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旭日の西漸 第2部 大陸の冒険篇  作者: 僕突全卯
第1章 アテリカ帝国
19/48

ペスト撲滅事業

第一章最終話です。

12月27日 屋敷の一室


 ここでは柴田一尉と水沢三曹が、ヴィルドの血液とリンパ液より採取した病原菌について、持参した機器を用いて調べていた。


「グラム染色の結果ですが、やはり陰性、形状から桿菌でした」


 水沢三曹は柴田一尉へ簡易的な調査結果を伝える。

 細菌は大別して、「グラム陽性菌」と「グラム陰性菌」に分かれる。「グラム染色」という検査を用いると、その菌がどちらに属するのか判別することが出来る。この判別は、病原菌の特定や後の治療方針を決めるのに重要である。陽性と陰性のどちらに属するかによって、使用出来る抗生剤が変わって来るからだ。例えば、フレミングが発見した「ペニシリン」はグラム陰性桿菌には効能を示さない。


「やはりペスト菌の様だな・・・」


 水沢三曹の報告を聞いた柴田一尉は、自身の推測を裏付ける1つの証拠が発見されたことに頷いていた。実際にこれがペスト菌かどうかは、採取したサンプルを日本へ持ち帰り、ちゃんとした調査をしなければ断定は出来ないが、状況証拠からほぼ間違い無いと考えていた。


「・・・異世界の菌種やその毒性が、我々の知るものとほぼ似通っているのは何故なのでしょうか?」


 水沢三曹は柴田一尉に1つの疑問をぶつける。「転移」から今までに上陸した夢幻諸島、また他の各島や各大陸では、厚生労働省の主導の下、細菌やウィルスなどの微生物の調査が徹底して行われていたが、その結果として発見された細菌、ウィルスの種や毒性、それぞれの姿形は元いた世界に存在したものと、ほぼ同一と言っていい程似通っていた。


「いずれの世界においても、細菌等の微生物は似た様な進化を辿るのかも知れん。まあ、いずれにしても未知の病原体が存在する可能性は消えていない。気を抜くな」


「はい!」


 水沢三曹は柴田一尉の忠告に頷いた。その後、周辺で捕獲した数匹のネズミ、及びノミの体内からも、同一の形状のグラム陰性桿菌が発見されることとなる。


〜〜〜〜〜


12月30日 ヴィルドの寝室


 ヴィルド=フォレイメンに抗生物質の点滴を開始してから4日後、抗生剤がよく効いたのか、彼は徐々に回復し、熱も下がり意識もはっきりする様になり、食事も摂れるまでになっていた。


「37.2℃・・・具合はどうですか?」


 検温に来ていた三津波海士長が体調について尋ねる。


「熱も無く、体も軽い・・・。4日前まで死にかけていたのが嘘の様だ・・・。これはニホンの“抗生物質”という薬と“点滴”という治療法のおかげなのですか?」


「はい。、十分に効果はあったかと思われます」


 三津波は答える。


「貴国の医療技術は素晴らしい! “経典”に縛られた医術士などよりも、よほど貴方方、ニホンの医術士の方が頼りになりますな!」


 ヴィルドは満面の笑顔を浮かべ、日本の医療技術を褒め称える。三津波海士長はその様子に少し驚きながら、彼が発したある単語について尋ねる。


「そういえば、その“経典”とは何なのですか?」


 “経典”・・・4日前にパーピラが話していたそれについて、三津波海士長はヴィルドに尋ねる。


「おや、ご存じ無いのですか? 我が国を始め、“イルラ教”を国教と定めている各国では、医術士は“教会”によって養成されています。“経典”とは“総本山”が定める聖典のことであり、医術士はその教義に沿った医術を施すように教育され、またそれを義務付けられているのです」


 ヴィルドはクロスネルヤードの医療体系について説明する。イルラ教圏の医術士は“教会”が経営する、または“教会”の認可を受けた医術学校にて、その医学を学ぶことになっていた。そこで教えられる医学や、使用される教科書は、イルラ教の聖典たる“経典”に定められた教義に基づいたものなのだが、後にその内容を見た柴田は「中学生にも劣る知識を大真面目に書いている様な代物」と酷評している。

