ジットルト辺境伯領
12月26日 クロスネルヤード帝国 ジットルト辺境伯領
賭博事件の翌日、トラックに乗る使節団員たちはジットルトまでの道上で揺られている。使節団の護衛の1人である高尾誠司上級陸曹長/上級曹長は、何か寂しさを湛えた目つきをしていた。
「・・・どうしたんです?」
元気が無い彼の様子に気付いた遠藤は、その理由を問いかける。
「いえ、少し日本に心残りがあったもので・・・」
遠藤に問われた高尾上級陸曹長は、その“心残り”について語り始める。
「姉の子、つまり私の甥が今度の“高校サッカー選手権”に出場することになっているのです・・・。ですがこの調子では甥の試合を見に行けないな・・・と思うと少し残念で・・・」
「ああ、それは残念ですね・・・。まさかこのような事態になるとは想定外でしたし・・・」
遠藤は高尾の心中を察していた。
「ちなみに甥っ子さんはどちらの高校に?」
話を聞いていた新田が高尾上級陸曹長に尋ねる。
「“大峯実業高校”です。ご存じですか?」
「・・・鹿児島の強豪ですね! もちろん知っていますよ。かつて黎明期の日本代表を支えた多くの名選手を生み出した名門。“ジョホールバルの歓喜”は幼心に強く記憶に残っています。そこのレギュラーとは甥っ子さんは凄いですね!」
甥を褒められた高尾は照れくさそうな笑みを浮かべる。その後も3人は世間話を交わす。その時、トラックの助手席に座っていた戸田二曹は後ろを向くと、荷台に座っていた使節団に対して報告を行う。
「前方に街が見えました! ジットルトです!」
「!」
使節団はついに旅の最終目的地を視界に捉えた。もう1人の邦人が待つ場所を目前にして、使節団の面々は気を引き締める。
・・・
ジットルト辺境伯領 主都ジットルト
「クロスネルヤード帝国」・・・世界最大の版図を誇るこの国の広大な領土は、ジットルトを初めとする領土外縁部を統治する“11の辺境伯領”、内陸部を統治する“7つの騎士団領”、そして首都リチアンドブルクを中心とした“皇帝領”の“19の地方”に分けられて統治されている。特に他国と国境を接する辺境伯領は、固有軍隊の所有権や、宣戦や条約締結など皇帝に権限があるものを除く限定的な外交権など、幅広い地方分権が認められている。この国は帝国と名を冠し一見強力な中央集権国家に見えるが、その実態はアメリカ合衆国以上に各地方の権利が認められた巨大連邦国家なのだ。
そして12月26日の昼、ついに14人の使節団は主都ジットルトへ到着した。クロスネルヤード帝国の辺境伯領は並みの国家と同等の経済力と軍事力を誇る。主都ジットルトはそれに見合う様に1つの都市として、セーベと比較しても負けない規模を誇っていた。
「・・・・」
しかし、セーベとは対照的に、この街が漂わせる雰囲気は何か重苦しいものを感じさせるものがあった。トラックの窓から見える市民の顔は暗く、時折、路上に死体が転がっているのも見える。厭世観漂う市中を抜け、一行を乗せたトラックは辺境伯の屋敷へと向かう。
ジットルト辺境伯の屋敷 執務室
この地方を治めるフォレイメン家の当主である、ジットルト辺境伯のロクフェル=フォレイメンは、自室にて執務を行っていた。その時、1人の部下が彼の執務室に入室する。
「ロクフェル様、アテリカ帝国皇太子サリード=トローアス殿下とニホン国使節団の方々が到着致しました」
「・・・いらっしゃったか! すぐにお出迎えしろ!」
「はっ!!」
待ちかねていた来客がついに訪れたことを知ったロクフェルは、すぐさま彼らを応接間に通す様に命じた。
ジットルト辺境伯の屋敷 応接間
応接間に通されたサリード、新田、遠藤、そして子門の4人は部屋に設けられたソファーに座る。少し緊張した面持ちで座っていた彼らの耳にドアノブを回す音が聞こえて来た。4人は同時に立ち上がり、入室してきたロクフェルを迎え入れる。
「お久しぶりです、皇太子殿下」
「こちらこそ。突然の訪問、申し訳ありませぬ」
すでに顔見知りであるロクフェルとサリードの2人は軽い挨拶を交わす。サリードは自身の左隣に立つ人物を示すと、その男をロクフェルに紹介する。
「こちらはニホン国の外交官であるノボル=ニッタ殿です。ノボル殿、こちらはジットルト辺境伯のロクフェル=フォレイメン殿です」
皇太子の紹介に預かった新田は右手をロクフェルに差し出して握手を求めた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。では早速本題に入りましょう」
ロクフェルは新田の手を握り返すと、彼ら4人に座る様に薦める。その後、テーブルを挟んでソファーに座した新田とロクフェルはサリードの仲介の下、日本とジットルト辺境伯領の間における初の協議を始める。
「貴方方がここを訪れた理由については承知しております。ニホン人を返して欲しいと・・・」
「はい」
ロクフェルはいきなり今回の協議の核心に触れる。日本使節団がジットルトを訪問した理由は、彼らの出発前にアテリカ政府によって伝達されていた。
「貴国に奴隷制度が存在しないとは驚きましたが、彼女がファティー殿下によって捕らえられた経緯を踏まえ、我々には彼女を貴国へ返還する用意があります。ただ、条件として1つ頼みがあります・・・」
予想外にトントン拍子で進む話に少し戸惑いつつ、新田はロクフェルが最後に述べた一言について問う。
「頼み・・・ですか?」
「はい。貴方方が条件を飲み、私の願いを叶えて下されば、彼女を購入する際にお支払いした金銭の返還は求めません。しかし、それを説明する為には別室に移動する必要があります・・・。ご足労願いますが・・・」
ロクフェルはそう言うと立ち上がり、自らの後を付いてくる様に伝える。使節団の4人は彼に案内されるがまま、ロクフェルが述べた“別室”へと案内される。