えた。
「貴方がニホン人だと知ってちょっと興奮しているのよ。あの子は”イロア海戦”で死んだからね・・・」
「・・・? ・・・!?」
村田は彼女の言葉の意味がますます分からなくなっていた。ジェラルは混乱している彼の様子に気付く。
「確かに・・・何が何だか分からないに決まっているわね・・・。私が何者なのか、ここは何なのか・・・一から説明してあげる。もう歩けるでしょう。夕食の用意は出来ているから、居間へいらっしゃい」
ジェラルはそう言うと寝室から出て行く。村田は重い体をベッドから起こし、彼女の後を追うようにして部屋を後にするのだった。
居間
こじんまりとしたテーブルの上に、パンとスープ、サラダとシンプルに塩で焼いた肉が2切れ、なんとも質素で、尚且つ暖かみがある食事が2人分並んでいた。
「はあ、すみません。治療までして貰った上に、夕飯までごちそうになるなんて・・・」
椅子に座る村田は、向かい合うようにして座っているジェラルに再び礼を述べる。
「気にしないで。私も生きた人と会話するのは随分久しぶりだから、結構嬉しいのよ・・・」
ジェラルはミルクが入ったコップを口に付けながら、少し寂しそうな表情を浮かべる。
「さて・・・貴方が疑問に思っていることだけど・・・」
ジェラルは早速話の本題に入る。村田は手に取っていたパンを皿の上に戻すと、彼女の話に耳を傾ける。
「私の名はさっきも言った通り、”ジェラル=ガートロォナ”・・・貴方が肖像画で見たのと同一人物よ。そして人間である私が、500年の時を経てこの世界に生きている理由・・・それはね・・・これよ・・・!」
「!?」
ジェラルは椅子から立ち上がると、居間の窓へと近づき、そこに掛けられているカーテンを掴んだ。そして彼女は一気にカーテンを開ける。そこにあるものを目の当たりにして、村田はさらに驚愕した。同時に彼は、先程ジェラルが言った”海の上でも会った”という言葉の意味を理解していた。
「ガートロォナさん・・・これは・・・!」
窓の向こうにあったもの、それは海と見まがうほどの巨大な「地底湖」、そして所狭しと停泊している「幽霊船」の群れだったのだ。
「私が500年前、『冥界の神ハルトマ』より『神の使徒』として与えられた役割・・・それが『幽霊艦隊提督』。みんな私のことを『最遠の魔女』とか『極北の魔女』と呼ぶわ・・・」
「幽霊艦隊」・・・それは「最遠の魔女」によって率いられ、濃霧と共に時折現れるという、沈んだ船の大軍団のことであり、この世界の船乗りたちの間では真しやかに囁かれ、恐れられている伝説である。ちなみに魔女が率いると言われている理由は、艦隊から発せられる警告が時折、女性の声であったことに由来する。
「普段は現世とは”別の空間”を移動するから、生きる者の船に出くわすことは無いのだけれど・・・時折貴方たちの艦のように、私たちの空間に入って来てしまう船もあるの・・・。『こじま』が急に目の前に現れたのは、私たちにとっても想定外だったから急いで警告を貴方たちに送ったのだけれど・・・彼、口が悪かったわね・・・。それに魔力を持たない貴方たちには辛かったでしょう。ごめんなさいね」
ジェラルは少し申し訳なさそうに微笑みながら、海の上での一件を謝る。
彼女が「こじま」の乗員たちに対して警告文を送るために使用したのは「精神干渉魔法」と呼ばれるものである。数ある魔法の中でもかなり難易度が高く、消費魔力量も多い為、相当な経験と魔力量を誇る魔術師にしか操れない。
そして魔力を持つこの世界の民は、大なり小なり「精神干渉魔法」に対する抵抗力を持つ。しかし日本人には魔力が無い為、「こじま」の乗員たちは彼女が繰り出した「精神干渉魔法」の影響をもろに受けてしまっていた。その結果が頭痛として現れたのだ。
(これは・・・本国へ新たな報告が出来たな・・・)
