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旭日の西漸 第2部 大陸の冒険篇  作者: 僕突全卯
第3章 ロトム亜大陸
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幻想の影

「雪の都」3F 村田と河本の部屋


 村田は衝撃の告白をしてきたアンナを落ち着かせ、その真意について詳しく聞くために、彼女を自身の部屋へと連れて来ていた。同室の河本が夕食を摂るため部屋を開けていたのは都合が良かった。


「さて・・・」


 メイドを椅子の上に座らせた後に、自分も向き合うようにして椅子の上に座り、ゆっくりと諭す様な口調で村田はアンナに語りかける。


「まず第一にですが・・・私は役人でも無いし外交官でもない。ただ、日本政府に雇われただけの民間人です。私には日本政府や外務省に対してあれこれ意見する権利はありません」


「・・・!」


 村田は自らの身の上について説明する。それを聞いたアンナはやや驚愕した表情を浮かべた。


「貴方がもしどうしても日本に行きたいのならば、然るべき手続きを踏み、サクトアの日本大使館にて査証(ビザ)の申請・取得をした後に、貿易船にて日本に渡るしかありません」


 彼は異世界の民が日本国内へ入国する為の、正式な手続きについて説明する。


「そして日本で社会保障を受けたいのならば、最低でも3ヶ月以上の在留資格を取らなければなりません。日本国籍を取って完全な”日本人”としての生活を送りたいならば、さらに5年以上日本で暮らして行かなければならない」


 彼は国民皆保険制度の一翼である「国民健康保険」に外国人が加入する為の最低条件、そして日本へ帰化する為の条件について述べる。


「それに日本を桃源郷か理想郷か何かと思っているのならそれも違う。日本での暮らしは、恐らくは貴方が思い描く程楽では無い」


 村田の忠告は正しい。ただでさえこの世界の国々とは常識や生活水準、価値観が隔絶している日本国内での暮らしに、彼女を含めてこの世界の住民が適応出来るかどうかはかなり怪しいからだ。


「その上で、貴方は日本へ行くことを望むのですか・・・?」


「・・・」


 この問いかけに、アンナは深く頷いた。


「では日本に行って貴方は何を望むのか、それを教えて下さい・・・」


 村田は優しい声でアンナに問いかける。アンナは今まで隠してきた感情を吐露するような表情を浮かべると、悲しみを交えた声で日本行きを望むその訳を話し始めた。


「・・・私・・・は!」


 アンナは詰まる様に声を出す。直後、悲痛な表情を浮かべた彼女はついにその真意を語る。


「・・・私は・・・まだ、死にたくありません・・・! で・・・でも、ニホンに行けば・・・助かると聞きました! ・・・だから!」


「・・・!? どういうことです?」


 感情を爆発させた彼女から飛び出したはたまた予想外の発言に、村田は驚きながらも、泣いている様子のアンナを落ち着かせる。少し落ち着いた様子の彼女は、発言内容の詳細について述べ始める。


「貴方でも、薄々分かっていらっしゃるとは思います・・・。我々『雪の都』のメイドの業務は”宿泊者のお世話”、その中には高貴な方々への”慰安”も含みます・・・。

言わば私たちは、国が『雪の都』に泊まる国賓を相手にさせる為に、下女や遊女、そして・・・売られた少女たちの中から選抜・教育し、用意した”高級娼婦”なのです・・・」


 アンナは自分の身の上について語る。

 元々彼女は、サクトア近郊の貧農の家に生まれた末の娘であった。その気量の良さから近所でも評判となる程だったが、末っ子、しかも娘という立場上、力仕事が出来る兄達と比べられ、両親からは”穀潰し”と邪険に扱われていた。

 そんなある日、彼女が13歳の時に彼女の姿を偶然目にした徴税官が両親にこう持ちかけた。”お宅の末娘を国に売らないか”と。提示された金額に彼女の両親は躊躇うこと無く、すぐさま首を縦に振ったという。


「・・・」


 アンナの話を聞きながら、村田は言葉が出なかった。

 困窮から親に売られたという経験を持つ彼女からすれば、国が国民の最低限度の生活を保障し、生活が困難な家庭には給金まで出してくれるという社会保障制度を持つ日本の姿は、神よりも優しく映っていた。


「飢えることは無く、暖かな中心街で暮らせる。故に私たちのことを羨む人も居る・・・。確かに一見華やかな世界には見えるでしょう。しかし、本質としては”遊女”や”性奴”と変わらない・・・。”お客様”の如何なる欲求(要望)にも応え、いずれは・・・”毒”に侵され死んで逝く・・・」


「・・・”毒”?」


「・・・」


 言葉の意味を分かりかねている様子の村田に対して、アンナはおもむろに立ち上がり、服のボタンに手をかけてそれらを脱ぎ捨てた。


「何を・・・!」


 村田は彼女の行動に一瞬戸惑ったが、すぐにその意味を理解する。


(・・・発疹!)