 もちろん、現代医学から見てこの世界の医学が劣っているのは当然なのだが、特にこのジュペリア大陸のイルラ教圏国家群においては、イルラ教の存在が障害となり、医学の発展を妨げている様な側面もあった。ヴィルドの話を聞いていた三津波海士長は、彼にある疑問をぶつける。


「それほど保守的な宗教なら、変革を唱える動きは無いのですか?」


 この質問にヴィルドはゆっくりと答える。


「もちろん教会が教える医学や、イルラ教の抑圧的な姿勢に異を唱える者や懐疑心を持つ者たちも存在します・・・。しかし、彼らの必死の訴えは教会によって封殺されてしまうのです。それに“総本山”から異端認定されれば、全てのイルラ教国家・組織を敵に回すも同義。たとえ心の中で反感を持っていても、そう易々と口外出来るものではありません」


「!!」


 ヴィルドの言葉を聞いた三津波海士長は、はっとしていた。彼らフォレイメン家もジットルト辺境伯という、言わば立場がある者たちである。そう簡単にイルラ教に懐疑心を持っていることを話せるはずがないが、今までのヴィルドの言葉は明らかに、彼自身がイルラ教に懐疑心を持っていることを示唆するものであった。


「そんな事を私に話して良かったのですか!?」


 三津波海士長は焦る。ヴィルドはにやっとした笑みを浮かべて答える。


「ええ、貴方方は私の命の恩人。信じなくては道義に反します。・・・それにそう遠くないうちに我が国は“総本山”が支配するイルラ教圏から独立するでしょうから・・・」


「・・・?」


 ヴィルドは笑みを浮かべる。三津波は頭上に疑問符を浮かべていた。

 その後、息子ヴィルドの奇跡の回復を目の当たりにしたロクフェルは、息子と同じく日本の医療技術に感激し、日本使節団に対して正式にジットルト辺境伯領と日本国との間に国家地域間の外交関係を持つことを提案し、同時にペスト撲滅の為の協力を請願した。

 これらの報告を受けた日本政府より、使節団を通してジットルト辺境伯領へ伝えられた条件は、ペスト撲滅の為に日本から派遣された医療団と、それに属する日本人の身の安全を保証すること、また、それにかかる費用をジットルト側が負担すること、そして辺境伯の権限として、将来的(1年半以内)にクロスネルヤード皇帝領政府と日本政府の会談の場を設け、その仲介役となること、これら3つであった。ジットルト辺境伯領側はこれらを快諾した。また、正式な通商協定の締結と、相互の公使館設置の詳細について、後に正式な会合の場を設けることで意見が一致したのである。


〜〜〜〜〜


1月2日 応接間


 ロクフェルとの会談を終え、使節団は今後の日程について協議する為に再び応接間へ集まっていた。護衛の指揮を執る野村幸誠二等陸尉/中尉が協議を取り仕切る。


「色々予定外のことも多々あったので、今後の予定を今一度確認します」


 その後、応接間に集まる使節団に対して、野村二尉が説明した内容は次の通りであった。

 現状としてヴィルドの回復を確認したので、使節団は再び陸路でアテリカ帝国首都ソマーノへ帰還する。なお、柴田一尉は現場でのペスト対策指導の為にジットルトに残る他、2名の陸上自衛隊員も護衛として同様に残る。 ジットルトを発った使節団はセーベを通過してアテリカ帝国へと戻り。サリード皇太子と近衛の2人をソマーノで降ろす。尚、万が一の為にソマーノには三津波海士長が残り、3人の経過を見守る。沢南美鈴を含めた残りの8人は、在トミノ貿易基地より帰還した「いずも」に乗り込んで日本へ帰還する。


(またセーベを通るのか・・・)


 最短ルートであるために仕方ないとは言え、子門と新田の外交官2人は、またあの街を通過せねばならないということに気が重くなっていた。


「ヴィルド殿の容態はどうですか?」


 遠藤が柴田一尉に尋ねる。


「すでに熱もリンパの腫れも引き、回復しています。恐らくもう心配は無いかと思われます。念のため、今後も経過観察を継続しますが・・・」


 柴田一尉の報告を聞いた使節団の面々は安堵する。


(技術だけではない・・・ニホンの医学知識の習得も必須だな・・・)