「精神干渉魔法」についてジェラルから説明を受けた村田は、これが日本人にとって脅威的な存在であることを悟る。と言っても、別の船に乗る不特定多数の人間に精神干渉魔法を掛けるといった離れ技は、彼女のように神に認められ、多大な魔力を与えられた「神の使徒」くらいにしか出来ない上に、一般的な魔術師であれば多くて4〜5人、それも魔力が届く範囲でしか発動は出来ない。故に魔術師の攻撃範囲に入らなければ問題は無いのだ。
「『神の使徒』ということは、ガートロォナさんは神そのものに仕えているのですか?」
村田は更なる疑問をぶつけてみた。再び椅子に座るジェラルは問われた内容について答える。
「そう・・・。学院を卒業して4日目だったかしらね。あの日の朝『冥界の神ハルトマ』から訓示を受けたわ・・・。それから歳を取らなくなった私は世俗から離れ、今の暮らしに落ち着いたの・・・。ここは200年くらい前に偶然見つけたのよ。それから時折、故郷に帰る時は、ここを利用させて貰っている訳」
彼女は話を続ける。村田はそれを黙って聞いていた。
「私の役目は、海の上で道半ばにして沈んだ船乗りたちや船そのものの未練ある魂が、この世界に害をなす”怨霊”となる前に、彼らの魂をすくい上げて艦隊に引き入れ、未練が晴れるまでこの世界の海を旅させること・・・。
未練が晴れ、この世への執着が消えた魂は、その後然るべき”死者の世界”へと旅立って行くわ」
ジェラルは空中に手をかざした。すると先程と同じようにそこに淡い光の玉が現れる。
「これが魂。私が救い上げた霊魂は私の配下に落ち着くの・・・。さっきの霊魂はイロア海戦で散った佐官のものよ。彼、クレバスから落ちてきた貴方を咄嗟に支えて助けようとしてあげたらしいんだけど、貴方がニホン人と聞いて興奮しちゃったみたい・・・。でも、私の配下にいる以上、貴方に手出しは出来ないから安心してね」
ジェラルはそう言うと空中にかざした手を降ろす。同時に霊魂もその輝きを失い、村田の目には見えなくなった。
「ガートロォナさんは、この大海の平和をたった1人で護っておられるのですね・・・」
彼女の話を聞いていた村田は、数百年もの間孤独な環境に身を置きながら、使命を全うしているジェラルに敬意を示した。
「それが私が冥界の神ハルトマより、この世界で与えられた役目だからね・・・。全ては神の思し召しよ」
窓の外に目を反らしながら、ジェラルはつぶやいた。その後、短い沈黙が2人の間に流れるが、彼女が再び口を開いた。
「何だか、いっぱい語っちゃったわね・・・。彼らと話すのも良いけれど、やっぱり生きた人と話すのは楽しいものね!」
ジェラルは一際嬉しそうな表情を浮かべる。彼女はスープのラスト1口をスプーンですすると、頬杖をつきながら、同じくスープを食べ終えた村田に再び話しかける。
「さて、夕食は終わったけれど、他に何か聞きたいことあるかしら・・・?」
「・・・」
ジェラルは意気揚々とした顔で尋ねる。久しぶりの生きた人間との会話を心から楽しんでいる様子である彼女に、村田はある可能性を感じていた。
「では・・・1つ良いでしょうか? この世界を長く見ている『神の使徒』である貴方ならお分かりになるかと思ってお尋ねするのですが・・・」
ジェラルは”どうぞ”というジェスチャーを交えて、彼に質問を促した。
「私の故郷である日本国は約1年と9ヶ月前、突如として異なる世界からこの世界へ飛ばされました・・・これはご存じでしょうか?」
村田は質問の前置きとして、日本が転移してきた国家であることを知っているかどうかを尋ねた。
「ええ、もちろんよ」
ジェラルは首を縦に振る。
「それでは・・・万が一、ご存じならば 教えていただけないでしょうか? 我が国、日本が何故この世界に飛ばされたのかを・・・!」
村田が提示した質問、それは2025年9月4日以降、この1年9ヶ月の間、日本人の誰しもが抱いた最大の謎であった。
「・・・」
ジェラルは村田の質問を聞いて沈黙する。直後、口を開く彼女の言葉に、村田は冷や汗をかきながら耳を傾ける。
「ええ、良いわ」
「!!」
彼女の言葉に村田は驚愕した。この時、ロトム亜大陸の地下にて、ついに最大の謎・・・「異世界転移」の答えが語られようとしていたのだった。