 村田は驚愕する。服の上からは分からなかったが、彼女の上半身は顔にまで迫る勢いではびこる赤い発疹に覆われていたのだ。


「宿のご主人様は、これ(・・)を”すぐ治る”と仰いますが、私は知っています・・・これが治るのは一時的なものだと。発疹が治ったと言っていた先輩たちが、後に全身に醜いできものが出来て死んで逝くのを私は今まで多く見て来ました・・・」


 アンナが語ったのは”とある性病”についてであった。それはかつて、そして現在でも日本国内で流行し、長きに渡ってペスト、マラリア、コレラ、そして結核などと並び、人類を脅かして来た病。かつて「瘡毒」と呼ばれたそれの症状を村田は目の当たりにしていた。


(私は医療には詳しく無いが、確か漫画で読んだことがある・・・。確かこれは『梅毒』の第2期の症状! 放置しても数ヶ月で治まるから感染者に治ったと誤解させ、それが新規感染に繋がる・・・)


 「梅毒」・・・性感染症の代表格であり、サルバルサンや抗生物質が開発されるまでは不治の病として恐れられてきた。抗生物質がある現代でこそ早期治療で完治するが、無治療のまま経過すれば感染者の臓器、脳、脊髄、神経、骨を侵し、いずれは重度の痴呆を起こして廃人状態に陥り死に至る。


「以前、この宿に来ていた豪商の方々が、ニホンにならこれを治せる薬があると話しているのを耳にしました! どうか・・・助けてください!」


 アンナは床の上に倒れ込み、土下座するようにして再び涙を流しながら助けを請う。


「・・・!」


 彼女の真意を知った村田は、現在進行形で病に侵されている女性を放っておく訳にもいかず、半裸状態のアンナの肩に服を掛けると、彼女の病を調査団に同伴している医官に診せることにしたのだった。




同建物3F 医官 矢部虎三郎と衛生員 秦祐八郎の部屋


 村田とアンナが訪れていたのは、今回の資源調査に医療スタッフとして同伴している2人の男が宿泊している部屋だった。


「確かに梅毒の第2期・・・バラ疹の所見に見えます」


 「こじま」に勤務する医官の矢部虎三郎三等海佐/少佐は、アンナの体表に出現している発疹を観察しながら、村田の予想通り彼女が梅毒に感染している可能性を示唆する。


「アンナさん、2〜3ヶ月前に局部に初期硬結(しこり)硬性下疳(赤いただれ)が出来ませんでしたか?」


 矢部は梅毒第1期の所見である感染部位(性器周辺)の症状について尋ねる。


「・・・はい」


 矢部の問いかけにアンナは頷く。


「それは、痛く無かった(・・・・・・)でしょう?」


「・・・!」


 全て見通すかの様に、自身に起こった症状を当ててくる矢部に驚きながら、アンナは頷いた。


(無痛性の潰瘍・・・やはり、梅毒トレポネーマか)


 彼女に起こった症状から、矢部は彼女の病が梅毒か、それと同種のものであると確信する。

 ちなみに梅毒がこの世界に存在することについては、アルティーア戦役後に日本領となったアルティーア帝国の主要都市であるマックテーユ(現 屋和西道 幕照市)において行われた現地住民の防疫検査にて明らかになっている。


(・・・と言っても、今はワッセルマン反応やTPHAテストと言った梅毒の検査が出来る様な状態じゃないから断定はできないがな・・・)