 ロクフェルらと同じく、重症患者の奇跡の回復を目の当たりにしたサリードは、今後日本と正式に国交を樹立した暁に、自国が行うべき方針を見据えていた。


〜〜〜〜


翌日 1月3日 屋敷の庭園


 柴田一尉と2名の陸上自衛隊員を除く使節団員は出発準備を整えて73式中型トラックへと乗り込む。拉致被害者である沢南も、水沢三曹に手を引かれて荷台へと登る。


「これで日本へ帰れるのですね!」


 沢南は故郷へ帰れることを満面の笑みで喜んでいた。農業指導の最中に異なる大陸の皇族に拉致され、遠い異国、それも異世界の地を連れ回された彼女の苦労は、並大抵のものではなかっただろう。水沢三曹は彼女の胸中を悟る。


「ええ、もうじきです!」


 今までの苦労を感じさせない彼女の笑顔、そして元気な声に応える様に、水沢はハキハキとした様子で答えた。


「乗る方は全員乗りましたか!」


 野村二尉はトラックに12人が乗り込んだ事を確認する。その様子をジットルトへ残る医官の柴田一尉、そしてその護衛として残る戸田二曹と布川一曹が見守っていた。


「この世界の“ペスト”が我々の世界のペストと全く同じ症状だとは限りません! 通常のペストならば、日本に帰国するまでに潜伏期は終了しますが、日本へ到着するまで発症しなかったとしても、帰国後は必ず検査を受けてください!」


 柴田一尉はトラックに乗り込んだ使節団に帰国後の注意を行う。


「出発準備完了! 前へ!」


 野村二尉の号令と共にトラックが動き出す。屋敷の庭園から出て行くその後ろ姿を、ロクフェルとヴィルドは屋敷のバルコニーから眺めていた。


 3日後、何事もなくセーベを通過した使節団はアテリカ帝国の首都ソマーノにて、皇太子サリードと近衛兵2人に別れを告げる。万が一、この3名がペストに感染していた場合に備えて衛生員の三津波海士長がソマーノに残ることになった。彼らを除く使節団を乗せたトラックは、トミノ基地から帰還し、ソマーノから東側の海岸に着港していた「いずも」に乗り込んだ。

 そして彼らが日本へ向かっている途中、1人目の邦人である山西と、皇帝の文書を携えたアテリカ宰相のコールを乗せた貿易船が先に日本へと入港した。その後、今回の邦人拉致事件について説明する為に開かれた記者会見の場にて、日本政府から2人目の邦人を無事保護したことが発表された。またアテリカ代表であるコールは、今回の一件について陳謝するアテリカ皇帝パリス2世の文書内容を公開し、アテリカ政府の総意として今回の拉致について謝罪の意があることを、日本国内へ向けて正式に発表した。そして会見から1週間後、「いずも」が日本へ帰還。2人目の邦人である沢南は約3ヶ月振りに日本の地に足を付け、両親との再会を果たした。

 そして日本に到着した「いずも」は、ペスト撲滅の為に組織されていた医療団、そしてオスプレイ(V-22)を乗せるとすぐさま日本を出発した。「いずも」は約2週間後にアテリカに残っていた三津波海士長を回収した直後に、クロスネルヤード帝国ジットルトから西南西の海岸に着岸し、「いずも」に搭載されていたオスプレイ(V-22)によって、医療団とあらゆる医療機器、薬品がジットルトへと運ばれた。


 ジットルトではこの時すでに柴田一尉による指導の下、ペスト菌を媒介するネズミの駆除と衛生環境の改善が辺境伯領政府の主導の下で行われており、わずかながら成果を上げていた。その後、医療団の到着によりペストの撲滅は加速し、死者は激減したのである。この奇跡を目の当たりにした、同じくペストで悩む隣接のベギンテリア辺境伯領、フーリック辺境伯領からジットルト辺境伯領へ送られた打診により、これら2地域の政府へもペスト撲滅に必要なプロセスが伝えられた。


〜〜〜〜〜


3ヶ月後 ジットルト駐在公使館 公使執務室


 日本国とジットルト辺境伯領の間に正式な外交関係が築かれてから早2ヶ月、この日、在ジットルト公使である飯沼道夫の執務室に、1人の白衣姿の男が入室していた。


「今月に入り、ジットルト辺境伯領内の主要5都市で確認されたペストによる死者は105人。先月の同時期と比較して、死者数は大きく減少しています」


 日本より派遣された医療団の男は、ペスト撲滅事業の成果を伝える。ジットルト辺境伯領の各地に設置された検疫所や簡易医院では、ペスト撲滅の為、その診断や抗生剤の投与、捕獲したネズミの買い取りなどが実施されていた。