 そんなことを考えながら、矢部は近くに立っていた衛生員の秦祐八郎海曹長/兵曹長の方を向く。


「秦さん、アモキシシリンありましたよね?」


「はい」


「すぐに点滴を持って来てください」


「分かりました」


 矢部の支持を受けた秦は、そう言って部屋を出る。彼を見送った矢部は再びアンナの方を向くと、安心させる様な口調で彼女に語りかけた。


「アンナさん、大丈夫ですよ。”梅毒”は今我々が持っている薬で治りますから」


「・・・!」


 その言葉を聞いたアンナは、驚きの表情を浮かべる。

 部屋を出た秦はしばらくして、宿の庭園に停めてある73式中型トラックの中から、点滴装置とペニシリン薬を持って帰って来た。


「じゃあアンナさん、そこに寝て」


 矢部はアンナに自身の部屋のベットに横になるように言うと、点滴装置の準備を始める。

 彼女の上腕にゴム管を結びつけて血流を滞らせ、表皮に近い静脈が浮き出たことを確認すると、そこに点滴用の針を近づけた。


「・・・・」


「ちょっとチクッとするよ〜」


 注射を怖がる幼子に言い聞かせる様な矢部の声と共に、細い点滴針が彼女の腕に近づく。直後、腕に走る一時の痛みにアンナの体には緊張が走る。


「うっ!」


 彼女は痛みを我慢する声を上げる。矢部は針の中から血液が出て来たことを確認すると、そこへ点滴袋から伸びる管を繋ぐ。こうして、アンナに対して梅毒のアモキシシリン点滴治療が行われることとなった。


「第2期の梅毒に対しては、本来なら経口投与で最低でも4週間の治療を行うのが普通です。ただ今回は時間がありませんから仕方無いですが」


 矢部は村田に治療内容について伝えた。

 明日には、彼ら資源調査団は極地の未開地帯へ向けて旅立つことになっている。2国間の公的なプロジェクトである故に、サクトア滞在を個人の都合で延ばす訳にはいかない。


「明日、錠剤のアモキシシリン()を渡しますから、それも飲んでくださいね」


 矢部はベッドの上に横たわっているアンナに今後の治療について説明する。


「・・・はい、ありがとうございます」


 アンナは矢部に礼を述べる。その顔には笑みが浮かんでいた。


「では私は部屋に帰るとしますか・・・後は宜しくお願いしますよ」


 彼女の様子を見ていた村田は座っていた椅子から立ち上がると、矢部に一礼した後、自室に戻る為に部屋のドアへと近づく。


「・・・村田様!」


 部屋から出て行こうとする村田を呼び止める大きな声が聞こえた。振り返ると、ベッドから起き上がっているアンナの姿があった。


「貴方・・・そして矢部様は私の命の恩人です! 本当に・・・ありがとうございます! 何とお礼をしたら良いか・・・!」


 アンナは深く頭を下げる。そんな彼女の様子を見ながら、村田は最後の忠告を伝える。


「・・・体内に蔓延っている毒はこれで死滅しますが、春を鬻ぐ今の生き方を変えねば、根本的解決にはなりません。現状を抜け出すというのは大変だとは思いますが、後は貴方次第ですよ」


「・・・」


 そう言って部屋を立ち去る村田の後ろ姿を、アンナは見つめていた。




3F 廊下


(・・・氷山の一角か)


 自身の部屋に戻る村田は、やや暗い気持ちになっていた。

 確かに梅毒に侵されている1人の少女を助けたという事実とその達成感はある。しかし、今回彼女が助かったのは、彼女が梅毒に感染したことを自覚しており、その上で日本に梅毒を治療する医術があることを知っていたという偶然が重なったからだ。


 恐らくは、この宿で梅毒を含む何らかの性感染症に感染しているのは彼女だけでは無いだろう。そして、このサクトアには性病で苦しむ者たちがごまんといるのだろう。その中で自室の担当になったという繋がりから彼女だけを助けたということに対して、村田は一種の独善を感じていたのだった。


〜〜〜〜〜


翌日 首都郊外


 翌朝、点滴したアモキシシリンによる重大な副作用が無いことを確認した矢部は、アンナに錠剤のアモキシシリンとその用法用量を伝える。

 その後、宿を出発した彼や村田を含む資源調査団総勢32名は、レーバメノ連邦国土庁の役人であり、連邦側の調査団参加者であるスパラスキー=チーフセルを加え、首都郊外にて再び特大型トラックを含む各種車輌の隊列を成していた。


「宜しくお願いします」


「こちらこそ」


 出発に先立ち、スパラスキーと調査団の団長である村田が握手を交わす。直後、2人がトラックに乗り込んだことを輪島二尉が確認する。


「よし、出発だ!」


 彼の出発の合図と共にトラック群が動き出す。資源調査団は北へと旅立っていったのであった。


「・・・」


 異世界の巨大な物体が一列になって首都から去っていく様を、宿「雪の都」からこっそり抜け出していた1人のメイドが見送っていたのだった。

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