「順調の様ですね」


 渡された資料を眺めながら、飯沼はつぶやく。


「しかし・・・一部地域の住民たちの現代医学に対する理解が中々進まず、事業に支障をきたしているという報告が上がっています」


 医療団の男は飯沼に懸念を伝える。経口投薬はともかく、注射、点滴、予防接種、採血などの、体内に直接薬液を注入したり、血液を体内から取り出したりする治療や検査方法についての理解が、信心深い教徒の住む一部の地域では思うように進まなかったのだ。


「さらに・・・我々の医学を快く思わない、とある一派による妨害工作が時折行われているとか・・・」


「・・・イルラ教会ですか」


 飯沼はつぶやく。日本が持ち込んだ現代医学は、この世界の価値観から見れば不可解なことも多い。しかし、その圧倒的な効能を目の当たりにすれば、市民の間に現代医学に対する理解と信頼が浸透して行くのは当然のことだった。しかしそれは、今までイルラ教が認めて来た医学が否定されることである。

 教会によって養成された医術士によって治せる病など当然限られている。その際、治療不可の病に対しては、教会から派遣された祈祷師による“祈祷”が実施されるのだが、その時に患者に請求される高額な“祈り代”は“治療費”や“税”と同様に各教会、ひいては“総本山”の重要な資金源となっていた。

 特にペストが発生した3つの辺境伯領における“祈り代”と“治療費”による収入は、教会及びその司祭たち、そして“総本山”の懐を潤させる良い金づるになっていた。しかし、ここに日本から正しい治療法・対処法が伝播され、病人も日本によって設置された簡易医院に流れるようになっていた。恐らく、イルラ教の収入は大きく落ち込んでいるのだろう。妨害工作はそれを快く思わない者たちによる“嫌がらせ”であった。


(新たな火種にならなければ良いが・・・)


 “ペスト撲滅事業”は順調に進んでいる。だが飯沼は、民衆の為に始めたそれが、なにか不穏な事態の引き金になってしまうのではないかと感じていた。彼は自身の予感が外れることを願っていた。


〜〜〜〜〜


ジュペリア大陸 とある国 イルラ教“総本山” 教皇庁 会議室


 この日、この国の首脳たちは円卓を囲み、クロスネルヤード帝国の南部で活動を繰り広げている“ある勢力”についての会議を行っていた。


「“不浄の者たち”による怪しげな治療は住民たちによって支持され・・・確かな効果を上げているとの報告が入っております。上級階級の間にも教会では無く、彼らによって設立された医院を訪ねる者もいるとか・・・」


 参加者の1人である教皇庁長官のグレゴリオ=ブロンチャスは、彼の地域で起こっているその事態について述べる。


「“教典”に反する治療法や医術など認められるはずが無い! “不浄の者たち”を即刻排除する様にクロスネルヤード皇帝に命ずるべきです!」


 教皇庁外交部長のレオン=アズロフィリックは、参加者たちに訴える。


「しかし・・・“あの男”が素直に我々の命令に従うはずは無い・・・」


 内務部長のヴェネディク=メデュラは、レオンの主張を静かに否定する。

 その後も会議が進む中、今まで沈黙を保っていた1人の男が立ち上がる。会議の参加者たちは一斉に口を閉じると、その男の方へ視線を向ける。


「“経典”に反する誤った医術。さらには恐れ多くも“神の怒り”を“治る病”などと宣伝し、我らが信徒を惑わせる“不浄の者たち”は、いずれこの大陸から駆逐せねばならない・・・いや、“教化”せねばならない!」


 熱弁するその男の言葉に、参加者たちは一様に頷く。


「全ては絶対の神“ティアム”の為に!」


「オオ!」


 参加者たちはその一言に呼応する。男はその様子を見て微笑んでいた。演説を終え、議長席に座るその男の名は「神聖ロバンス教皇国・第53代“教皇”イノケンティオ3世」。イルラ教の“総本山”である神聖ロバンス教皇国、その国家元首。ひいてはイルラ教を国教と定める各国の、王族皇族を含めた信徒たちの頂点に立つ存在であった。

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